第55話 完成! カルボナーラ!
お待たせしたしました。
「さて……と」
僕は大きな鍋にたっぷりと水を張り、竈にかける。
「うわあ! お鍋の中で泳げそう!」
調理台で、ケバブを温めているサラお嬢様が驚いた声を上げる。
「まあ、ほんと! いっぱいお湯を沸かすのですね、ハジメさん」
野菜をスープ鍋にすべて投入し終わって一息ついているヴィオレッタお嬢様も驚いている。
「ははぁ、サラが言う通り、まったくもって泳げそうでございますねハジメさん! さては、さては、今晩のメニューは麺ですね!」
エフィさんも冷蔵食品庫から持ってきた太いソーセージを切り分けながら、今晩のメニューを言い当てた。
「大正解ですエフィさん。今日は麺料理を食べていただきます」
「「「わあっ!」」」
厨房に歓声が響く。
「ハジメ! わたし、麺大好き!」
「私も大好きです! どんな麺になるのか楽しみです」
「うん、みんなの期待に添えるようにがんばって作るね!」
パスタを茹でる鍋に、たっぷりめに塩を入れ、オリーブオイルを撒く。
油を入れるのって麺同士のくっつき防止には意味が無いらしいけれど、ふきこぼれ防止には効果があるらしいので僕はスパゲッティを茹でる際には入れることにしている。
塩加減は、今日の料理の場合少ししょっぱいと感じるくらいがいいと思う。
さて、お湯を沸かしている間に、具材の準備だ。
卵とベーコンを冷蔵食品庫から取り出す。
買ってきた硬くて大きくて重いチーズとクリームも調理台の上に出してある。
ベーコンの端のたっぷりと煙がかかった部分を数ミリ切り落とし、五ミリくらいの厚さにスライス。それをさらに五ミリ幅くらいにカット。角柱状に切り揃えてゆく。
ベーコンのカットが終わったら、今度はニンニクとタマネギだ。
クック○ッドなんかでちょくちょく見かけたレシピや、イタリアンレストランのシェフが公開しているこの料理のレシピに、ニンニクを入れるというものを見かけたことは無い。
だけれども、僕はニンニクが大好きだ。いや、「ニンニク旨し」を信仰しているといっても過言ではない。
そもそも、イタリア料理というものはオリーブオイルとニンニク、そして、トウガラシでできていると確信している。
だから、僕はきょうの料理にもニンニクを入れる。
そしてタマネギは、繊維にそって二ミリくらいの幅で薄切りにする。
次は、卵とチーズだ。
六人前だから、さすがに量がものすごい。卵十二個をボウルに割りいれときほぐす。
そして、今日、鍛冶屋で作ってもらった秘密兵器。これがあるからこそ今日のメインは成り立つ。
今日、鍛冶屋で僕が作ってもらったのは、薄い鉄板に穴を開けて湾曲させた『チーズグラインダー』だった。
すなわち、硬くて重いチーズをすりおろし、粉状にするための道具だ。
塊からやっとこさ切り出した硬いチーズを、作りたてほやほやのチーズグラインダーで、ゴリゴリとおろしてゆく。
そして、すりおろしたチーズを溶き卵の中に投入、よく混ぜ合わせる。
「ハ、ハジメさん! 私、何が起ころうとしているのかさっぱり見当がつきません」
ヴィオレッタお嬢様がうろたえている。
「大丈夫よお姉ちゃん! ハジメはとんでもなくおいしいものを作ってくれるわ!」
「ふうむ、非才もこのような麺料理は、初めて目にします。……が、これがおいしいものであろうことは確信できます!」
やっぱり、こっちの世界では、今僕が作り始めたパスタは、まだ、知られていないようだ。
ベーコン、卵、クリームに粉チーズ。
この材料で、僕が今日作ろうとしているものは、『スパゲッティカルボナーラ』だった。
もちろん黒コショウだってある。
大交易商人を破産させるくらいに大暴落はしたが、まだまだ庶民には浸透していない。
一昨日、セスアルボイ亭のオーナーシェフがルーとエフィさんに持たせてくれた食材の中に、黒コショウもあったのだった。
「ハジメさん! スープ出来上がりました!」
「ハジメ! お肉もあったまったわ!」
「お疲れ様です、では、ルーとリューダを呼んで来て、スープとお肉を食べ始めててください。麺料理がありますから、食べる量には気をつけてくださいよ。あ、エールとワイン、それから果汁も持っていってくださいね」
そう言った僕に、ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様が頬を風船のように膨らませ、不満がこもった視線を投げつけてきた。
「ハジメさん! 昨日は、お父様の弔いの宴ということでしたし、三柱の女神様がおいででしたから、ハジメさんに調理と給仕をしていただきましたけど!」
「これから食べるのは、いつものふつうのごはんなんだよハジメ!」
お嬢様方が何をおっしゃっているのか、僕にはいまいちよく分からない。
「ハジメ! わたし、みんなで一緒にいっせーのせで食べるのがいい!」
「私もです、ハジメさん!」
「そうでございますね。みんなで一緒に、感謝の言葉を捧げてからいただくのがいいですねぇ」
ああ、なるほど、そうか、全員が揃って一緒に食べ始めるという、いわば家族の毎日の儀式を大事に考えているんだこの方たちは。
こっちに転生して来るまでの約十年間、僕は家族というものがあって無き如く過ごしてきた。 どこかに出かけて食べるのも、自分で作って食べるのも、お店のカウンターで同席する以外一人きりだった。
だから、でき上がった端から、冷めてしまう前に食べてもらおうと考えていた。
一昨日の餃子は、料理があれ一品だったから、出来上がりと同時にみんなで食べることができたけど、昨日今日は、品数が多いから、できた端から食べてもらえばと考えていた。僕は僕で厨房で僕の分を取っておいて食べるようと考えていたのだった。
エフィさんにしたって、昨日は女神様方の前で、あまりにも緊張して、食べられそうにも無かったから厨房で食べてもらっただけで、今日はみんなと一緒に食べてもらえるだろうと思っていた。
「ハジメさん!」
「は、はいッ!」
「ハジメさん、おっしゃいましたよね。私たちは家族だと! あれは、嘘だったのですか?」
ヴィオレッタお嬢様が詰め寄ってきた。
確かに言った。一昨日、食事処セスアルボイ亭で、みんなを奴隷から解放したときにそう言った。僕は家族と一緒に食事をしたいんだ……って。
「いえ、僕は嘘はつきません」
っていうか、ヴィオレッタ様やサラ様、エフィさんにリュドミラ、そして、ルーデル。この人たちにだけは嘘をつきたくないと、僕は思っている。
「じゃあ、ごはんをいっしょに食べて」
「家族はいっしょにご飯を食べるものです! 私は父母にそう教わりました!」
あらためて家族という言葉を突きつけられ、照れくさくなった僕は助けを求めようとエフィさんに視線を送る。
けれども、女神イフェと大地母神ルーティエの使徒様はニコニコと微笑むばかりで僕を助けてくれるような言葉をその口から発してくれるような素振りさえ見せてくれない。
僕は大きくため息をつく。
「ごめんなさい。僕が悪かったです。みんなが揃ったテーブルでみんなで一緒に食べましょう。ヴィオレ様とサラ様は、引き続きスープとお肉の保温をお願いします」
「「はいッ!」」
ものすごく元気なお返事が返ってきた。二人はニコニコとコンロに向かう。
「ハジメさん! お湯が沸きましたよ」
エフィさんが竈にかけていたパスタを茹でる鍋が沸騰していることを告げてくれる。
「じゃあ、かかりましょう!」
僕は人数分のパスタを投入する。
ぎゅっと捻って落とすと勝手に円形に広がってくれるんだけど、さすがにこの人数分はきついので、半分ずつの投入だ。
徐々に鍋底に沈んでいくパスタを眺めながら、フライパンを竈にかけ、オリーブオイルを多めに入れる。
使い込まれて黒光りしている立派な鉄製のフライパンは、手首をぐるりと回すだけで、ぱっとまんべんなく油が広がり馴染む。
そこへ、微塵に刻んだニンニクを入れて、ふわっと香りが立ち上がったら、タマネギとベーコンを入れていためる。
ベーコンに焼き目がついてカリカリになったところで、クリームを投入。
塩と細かく挽いたコショウで味を整える。
このときの味付けは好みだけれど。僕はしょっぱ味が足りないかなと思うくらいにしている。
卵を入れるから濃い目がいいという意見もあるけれど、僕はこのときは薄めに味付けをする。なぜなら、卵には熟成した濃い味のチーズがたっぷりと入れてあるからだ。
それに、パスタにも下味がついているから、ぼくは、断然この時点では薄味にしている。
クリームを投入して少し立つとフライパンのふちが泡立ってくる。
「ハジメさん麺をお願いします!」
エフィさんが麺が茹で上がったことを教えてくれる。
パスタを一本とってチュルリとすする。うん、アルデンテだ!
茹で汁を少しとっておいて、大ザルにパスタを空ける。湯切りをしてオリーブオイルをふりかけ、ザルをちゃっちゃと上下させてオイルを回す。
そして、壁にかけてあった大きなボウルを調理台に置いてパスタを移す。フライパンの中は少しだけ沸騰が始まっていた。
フライパンを火から下ろし、取り置いておいたパスタの茹で汁を加える。
そして、卵とチーズを混ぜて馴染ませておいた卵液を盛大にぶちまける。少しかき回して、茹で上がった六人前のパスタに空けて、手早くかき混ぜる。
余熱でチーズが溶け、卵に火が通ってゆく。
ふわっと溶けたチーズの香りが厨房に漂う。
「っしゃッ!」
そこに荒く挽いた黒コショウを散らして……。
「完成です! これは、カルボナーラっていいます!」
「「「わああああああッ!」」」
お嬢様形の歓声が厨房の空気を振るわせる。
「なんだなんだ? すっげーいい匂いだぞ!」
「またハジメが、なにかおいしいものを作ったのは予想できるのだけれど」
蕩けたチーズの匂いに誘われて来たのだろう。ルーデルとリュドミラが扉の無い厨房の出入り口から熱いまなざしをこちらに向けてくる。
「では、皆さん食事にしましょう! リューダ、ルー! 食器を並べるのを手伝って!」
「エールの壺はまかせろ!」
「ワインの壺と果汁の壺はわたしが持っていくわ」
ルーデルとリュドミラが冷蔵食品庫に走る。
君たち、応接室で飲んでたよね? それ、もう全部飲んじゃったの?
「スープをつけましょう」
ヴィオレッタ様が器とお玉を構え、
「わたし、お肉を持っていくわ! 薄パンもかごに入れて持っていくね!」
ケバブを盛ったボウルと薄焼きパンを入れたかごをサラ様が抱える。
「非才は『かるぼなーら』を盛り付けましょう」
そして、エフィさんがローストビーフを切ったときに使った刺又みたいなフォークにくるくるとパスタを巻きつけ、皿に上品に盛ってゆく。
みんなが踊るように食事の場を整えてゆく。
それはまるで、温かい風を感じるような絵画に描かれていた情景のようだった。
僕はその絵をどこで見たのかはすっかり忘れているんだけど(きっとネットかなんかで見たことがるんだろう)妙に懐かしさを感じる絵だったことは覚えている。
「ああ……あ、わッ」
僕は慌てた。
だって、僕の頬を暖かい液体が流れていたから。
「ハジメさん?」
ヴィオレッタ様が、とととっと傍に来て僕の涙を拭ってくれた。
「煙が目に入っちゃいましたね」
そう言って目を細めるヴィオレッタ様の笑顔が、また、滲む。
「ま、全くです。生木が混じっていたに違いないですね」
僕は照れて俯いた。
そして……。
「ありがとう、ヴィオレ」
と、我ながら情けなく、蚊が鳴くような声でつぶやいた。
が、その呟きは聞き逃されなかった。
「……ッ!」
すぐ傍で息を呑む気配がする。
僕は未だに涙でかすむ視線をそちらに向ける。
「ハジメさん……」
そこには、潤んだ瞳で僕を見つめ、微笑んでいるヴィオレッタがいたのだった。
17/01/10 第55話『完成! カルボナーラ!』の公開を開始しました。
ご愛読、誠にありがとうございます。
今回、主人公と、メインヒロインの距離が少しだけ近づいたような気がします。




