② ゴロンのこと
【ゴロンのこと】
今から三年前の十二月。
みぞれ混じりの冷たい雨がふる日のことだった。
そのとき、三年生だったおねえちゃんが学校から帰って、コートを脱いだとたん、茶色の小さい固まりがピョコンと飛び出して来て、ミャーオとひと声鳴いたのだ。
「ママ、この子ネコ、公園に捨てられてたの。飼ってもいい? 飼ってあげなきゃ、寒さで死んじゃうよ」
おねえちゃんはすがるようなまなざしで、ママにたのんだ。
お皿に入れたミルクをあげると、子ねこはピチャピチャ全部なめて、おなかが満たされたとたん、ソフアーの上でくるんとまるまった。
ちっちゃな頭と手足には、はけでシュッシュッと描いたような玉子色のとらもようがあって、
「ぼくはとらの子孫なんだぞう」
一人前にいばってるような寝顔だった。
ちょこんとついた鼻の横にはギターの弦のようにピンとはった白いひげがあって、ためしに一本そっと引っ張ってみると、眠ったままくしゅくしゅと前足で鼻をこする。
そんな姿を見ているうちにわたしまで、もうこの子ネコがほしくてほしくてたまらなくなってしまった。
「ねえ、ママ、いいでしょ、飼おうよ。飼おうよ。ねえったら!」
わたしは、ママのエプロンのすそをぐいぐいひっぱりながら、鼻声でまとわりついた。
ママはちょっとためらっていたけど、
「まあ、いいでしょう。パパも動物好きだし、あなたたちがお世話してくれるのなら」
意外にあっさり許してくれたのだった。
命名ゴロン。おねえちゃんが名づけ親。眠るのが大好きなネコだからという、あきれるほど簡単な理由。 アンソニーとか、ハリーとか、わたしはもっとおしゃれな名前にしたかったのにな。とにかく、こんなふうにして、ゴロンはわたしの家族に仲間入りしたのだった。
おねえちゃんとわたしは、いつも先を争ってゴロンのお世話をした……といっても、わたしができることといったら、外から帰ったゴロンの足をタオルでふいてやったり、寝ているゴロンにバスタオルをかけてあげたり、ゴロンにとっては、迷惑きわまりないお世話だったのだけれど……。
わたしの体調が変になったのは、それから一年すぎたころからだった。かぜでもないのにせきがでて、胸のあたりが苦しい。いつも鼻がつまってて、息さえもしにくい。そして、ある日とつぜん、ひゅうひゅうと胸から笛のような音がではじめて、せきが止まらなくなってしまった。
病院の先生がわたしに下した診断結果は『アレルギーぜんそく』。
「ペットが原因と思います、できるだけ本人をアレルゲンから遠ざけてください」
判決みたいにそう言われたときのママの落ち込みようといったらなかった。
「おばあちゃんがアレルギー体質って知ってたのに。もっとよく考えればよかったわ」
ため息まじりのこのことばを、いったいどれほど聞かされたことか……。
以来、わたしの生活は、そくざにゴロンと切り離されてしまった。
ゴロンの入れる部屋は、おねえちゃん専用のピアノの部屋とリビングの横の小さな物置部屋だけ。
ゴロンのトイレも家の中からとりはらわれて、夜になるとゴロンは、朝まで無理やり外に出されるのだった。
そのうちゴロンは、だんだんわたしのそばには近よらなくなった。そして、それまでは、パパやママやおばあちゃんにまですりよって甘えていたのに、半分のらねこみたいによそよそしくなった。
「多分、ゴロンにはパパたちの気持ちがわかるのよ。パパもママもゴロンはかわいいけど、美優の体のためには、本当はいない方がいいって思ってるから」
ゴロンの背中をなでながら、おねえちゃんはしんみりと言った。
あれから三年。ゴロンが安心して甘えられるのは、今もずっとおねえちゃん一人だ。でもわたしだって本当はおねえちゃんに負けないくらいゴロンのことが好き。
やわらかで、お日さまの匂いのするゴロンのからだを、この手でぎゅっと抱きしめられたら、どんなに幸せだろうなあっていつも思ってる。