6
一度目にすれば二度と忘れられないであろう程の美貌の姫君が、こちらに物憂げな視線を投げていた。
宵闇のような濃色の紫のドレスは気品高く、精錬にして高潔、しかし、露出は殆どないデザインであるにも関わらず、不可思議なまでに艶美な色香漂う。
真白の肌、伏せがちな瞳。その美しきかんばせを縁取る星の輝きのようなホワイトブロンドは豪奢に結い上げられ、金色の台座に大粒の真珠が贅沢にあしらわれた髪飾りが、シャンデリアの明かりに煌めいている。
その後ろ、彼女を見守るように佇む秀麗な容貌をした青年もまた、美しく着飾っていた。
濃い緑と黒の縁取りの盛装に身を包む彼が、おもむろに口を開く。
「……まるで、“夕闇の女”のようだな」
途端、こちらを見つめる紫のドレスの姫君の顔が…、鏡に映った自身の顔が、目一杯歪んだ。
“夕闇の女”。それは、ルルイユ王国の伝承において、陽が沈むと現れ、人々に夜の眠りの安らぎを与え、悲しみを包み込み、次の朝を産むとされる女神のことだ。ルベウム教の主神ルベリウスのような、それそのものを示す固有の名はなく、ただ“夕闇の女”と呼ばれている。彼女はこの世の全ての美を体現した容貌をし、夜の帳を衣として、夜のうちになにもかもを受け止め抱くとされている。
「そんな顔をするな。…ただ、あのデザイナーの母娘と宝石商は粋なことをするものだと感心しただけだ」
ラヴィエルは面白そうに笑った。エクレイアは対照的に、なんとも形容しがたい微妙な表情をしながら、くるりと振り向いた。
「ええ、きっとダニエラのブラックジョークですわね。おそらくジルベール殿下は、暁の神ルベリウスを信奉するルベウム教の規律に則った礼装で御出でになるでしょうから」
婚約破棄の儀の礼装として、暁の神と対を成すといっても過言ではない“夕闇の女”を想起させる濃紫色のドレスと、“夕闇の女”の涙という説もある真珠をふんだんに使った髪飾りに腕輪に指輪に耳飾りにとくれば、作り手の意図は嫌でも察せるというものだ。
ダニエラもユーラも、そして宝石商兼ジュエリーデザイナーのローレンスも、漏れ無く『エクレイア派』。つまり、エクレイアを袖にしたジルベールをあまりよく思っていない。当然一国の王子に面と向かって歯向かえば不敬罪で処罰されかねないが、だからこそのささやかな叛逆なのだろう。もしくは、それを後押しした何者か…きっとおそらくはエクレイアの父母…がいたのだろう。もし、もしルーベルハイム公がバックにあるならば、第二王子の癇癪程度さらりと流せるというものだから。
「随分慕われているな」
「からかわないでくださいませ…」
それを見通してか、ラヴィエルがにやりと口の端を持ち上げて笑った。
エクレイアはどうしてか無性に風に当たりたくなって、部屋の窓の前に立ち、窓を開け放つ。
ふうっとため息をついて、まぶたを伏せて、そよぐ風に身を任せた。朝の日差しがエクレイアを包む。
儀式は、ルベウム教主神にして暁の神ルベリウスの力が最も強くなるとされる真昼に執り行われる。
「そうならば尚更、美しいだろうな」
「………何か仰いまして?」
ぼそりと低く落ちた呟きは、お約束だがエクレイアには聞き取れなかった。ラヴィエルの方も、聞かせるつもりはなかった。低く喉の奥で笑って、優雅に足を踏み出し、エクレイアの隣に立つ。彼女の纏う夕闇の色は、陽の中にあっては尚一層映えた。まるで、その一点、彼女の周囲だけ、たおやかな夜の帳が下りたかのように。
濃い紫のドレスと濃い緑の盛装。
豪奢にして美しく、壮麗なふたりを、柔らかな陽光が照らし出す。今にも天上の舞踏会が始まりそうな雰囲気だが、残念、これから始まるのは婚約破棄の儀。
そう、エクレイアにとってはまさに戦場。なにがって具体的には。
「……………メリア嬢と顔を合わせなければいけないのね…」
「あの天然無知なご令嬢は今回何をやるだろうかな。楽しみだ」
それが一番の頭痛の種なのだけど! という絶叫は、ルーベルハイムの誇りと鉄の理性を総動員して止めた。
…婚約破棄の儀、キャンセルできないかしら。