ストーカー
岡倉南署の中に”女子短大寮蒸発事件捜査本部”と大々的に書かれた部署があった。
ある昼下がりその捜査本部にかかって来た一本の電話から、この話は始まるのである。
「はい、女子短大蒸発事件捜査本部。」 若い刑事が電話を取った。
「お疲れ様です。私は湾岸西署の岡田と申します。」
「はい、お疲れ様です。何かありましたか?!」
「実は先日の雨の日に、見返り海岸で恋人の生首を持っていた女を逮捕したのですが・・・。」
若い刑事は新聞で読んだ事件を思い出した。
確か・・自分を捨てた恋人を殺害して、その首を鞄に入れて持ち歩いていた、そういった事件だったと記憶している。
「はい、その女がどうかしましたか?」
「自分は見返り海岸から飛び込むつもりだったが、私より先に飛び込んだ女がいると言っていたのですよ。」
湾岸西署の岡田刑事はそこで一度言葉を切り、一息ついて続けた。
「私たちは逮捕した女、新藤千恵子の言葉を元に海岸一帯を捜索しましたが、飛び込んだという女は見つかりませんでした。」
「ハイ・・それが?。」若い刑事は岡田と名乗った刑事の真意が分からなかった。
「それがですね・・・先程千恵子が言うには飛び込む前、女は確か名前を名乗ったのを思い出したと言うのですよ・・「私は、神崎真理」そう言って飛び込んだと・・。」
「ナ・・何ですって・・」
”神崎真理?!岡倉女子短大の女子寮から最初に蒸発した学生の名前ではないか・・”
「もしもし・・・もしもし・・聞いてますか?」
捜査本部の若い刑事は、湾岸西署の岡田刑事の言葉に我に帰り、メモ帳にペンを走らすのであった。
岡倉南署の高橋警部補と黒石刑事は見返り海岸に立った。
先程湾岸西署の岡田警部立ち会いのもと、新藤千恵子に話を聞いて、二人して神崎真理が飛び込んだという、見返り海岸へと足を運んだのであった。
「高橋さん、ほんとに神崎真理はここから飛び降りたのでしょうか?」
若い刑事は数十メートル下に輝いている紺碧の海を見つめながら呟いた。
「う〜ん、千恵子にはそんな嘘をついても、何のメリットもないしな・・。」
「ではなぜ死体が上がらないのです?!ここから、飛び込んだら絶対に助かりませんよ。」
黒石刑事はもっともな疑問を、高橋警部補に投げかけた。
「それは俺にも分らん・・・しかし黒石、神崎真理が何らかの理由で、ここから飛び込んだのは本当の事だと俺は思う。」
高橋警部補は煙草に火をつけ、苦い顔をして紫煙を吐きだした・・・。
春の陽が二人を射し、眼下の海は穏やかに揺らめいていた。
女子短大寮蒸発事件捜査本部と書かれた部屋の中で捜査本部長こと、入間川警部は、その巨体をくねらせながら歩き回っていた。
捜査本部が結成された時には、他署からの応援も含めて三十数人が動き回っていた。
一般市民からの情報も十五万件余り・・・。しかし、進展がないまま今日に至っている。捜査員も今では自分を入れて五人と、もはや解散寸前の状態であった。
そんな折の湾岸西署からの連絡であり、捜査本部は色めき立ち、早急二人の捜査員を湾岸西署におくったのである。
”高橋警部補さんと黒石刑事が、何か掴んでくれるといいが・・・。”
入間川にとって、いや、捜査本部存続にとって彼ら二人の動向が、僅かに灯る希望の光になっている。
捜査本部のドアが開き、木村婦警の人懐っこい顔がのぞいた。
「どうした?木村君。」
「この方が、蒸発事件の責任者に会いたいそうです。」
そう言って木村婦警は後ろを振り返った。
木村婦警の後ろから、三十前後の精悍な顔つきの男性が入間川の前に現れた。
「私が捜査本部の責任者の入間川です。」
入間川は名刺を渡しながら、男性を椅子に座らせて、自分も机一つ挟んで男性の前に座った。
「・・私は、これで・・・。」 場の空気を察して、木村婦警が捜査本部から出て行った。
「私に、何か・・・?!」
入間川は優しい口調で聞いた。
男性はしばらく沈黙していたが、意を決したのか入間川の目を見ながら話し始めた。
「実は、三番目に蒸発した曽我部智子さんの事で、お話しと云うか・・お願いがあるのです・・・。」
入間川の目が一瞬輝き、身を乗り出して来た。
「そ、それは、どう云う事ですか?」
「曽我部さんの蒸発は狂言だったのです・・・。そして、彼女から私の家族を守ってほしいのです。」
「意味がちょっと・・・もう少し分かりやすく話してください。」
入間川の言葉に男性は、曽我部智子と不倫関係にあった事。前の二人の蒸発事件を利用して駆け落ちした事。ホテルの屋上で別れ話がもつれて彼女に殺されかけた事。その時、止めに入って来た中年の男性が誤って落ちて死んだ事。
そして最後に、曽我部智子にストーカーされて、家族全員ノイローゼ君になっている事・・・。
男性は以上の事を話して、入間川に頭を下げ捜査本部を出て行った。
川中 浩 30歳 会社員 住所・●××・3の2の15と入間川の手帳には書かれていた。
”・・勝手なお願いですけど、私たち家族を曽我部智子から救ってください・・!”
男性が涙ながらに、訴えた言葉が入間川の頭の中でこだましていた・・・。
捜査本部の立花巡査部長と野中刑事は、入間川の命令で川中 浩の家を見張っていた。
「ほんとに曽我部智子は来るのですかね?!」
若い野中刑事は腕時計に目をやりながら、独り言のように呟いた。
時間は午後8時をすでにまわって、張り込みをしてから一時間を過ぎたとこであった。
その時、一つの黒い影が現れ玄関の前に立った。二人の刑事は身を固くしてその動向を見ていた。
玄関の照明により黒い影は若い女のように思える。
”ピンポ〜ン・・・ピンポ〜ン”
中からは何の返事もない・・・。
ピンポン・・ピンポン、ピンポン・ピポン・ピポン…ポン・・・。
「浩・・・出て来て、その女が邪魔をしているのでしょう・・。分かっているわ、今助けてあげるぅ〜・・・。」
若い女は、手と足でドアを叩いたりけり始めた。
「行くぞ・・・。」
立花巡査部長は、野中刑事に小さく呟やいた。
「・・曽我部智子さんですね!?。」立花は背後から優しく声をかけた。
ビクンッ・・として女の動きが止まった。
「誰・・・・・?」
「岡倉南署の者です。」
振り向いた女に、野中は警察手帳を見せた。
そのおんな、曽我部智子は警察手帳を見るとニヤリと笑い。
「浩を助けに来てくれたのね・・・この家の女が、浩を・・浩を私から遠ざけているのよ、浩を助けてあげて・・・!!。」
曽我部智子は勝ち誇ったように叫んだ。
二人の刑事は顔を見合せた。
「曽我部智子、ストーカー禁止法により、貴女を緊急逮捕します・・・。」
野中刑事はそう言うと女に手錠をかけた。
女は一瞬ポカンとしていたが、「この家の女が、女が、私と浩の仲を・・・。」
「・・貴女は自分では気付いて無いかも知れませんが・・・ストーカーなんです・・・。」
立花は女の身体を自分の正面に向け強い口調で言った。
「ス・・ストーカー?!・・わ・・わたし?」
その女の言葉に、二人の刑事はゆっくり頷いた・・・・・・。
その夜、捜査本部で曽我部智子は全てを自供した。
川中 浩との駆け落ちの為、神崎真理と大下和美の蒸発を利用した事。
雨のホテルの屋上で別れ話のもつれから川中 浩と無理心中を謀ろうとした事。
その際に、一人の中年男があおりを受けて転落死して、怖くなって逃げ出した事。
その時から、自分自身が分からなくなった事。
・・自供した曽我部智子の大きな瞳からは、大粒の涙が頬をいつまでも濡らしていた・・・。
岡倉女子短大 曽我部智子蒸発事件は、捜査本部の思ってもみなかった展開で結末を向かえた・・・・・。
ストーカー (完)