序章
序
「ああ、腹立たしい!! どうしてこのわたくしがこのような思いをしなければならないのかしら!!」
予想外に高く響いた自分の声にはたと我に返った。
というか、【私】に戻った。
我ながら妙な言い回しだと思う。けれども、これ以外に、そしてこれ以上に相応しい言葉を私は見つけられなかった。いや、厳密に言えば違う。私は、【私】だった頃の記憶を取り戻した、というのが正確なところだ。
ふむ、と、私は自分の置かれた状況を、空間を、改めて見渡す。
ロココ調だかアンティーク調だかなんだか知らないが素敵に胸踊るクラシカルな家具の数々(天蓋付きのベッドには流石に驚いた)、足元はふかふかの絨毯ときて、極め付けは身に纏う服…というか、ドレス。たっぷりと襞が広がりレースがこれでもかとついてなんとも豪奢な、ドレス。とても重い。これ、木枠入ってない?
私は誰?
「【わたくし】は…エクレイア・テレージア・ルーベルハイム」
長い。
が、これが私の、【わたくし】の名前であることは理解した。私の中にある、エクレイアとしての記憶はきちんと機能している。大丈夫。
ならば【私】は誰?
【私】は、科学技術が世界を統べた時代を生きた平々凡々な女性だった。義務教育という名目で学業に励み、そのあともちょっと学業に励み…というところで途切れて、その後はぷっつりと記憶がない。いわゆる大学生という肩書きを持った時期にどうも私はその生を終えたようだ。
ここまでわかればそれでいい。その時に培った知識もまだ生きているようだ。何せ…。
「科学、なんてものより、魔法が栄えるのがこの国、ルルイユですものね」
独り言ちる声が明らかに【私】と…、有り体に言えば、まあ、前世と呼ばれるその記憶の中の自分と違うのだけど、そういうものだと理解した。というか、エクレイアとしての私にとってそれは当たり前のこと。違和感などあるはずもない。
…かつて【私】だった頃、読書家だった【私】はあらゆる書籍を貪り読んだ結果、まあ、それなりの確率で突き当たる「前世の記憶思い出す」系の小説を流し読んでは鼻で笑ったものだ。そんな、前世の記憶なんて思い出したところであっさり今世の記憶と融和するとか御都合主義にも程がある。
天に吐いた唾は物の見事にこうして自分に返ってきたのだけど、それがなかなかどうして違和感がない。
突然思い出したことにも全く混乱がないし、あまりに違うふたつの「世界の常識」も、するりと融け合った。これはもう、そういうものだと割り切るより他ない。御都合主義万歳。
さて。
振り返るべきはそっちの記憶だけではない。戻らない過去の記憶は知識だけを頂戴するとして、大切なのは今、即ち、今世の私であるところの、エクレイア。
エクレイア・テレージア・ルーベルハイム。
ルルイユ王国きっての大貴族、ルーベルハイム家が当主リージオ・ジル・ルーベルハイムと、その妻パルティアとの間に生まれた一人娘にして、輝くばかりの美貌を持つご令嬢。
そして、ルルイユ王国第二王子の婚約者。
ここだけを見れば、なんとも輝かしい功績である。ここだけを見れば。
何故ならエクレイアは、抜群に切れる頭を持ち、その上完璧主義、さらにその完璧主義は自他含め周囲全てに向けられ、尚且つそれはあまりにも切れ味鋭い刃物のように周囲を抉る…。
まあ、その、そう、態度がきついわけだ。
エクレイアの記憶はそう認識しているけれど、これを改めて【私】の記憶、ひいてはその視点から眺めた時に、エクレイアはどう映るか。
…これ完璧に完全に、シンデレラで言えば継母か姉たち、白雪姫で言えば王妃様、つまりいわゆる『悪役』なのでは? ヴィランなのでは?
だってそうだろう、ルルイユの第二王子ジルベールが最近入れあげていると思しき、妾腹がゆえに庶民として育った健気な子爵令嬢メリアの振る舞いを、それなりに故あってとはいえ悉く叱責しているその姿は、どう見ても庶出でありながら自らの婚約者が愛するという気に食わぬ姫を虐めるタチの悪いお嬢様。
「…はぁ……、今ならわかりますわ。わたくし、…私、随分と言葉が足りなかったのね」
思考と異なる一人称も、口にすれば違和感などない。【私】であった頃ならば間違いなく大笑いしたであろう言葉遣いも、エクレイアとしてなら様になる。
だからこそ、これまでのエクレイアの振る舞いを思い返す度、私は渋面を作らざるを得ない。
だって、だって明らかに。
エクレイア、言葉が足りなさ過ぎだ!
いや、たしかに【わたくし】がこんなにも苛立っているのだって、メリア嬢の、他国貴族への無礼な振る舞いを咎めた時に、ジルベール王子がそれを庇ったから。この字面だけ見れば明らかにエクレイアが悪いような気もするが、内容は違う。だって…だってあの女! 他国からわざわざいらした貴族の姫君に向かって、おうちが恋しいのでしょう? って、貴女、失礼にも程がなくって!? しかも、ジルベール王子が庇うタイミングもタイミングだった。何せ、【わたくし】が咎めたら間髪入れず、である。何、馬鹿なの? メリアはまだ社交界に慣れていない…って貴方、そんなことを他国の貴族方の前で堂々と言ってのけるなんて、貴方…! それはつまり、皆さんと共にあるこの席には、自分が招いた『まだ社交界に慣れていない人間』がおります、と告げたようなもの! どうしてそのようなこともお分かりにならないのかしら!?
…これは酷い。
カンカンになって怒ったエクレイアも最もだ。あなたは悪くない、私。
ただ、真実と事実がだいぶ曲解されそうなだけで、エクレイアの怒りは最もなのだ。エクレイアとしての私は、心からこのルルイユを大切にしている。だからこそ許せないので怒る。ただ、それには明らかに言葉が足りない。足りなさ過ぎる。これではむしろ、誤解してくれと言っているようなものだ。
溜息をつきそうになるのを堪えて、私は人生二つぶんの記憶を探った。
それと連動してヒットしたのは前世の方。
あれっ、これって、友達がきゃっきゃ言いながら話してた、いわゆる乙女ゲームの『悪役令嬢』なんじゃ?
私は乙女ゲームも恋愛小説もあまり好かなかったので話半分にしか聞いていなかったけれど、悪役令嬢ものの小説は割と面白かった。
…思い返せば思い返すほど、なんだかとても既視感がある。というかそれそのもの。
そういえば…、メリア嬢に想いを寄せてそうな人々に心当たりがある、それも相当数。
…それじゃない?
「なんてことだ…」
思わず、エクレイアの口から、エクレイアらしからぬ言葉が飛び出るくらいにはショッキングだ。
となればこの後の物語がどう動くかなんて決まりきっている。まず間違いなく私はジルベール王子から婚約破棄を申し渡されるだろうし、何なら私は今、他国貴族とのお茶会を恙なく終えた後、メリア嬢にきっつい叱責を浴びせて、この王宮における私の部屋に戻って来ていたわけだから、まあつまり…。
と、私が、部屋のドアに目を向けたのと、ドアが無作法なまでに大きな音を立てて開かれたのは全く同時だった。
「エクレイア!! お前、またメリアを泣かせたようだな!!」
ドアが立てた音よりもさらに大きな怒声と共に部屋へ雪崩れ込んだ人影はふたつ。
ひとつは、金髪碧眼の、絵に描いたような王子様的美青年。こっちがジルベール。
もうひとつは、茶髪にヘイゼルの瞳の、派手さはジルベールに劣るものの十二分に美しい、というか精悍な、大柄な青年。こっちは、ジルベール付きの騎士、ディオール。
予想通りの展開にゲンナリしつつ、私はドレスをちょっと持ち上げて、綺麗に貴族の礼をした。それから、一転、キリキリと眉を吊り上げて、
「淑女の部屋にノックもなしでの入室とは頂けませんわね?」
静かな声音に最大の毒を加えた言葉を相手に突き刺す。それがエクレイア。つまり私だ。
しかし相手は王子である。そんな正論に怯むわけがない。いや、まあ、正論云々より前にこれは、人として最低限のマナーだと思うのだが。
「そんなことはどうでもいい、お前、エルヴィアーナの貴族の前でメリアに恥をかかせただけでは飽き足らず、茶会の後にもメリアに何かを言ったそうだな!?」
恥をかいたのはメリア嬢ご自身で、上塗りしたのは貴方の方…。
そう考えたが、エクレイアの口は別の言葉を言おうとしていた。
メリア嬢には、貴族としての自覚が足りなさ過ぎますわ! と。
確かに正論、その通りだ。エルヴィアーナは、ルルイユと国境を接する大国。その大国からの使者たる方々の前でのあの台詞は、その席に招かれた貴族としてはあってはならないもの。
…であるが、エクレイアのその言葉には、その言葉に至るプロセスの説明があまりにも乏しい。というか、ない。そこで結論だけを、メリア嬢に自覚がない云々のみを放ってしまえば、それはまあ、エクレイアの嫉妬による当てこすりと見られても、仕方がない。そう見てしまう気持ちもわからんでもない。
だってほら、いつの時代も、シンデレラストーリーは愛された。庶出の少女が王子様に愛されて王妃にまで上り詰めるなんて、民衆受けはまず間違いないし、なんならドラマチックな恋を求める貴族にだってウケるのでは。
いつもならばすぐさま言葉を打ち返していたエクレイアが黙り込んだので、どうもジルベールとディオールは不思議に思ったらしい。何故ならそう、昨日も同じようなことがあって、私は同じような…メリア嬢には貴族としての自覚が足りなさ過ぎると…そう言った時、彼らは鬼の首を取ったように私を糾弾したのだ。お前はいつもそうだ、それしか言わない。具体的にどこなのだ、愛らしいメリアに足りないところは、と。
正直ありすぎてどこから言おうか答えあぐねているうちに彼等は意気揚々と去って言った、ほら見ろ、という言葉だけを残して。
…思い出したら腹が立って来た。これは前世の私でも怒り出すわ。
昨日までのエクレイアならばきっとすぐさま同じ言葉を返したのだろう。けれど今のエクレイアは違う。
だって私は【わたくし】であり、【私】でもある。その二つが相まった私なのだ。
【わたくし】はルルイユを愛しているが、【私】はどちらかといえば平穏な時を…、有り体に言えば、静かに本が読める時間を愛している。
天秤にかければ勿論、『今の私』であるエクレイアが愛するルルイユに傾くところだが、幸いにしてエクレイアも、読書をこよなく愛していた。前世の影響なのだろうか。
そして。
今この時をもって…それもしかしたら、前世では冷静沈着スーパードライという妙な称号を冠した【私】の影響もあるのかもしれないが…エクレイアは、ジルベールたちに見切りを付けたのだ。
だって、この王子は所詮第二王子。エクレイアは、どうにかしてこの王子も立派な王子にと奔走したが、それが成功した試しはない。ならばこの王子にかまけずとも、国を栄させる手伝いはきっとできよう。
ならば。
「…そうですね、言いました」
私の口から飛び出した予想外の返答に、ジルベールとディオールは目を見張った。なんだ、それが望んだ言葉ではないのか。
「ですが、わたくしは間違ったことを言ったとは思っておりませんわ。考えてもご覧になって? エルヴィアーナの使節団の方々の前で、その姫君に向かって、よもやホームシックかなどと…、イエスと答えればあちらの恥、ノーと答えればメリア嬢に恥をかかせることになる。それを気遣って、イリシア様が曖昧に笑って流していただけたから良かったものを…。あのメリア嬢のご発言は、それだけの爆弾だったのですわ」
ぐ、と、詰まるジルベールに、私は畳み掛ける。
「ですからわたくしは申し上げましたの。貴族としての自覚が足りなさ過ぎますわ、と」
どうやら届いていなかったようですけれど。
そう呟いて、私は正面から彼等を見据える。
「さあ、もうお出になって。わたくしも疲れましたのよ、今回のお茶会でははらはらし通しでしたもの」
出て行けと促すと、男二人はこちらを睨み、言われなくてもと足音高く退出した。
「…ドアくらい閉めていっていただきたかったわ」
溜息をついて…顔を上げた。
とりあえずは第一目標が定まった。
「目指せ婚約破棄、ですわ」




