002 いきなりブラッディハード
目が覚めると、そこは石造りの建物の中だった。広さはちょっとした教室くらい。薄暗く、油で灯している火が一定間隔で壁に配置されていた。
倒れ込んでいた石畳の床から上半身を起こして周りを見渡すと、説明会に参加していた人達が起き上がり始めていた。人数は、ひぃふぅみぃの……11人。オレを入れれば12人か。
唐突に、鈴の音が大きく鳴り響く。ギョッとして発生源に視線を向けると、説明会で主催だった紫髪の女性が、やや武骨なハンドベルを持って立っていた。
「はい、注目~」
先ほどの―――時間的に隔絶していなければだが―――説明会での雰囲気と若干変わっている気がする。体格の良い男性が3人、守るように女性の近くに居て、更に男性2人が一人ずつ、やや離れたところに配置されていた。唯一の出入り口らしき扉は、紫髪の女性の向こう側。つまり押し退けるか避けて貰うかしないと、ここからは出られない。
特筆すべきは、男性5人の全員が、腰に長剣らしきものを佩いていることだろう。何アレ? 格好良いんですけど。まるで物語の騎士みたいだ。
「ちょっと!! 一体どう言うつもり!? 武器を持った人間を用意するなんて横暴よ! アンタ責任者なんでしょ? 説明しなさいよ! 場合によっては訴えてやるんだからねッ」
興奮した様子のオバサンが、捲し立てるように怒鳴った。声の調子が高く、耳が痛くなってくる。
「静かにして」
「いいえ、黙らないわ! 説明会って名目で騙して眠らせて、私たちを拉致してどうしようって言うの! これは犯罪よ! 警察を呼んで逮捕して貰うわ! ハッ!? もしかしてもう、何かされたのかしら!? 嫌だわ、意識を失わせてどんなことしたのかしら!?」
「『口を噤んで大気に安らぎを。quiet【静かに】』」
喚き散らすオバサンが気持ち悪く身を捩じらせるが、呆れた様子の紫髪の女性が不思議な文言を唱えると、オバサンの声が唐突に聞こえなくなった。
話すのを辞めた訳ではなく、音が出なくなったようだと推測される。口をパクパクさせ、顔を真っ赤にしていた。
オバサンは地団駄を踏んで、紫髪の女性に近づこうとする。言葉で責めることが出来なくなった為、直接的な実力行使に出ようと言うのだろう、右手が強く握り締められていた。だがターゲットは警戒してやや後ろに下がってしまい、代わりに男性の一人が進み出てオバサンの進路を妨害した。振り翳された拳は、腕を男性に掴まれることで呆気なく止められる。
さすがに見ていられなくなったオレは、オバサンの肩に手を置いて言葉を掛けた。
「やめておいた方が良いですよ。何されるか分かったものじゃない」
だが、警告は遅過ぎたようだ。紫髪の女性が指を鳴らして、傍にいるもう一人の男性へと命令する。
「どうせアレは金にならないでしょう。見せしめに首を刎ねてしまってちょうだい」
「……宜しいのですか? ヴィオネッタ様」
「構わないわ。年齢も高めだし、娼婦としての需要も薄いでしょう。それに目の前で人が死ねば、残った人間も大人しくなるわ」
「はっ」
そいつが剣を抜いて構えるまでが、スローモーションのように酷くゆっくり見えた。鞘から抜く際の音が不快だなと、場違いな感想を抱いた時には、踏み込みとともにオバサンへとその凶刃が振るわれていた。
説明会参加者たちの、呆然とした顔が視界の端に映る。やや体格の良い体育会系らしき男が、苦々しい表情を浮かべていたのは例外か。
オバサン自身、何が起こったのか理解し切れていない様子だった。
一瞬の静寂。のち、叩き切り落とされた頭部が地面に転がり、オバサンの胴体側の首から血が溢れ出した。オレが肩を掴んでいた身体、それがぐらりと揺れる。石畳の上に倒れ、切断面からは大量の血が流れ出す。心臓が止まるまで、いや、血液が粗方なくなるまでだろうか。直ぐにその勢いは衰えた。人ひとりの血液って多いようで意外と少ないのかと、ズレた思考をしてしまった。
「キャーーーーーーーッ!!!」
若い女性の金切り声が、辺りに響き渡る。
「……『口を噤んで大気に安らぎを。quiet【静かに】』」
「……!? ……っ!」
ヴィオネッタと呼ばれた紫髪の女が、再び不思議な力を行使し、ピンクスーツの若い女性の悲鳴を途絶えさせた。
そして目の前の凶行に、その若い女性と何人かの男達が嘔吐く。オレも吐き気を覚えて震える手で口を塞いだ。幸いと言うべきか、グロ画像は何度か(意図せず)見たことがあり、僅かではあるが耐性が出来ていたのだろう。だが現実での出来事に、衝撃は半端なかった。震える脚に立っていることが出来ず、その場に情けなく腰を落とすと、懸命に手足を動かしてオバサンの遺体と距離を取ろうと足掻いた。
「さて、これで少しは状況を把握出来たかしら? 貴方たちは一応、大切な商品。無暗に逆らったりしなければ、無慈悲なことには早々ならないわ。今のは見せしめだけれど、特別死にたい人が居るならば、この場で前に出て来なさい」
商品と言う言葉に怒りを覚えるが、ギリリと握り締めた拳の力を意識的に緩め、首輪へと触れる。―――そう、首輪だ。説明会参加者全員の首に、目を覚ました時には付けられていたようだ。オバサンのは……斬り飛ばされた頭部の方から、金髪の男が回収していた。
目敏くオレの行動に気付いたヴィオネッタが、薄く魔女の様に笑う。
「首輪に気付いたみたいね。それは『奴隷の首輪』。主人などの登録された上位者によって、任意に締め付けの強弱が加減出来るのよ」
「……最初からそれを使って、言うことを聞かせれば良かったんじゃないか?」
「うーん、最初の一人くらいは実際に手痛い目に会ってもらう予定だったから、ワザと使わなかったのよ。それと、悲鳴とかを『奴隷の首輪』で締め付けて中断させると、窒息死一歩手前になって酷いことになるのよねぇ」
勇気ある体育会系っぽい奴の言葉に、ヴィオネッタは悪魔のような内容を返して来た。アカン。これアカン奴や。オレたち家畜みたいにしか見られてない。何かあったら、即・絞・死。
あと、窒息死一歩手前は経験談だ。間違いない。あれはヤったことある奴が、過去の記憶を思い起こす時の目だ。
「改めて自己紹介しておくわね。ベラスティア皇国の宮廷魔術師二位、ヴィオネッタよ。
『奴隷の首輪』やさっき使った魔法とかは、貴方たちの世界には縁遠いモノだったから戸惑ってるかも知れないわね。簡単に言うと、この世界は異世界よ。私からすれば、地球とやらの方が異世界になるんだけど。
大きな違いは、地球と比べると発展途上で人口がかなり少ない点。いわゆる中世くらいだと想像してくれればおおよそ正解よ。
あとは魔法や魔道具の有無、神や精霊の実在とかも言及しておくべきね。呪いも奇跡もあるから、不用意なことをすると手痛いしっぺ返しを食らうこともあるわ。
異世界を行き来したのは、新しい魔法によるもの。過去にあった【召喚】魔法を元に、宮廷魔術師一位のモズズ様が【異世界間通路】を完成させたのよ。
約一年間の調査と実験の結果、地球の人間をこちら側―――Tehar―――に移動させると、加護を得られ易いと判明したわ。
そこで、人口の多い地球の人間を拉致……じゃなかった強制的に勧誘して、我が国の役に立って貰おうと言うのが、私たちの計画なの。理解してくれた?」
「外道め」
少し離れたところにいた強面の男性が呟く。大いに同意だ。発言した勇気も称えたい。
「んー、まあ、こう言うのはなかなか他人の理解を得られないモノよね。……さて、次は誓約の付与をしましょうか。サーラル、司祭様を御呼びして来て」
やや離れていた、剣を佩いた男性の片方に呼び掛けると、そいつは了承の返事をして部屋を出て行く。もう一人の方も、何やらヴィオネッタに近づいて話し掛け、頷きを以て了承を得たのだろう、部屋を出て行った。
数分もするとサーラル氏は、ゆったりした服を着た、何かの宗教の司祭っぽい人物を連れて来た。
「コリオル司祭、本日もお願いしますね」
『分かっている。仕事はこなそう』
コリオル司祭と呼ばれた人の言葉が、理解出来なかった。と言うか、今までヴィオネッタやその取り巻きの男達の話していた言語は、実は日本語ではなかった、と言うのを今更認識出来た。違和感を感じなかったから認識すら出来なかったらしい異常な現状に、改めて背筋が寒くなる。
これ、もしかして魔法とかで無理矢理意思疎通してるんじゃないか?
そして多分、コリオル司祭とやらはその手の意思疎通手段を使っていない。
そんな推察を他所に、オレたちは一人ずつ、魔法陣の描かれた厚みのある敷物へと乗せられた。神経質そうな外見のコリオル司祭が呪文を唱え、魔法を掛ける。その際、抵抗はしないように厳重注意された。
同席したヴィオネッタの言葉に、はい/イエスと答えるだけの簡単な仕事だ。儀式は、白いモヤモヤがオレたちの背中の僧帽筋付近へと纏わりつき、刺青みたいな紋様となることで終了する。それが人数分だったので、そこそこの時間が掛かった。
模様については、比較的軽装だった奴が半脱ぎになって周りに確認して貰っていたので判明した。「令呪を以……」「おい馬鹿ヤメロ!」と冷たい視線を浴びた奴が居たのだが、気持ちは分からなくはなかった。
「解説しておくわ。今、貴方たちに掛けた魔法は【使命】。
決められたことを実行しようとしないと、痛みが走るわ。
少しややこしいけれど、簡単に言うと、
1.地球に戻ろうとしてはならない。
2.地球の知識をこの世界に広げてはならない。
の2つね。
ただし後者は特例として、皇国の王族か私、宮廷魔術師ヴィオネッタに許可された場合は除外する、となってる」
「痛み? どれくらいの痛みなんだ……?」
「えーっと、確か意志の強い者なら数分は耐えられるかも知れないけれど、数時間とか数日経つとまず発狂しちゃうか自殺する、らしいわ」
さらりとエグイことを仰る。そんなん、死刑宣告と変わらないやん。
「禁忌知識の基準が分からないと怖いわよね。例えば、銃の製造に関するのは一発アウトよ」
うわぁ。うわぁ。
異世界チート知識の有力候補じゃないか。まあこれを規制せず、何を規制するのかとは思うけれど。
……ん? なんでそんなのを規制するんだろう? 自分たちで銃を輸入するなり製造して、使ってしまえば良いのに。
理解出来ないルールに混乱するが、ヴィオネッタの次の言葉で全て吹き飛んでしまった。
「次は加護の確認をしましょうか」
(ガタッ