第92話 ゴブリンとかにとって僕は河豚みたいな存在らしい
お待たせいたしました。
「何から話しましょうか……」
自称女神イフェの使徒様が日本酒が入った杯を傾け、ゆっくりと話し始める。
その場の地上世界の住人は、皆、使徒様が紡ぐ言葉を聞き逃すまいと、息を殺して耳を澄ましていた。
ここ数日、ヴェルモンの街で立て続けに起きまくっている奇跡のうち、最新の奇跡が女神イフェの膝でスヤスヤと寝息を立てている。
そのダークエルフの幼子のプラチナブロンドを、イフェ様が杯を持っていない方の手で梳いている。
その瞳はお昼寝をしている幼いわが子に向ける慈母のそれだった。
「そもそもこの世界に遍く存在し、人間はもとより亜人をも含めたヒト種の天敵とも言える魔物とかモンスターと呼ばれる存在はどこからきたのか?」
女神イフェはそう切り出した。
「この世界には、ハジメさんがいらした世界ではあまり知る人のない魔素……マナと呼ばれる……ハジメさんに理解しやすい言葉で言うところの…そうですね、一種のエネルギーが、そこかしこに満ちています。その存在が広く知られ、使う術が古より連綿と伝えられてきました。ですからこの世界では魔法が発達しているのです。そして、マナは魔法だけではなく、ヒト種を始めとするあらゆる生き物の生態にも影響を及ぼしているのです」
「モンスターや魔物と呼ばれる生き物たちは、野山や森に町や村にいる生き物……、犬や猫、鼠。猪や熊に鹿、狼などの動物や、蟲に似ているだろう? 普通に存在している生き物と全く似ていないモンスターのほうが珍しい。それは、魔物やモンスターと呼ばれる存在が普通の生き物が魔素…マナに影響を及ぼされ、姿や能力を変質させたものだからなんだよ」
使徒イェフ様の言葉を使徒エーティル様が繋ぐ。
「そう、魔素に影響されたヒトや獣、蟲が、長い年月をかけ代を重ねた結果、魔物…モンスターへと変質したのじゃ」
そして、使徒ヘミリュ様が締めくくった。
「で、では、ゴブリンは……、もともとヒトだったというのですか?」
魔物という生き物の成り立ちを知ったヴィオレッタお嬢様が、人間の脅威であるゴブリンの素となった生き物に考えが及び、震える声でつぶやいた。
そのつぶやきに自称使徒イェフ様が噛んで含ませるように答える。
「こと、ゴブリンやオーガといった悪鬼と呼ばれるモンスターはヒト種や猿が何代にもわたって魔素と穢れに曝され変質したものなのです。今ではもう、二足歩行ということにしかヒト種であったころの名残はとどめていません。もはや完全に別の存在です」
「マナと穢れ……でございますか……」
「穢れ……」
エフィさんが反芻してこめかみを押さえ、ヴィオレッタお嬢様は酒盃をあおる。
僕は女神様の膝枕なんていう身の程をわきまえない贅沢至極な状況にある元ゴブリンプリンセスを見下ろした。
「これは……この子は、本当に稀なのですよ。先ほどハジメさんと戦ったこの子の怪我を『わたし』が手当てをいたしました。ちなみに、わたし達が使う回復魔法には、祝福や加護がもれなくついています」
「ハジメ君の世界で言うところの応募者全員プレゼントってやつだね」
「妾たちが地上の生き物に回復魔法なんぞを使うこと自体が、まず、ありえないことであるからの。それくらいのオマケはよかろう」
ってことは、この、ゴブリンから、ダークエルフへの普通はありえない種族チェンジは、女神イフェの回復魔法にオマケでついてきた女神イフェの祝福の産物ってことなのか?
「ええ、そうなのです。わたしの回復魔法に付与されている祝福で穢れが落ちて、ゴブリンであった部分がその存在を維持できなくなったのです」
僕の心内を読んだ自称使徒様が答えてくれる。
「ダークエルフの祖は神が祝福を与え、穢れが落ちたヒト種起源の魔物なんだよ。エルフが穢れてダークエルフになったわけじゃない」
「で、あるから、エルフはダークエルフを忌み嫌い、敵視するわけなのじゃ。元は同じなのにのう」
そこで僕はひとつの疑問が残った。
それは、なぜ、女神イフェが、ゴブリンプリンセスに回復魔法をかけたのか? いや、そもそも、なぜ、僕がゴブリンプリンセスを殺そうとしたのを止めたのか?
ヒト種の生存を脅かすゴブリンを大量発生させる可能性のあるゴブリンプリンセスをだ。
生命の女神イフェは全ての生命に平等なはずで生存競争はただ見守るしかないはずだ。
そして、僕とゴブリンプリンセスの闘争は生存競争の範疇のはずだから、通常ならばあそこで女神イフェが僕とゴブリンプリンセスの戦いに割って入ることはしないはずだ。
「それはね、ハジメさん。この子があなたの眷属となったからです」
「「「「「「ええええええええッ!」」」」」」
自称生命の女神イフェの使徒様の爆弾発言に、自称使徒様方とルーデル、リュドミラ、オドノ社長、ゲリさん、フレキさん以外がぶったまげて寝た子を起こすような大声をあげた。
幸い、ここから使用人の寝室は遠いから女の子たちがびっくりしてベッドから転げ落ちることはないだろう。
「どっどどどどどど、どういうことですか? 僕の眷属って!?」
「あら? ハジメさん、あなた、この子に自分の血肉を分け与えたじゃありませんか」
「あ……」
右わき腹がツキンと痛む。
ゴブリンプリンセスに抜き手を見舞われ生き肝を抜かれたときの痛みが甦った。
あれを分け与えたなんていうのは語弊が過ぎる。あれは強奪されたっていうんじゃないか?
「わたし、初めはハジメさんからこの子を引き取り、人間が寄り付かない深山幽谷の清浄な気と魔素が尽きることなく湧き出す場所に庵を結んで住まわせるつもりだったのです。そうすれば、ハジメさんがゴブリンプリンスの願いをかなえることにもなりますし、わたしが祝福を与えずとも、この子の寿命のうち半分くらいの時間をそこで過ごせば穢れも徐々に落ちてゆくだろうと思ったのです……」
僕だって、ゴブリンプリンスがいまわのきわに僕に託したプリンセス命をどうにかできないだろうかと思っていた。
できればここで静かに暮らさせてやりたいと思っていた。
だが、プリンセスはここから逃げ出そうとした。
おそらくはそれは、ゴブリンとしての本能に根ざした行動だろう。
僕にはそれを看過することができなかった。
今回は連れ戻せても、いずれ連れ戻せなくなるかもしれない。そうしたら、またこいつは森に入ってゴブリンどもを量産する女王蟻のようなものになるかもしれない。
それは、ヒトにとってとんでもない脅威となるだろう。
最悪大規模なゴブリンパレードを引き起こすかもしれない。
今度はそれを防げないかもしれない。
さっき、ゴブリンプリンセスがお屋敷から逃げ出したときに僕はそのことに思い至り、プリンスとの約束を違える決断をしたのだった。
「ハジメさんとこの子が戦い始めたとき、それもまたいたし方のないことだと思いました。ここで命脈が断たれるなら、生存競争の上でのこと、生き残れないならばそこまでだと。ただ、この子は知ってか知らずかハジメさんの生き肝を喰らいました。ハジメさんの血肉はそのすべてが女神イフェに祝福されているのです。穢れをまとったものには神の祝福は猛毒です。体を維持できなくなって瞬時に崩壊してしまうはずなのです」
じゃあ、ゴブリンプリンセスは僕の生き肝を食った瞬間に体が崩壊して塵と消えているはずだった?
「ああ、そうなんだ。それが穢れをまとった魔物の普通なんだよ」
「稀有なことではあるが、あるのじゃのう。穢れをまとっているはずなのに、なぜだか神々の祝福を受け止められるものが」
自称使徒様方が自称使徒イェフ様の言葉に追従する。
「ハジメさんの肝を喰らって平気でいられたこの子は、あの時点でハジメさんの眷属となっていたのです。いわば、この子はハジメさんの娘みたいなものです。ハジメさんはわたしの眷属ですからこの子はヒトの世界で言うところのわたしの孫のような存在となったのです」
って、僕はまだ子供ができるようなことしたこともないのに、いきなり娘ができちゃったぞ。
子宝に恵まれる前にその前段階を是非とも踏みたかったぞ。僕だって健康な男子だし、前世の僕はああいう状態だったから諦めてたけど……。
「我々はね、血族同士の殺し合いを黙って見ていられるほど、超越してはいないのだよ」
使徒エーティル様が四斗樽の下部に付けられた蛇口の木栓をひねって杯に日本酒を満たす。
そして、エーティル様の言葉を繋いで、使徒ヘミリュ様がアイスクリンの匙を咥えてのたまった。
「で、あるから使徒イェフは貴様とゴブリンプリンセスの戦いを止めたのじゃ」
なるほど、穢れた魔素に影響されて魔物になったゴブリンなんかから穢れを落とせば、普通の生き物に先祖返りする。
だが、穢れた魔素に影響された魔物にとって神の祝福は肉体が塵となるくらいの猛毒だ。
だから使徒イェフ様は深山幽谷にゴブリンプリンセスを連れて行き、清浄な魔素に長い年月をかけてあて続けて普通のエルフに戻そうと思っていたわけか。
だけど逃げ出そうとして僕との戦闘になり、なぜだか猛毒であるはずの僕の肝を食って平気だったから、女神自ら祝福を与えて瞬時に先祖返りさせた。
ただ、魔物だった名残がダークエルフという種族として残ったということか。
それにしても、血を分けて眷族を増やすなんて、なんか吸血鬼みたなスキルだな。
おまけに、穢れをまとった魔物にとって、僕の血肉が有毒なんて、まるで河豚みたいな……。
「うふふ、ハジメさん、血や肉を分け与えるだけではなく、他にも眷族を増やす方法があるのですよ」
あからさまに頬を上気させ、瞳を潤ませて自称使徒イェフ様が囁く。
その、おそらくは恥じらいに紅く染まった頬に、僕は、自称使徒イェフさんが言うところの眷族を増やす方法に思い至り、かっと耳が熱くなる。
なんてこった、こういうときはやたらに察しがいいぞ僕!
「い、いや、その、それは……」
僕が赤面して口ごもった瞬間、ヴィオレッタお嬢様の怒声が僕の鼓膜を揺さぶった。
「ハジメしゃんっ! どーゆーことれふかっ! ゴブリンプリンセスと戦ったでひゅって? 生き肝食われたでしゅってっ! わらひがみへいないところれあなたは何をしているんでしゅか!」
その黒板を引っかくようなお声の方に振り向くと、そこにはオーガキングも裸足で逃げ出しそうな形相で僕をにらみつけるヴィオレッタお嬢様の真っ赤なご尊顔があったのだった。
17/04/09 第92話 ゴブリンとかにとって僕は河豚みたいな存在らしい の公開を開始しました。
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