第50話 ローストビーフサンドが姫様たちにも好評だったこと
思わず身構えた僕の目の前から。突然、領主様が消え去った。
「がだじがないいいいいいいいいいッ!!」
足元から、猛獣のような雄たけびがギルドの受付ホールに響く。
「え? え?」
雄たけびが聞こえてきた方を見ると、この地方で一番偉い人が僕に平伏していた。
それに同調するように、お供の兵隊さんたちが跪く。
周囲の空気が一瞬にして凍りついた。体感十度下がったような気がする。
「まごど、がだじげないいいいいッ!! ぅばじべどのぉッ!! ごだびのごど、この、マンフリート・ハインツ・フォン・オーフェン、いぐらごどばぼづぐじでぼ、ごのがんじゃのぎぼぢいいあらばぜぬううううッ!」
「え? あのぅ……」
「お爺様は、あなたに礼をのべておるのだ! 冒険者ハジメ殿。それから、ルーデルだったな。お爺様は侯爵である、男爵とは無礼である」
ニーナ姫様が、跪いている兵隊さんたちの後ろから、戸惑っているいる僕に声をかけてきた。 助けた女の子たち、そして、ヴィオレッタお嬢様も一緒だ。その後ろには、メイドさんと、目つきの鋭い女性の剣士が付いている。
兵隊さんたちが左右に分かれて道を開け、姫様がしずしずと僕に向かって来る。
これは、僕が姫様対して礼をしないといけない場面だよな。でも僕そんなの知らないし……。
そんなことを考えているうちに、姫様が僕の目の前にやってきて、頭二つ低いところから僕を見上げる。
と、とりあえず跪いておけば間違いないよな。
そう考えた瞬間…………。
「ッ!!」
ニーナ姫様が僕の前に跪いた。
「ありがとう、冒険者ハジメ殿。妾が、今、ここに傷ひとつ無く息災であるは貴殿のおかげである。感謝の極みである。どうか、祖父と妾の感謝を受け入れてほしい。そして、できるなら、先ほどまでの無礼を容赦して欲しい」
さっきまでの無礼って……。ああ、僕のことをモンスターでも見るような目つきで睨んでいたことか……。まあ、それまでおかれていた状況からして、あれは仕方ないと思う。
「あ、はい、それは、もちろんです。けど、僕は何もしていないので、それは、他のみんなにどうか……」
そこまで言ったとき、記録水晶がへっぽこなファンファーレを奏でた。
記録水晶に手をのせっ放しだったのを忘れていた。
同時に、受付窓口から、福引の特賞にでも当選したときみたいな鐘を鳴らす音がホールに響いた。
「お、おめッ、おめッ、おめでとうございます冒険者ハジメさん! えーっと、ゴブリン討伐五十体十件のクエスト達成が確認されました。よって、F級からC級への特進が認可されました!」
カトリーヌさんが、おっかなびっくりとひっくり返った声で宣言する。
実に職務に忠実な人だなぁ。
「は、ははは。すみません、クエストの報告の最中だったもので……。領主様、ニーナ様、どうか頭をお上げになってください。ニーナ様をお助けできたのは、偶然ですから。でも……」
ゴブリンの拠点洞窟の中で見た骨の山を思い出して、僕は俯いた。
「ハジメ殿、貴殿が考えていることは理解できる、だが、それは、領主としてワシが不徳を悔いることだ。どうか、貴殿らが成し遂げたことだけを誇って欲しい」
逞しい腕が僕を抱き寄せる。
傍から見たらかなりあやしい構図だ。
だけど、ギルドの受付ホール中から鼻をすする音が聞こえてくる。
今、ヴェルモンの街の冒険者ギルドは感動の渦が大回転していた。
パサリ……。
僕の足元から不気味な落下音が聞こえてきた。
感動の渦が大回転しているはずの冒険者ギルド受付ホールのそこここから、吹き出し笑いが聞こえてくる。
そしてそれはやがて大きな渦を形成してゆく。
「だぁッはッはははははははは!」
誰かが我慢しきれずに爆笑し始める。
それが蟻の一穴だった。あっという間に、そこにいたみんなの理性の堤防は決壊した。
見回せばみんなが笑っていた。
ヴィオレッタお嬢様も、サラお嬢様も、ルーデル、リュドミラもエフィさんも、マスターシムナ、受付嬢カトリーヌさんも領主様もお供の兵隊さんたちも、ニーナ姫のお供の二人も、たむろしていた冒険者たちも、そして、僕らがゴブリンの洞窟で助けたノーマちゃん、マリアちゃん、エルフの女の子、そして、ニーナ姫様も……みんな、みんな笑っていた。
(うん、これで、いいんだ)
「はは、あははははははは!」
僕も笑った。もちろん肝心なところは手で隠してだ。
夜の帳がすっかり落ちた辺境最大の街ヴェルモンの冒険者ギルドは、爆笑の大渦に飲み込まれていたのだった。
「ハジメ!」
頭二つ低いところからお姫様が僕を呼ぶ。
「はい、なんでしょう姫様?」
「さっき馬車の中で食べたパンに肉を挟んだものを、また、食べたいのだが、可能だろうか?」
そういえば、馬車で街に帰ってくる途中、救出した女の子たちが「お腹がすいた」と訴えたので、マジックバッグにしまっておいたお昼のお弁当の残り、つまり、ローストビーフサンドと果汁を差し上げたんだった。
僕が余り食べられなかったから、ずいぶん余っていたので丁度よかった。
ルーデルの手綱捌きが格別なおかげで、馬車がほとんど揺れなかったこともあって、普通に食べてもらえたのもよかった。
たしかに、みんな「おいしい、おいしい」とたべてくれていたっけ。
「お願いなのだ。対価にたいしたものは用意できぬ。妾は民が納めてくれている税で暮らしておる。着る物も食べる物も殆どが領民から徴収した税でまかなわれておる。貴族として他家に侮られぬよう贅は凝らすが、それは本意ではない。だから、ハジメが作ってくれる料理に十分な対価は用意できぬ。だが……、初めてなのだ。食べ物がおいしいと思ったのは今日が初めてなのだ。だから、だから……」
「いいですよ、姫様。お作りいたしますよ。対価は……そうですね、姫様の笑顔ってことで」
僕は片目をつぶった。
ほぼ全裸の男が幼女期を脱したばかりの女の子にウィンク……。うぷッ、自分でやっててなんだけど、キモいことこの上ない。
「ハジメ……」
僕の仕草を気味悪がる様子も無く、ニーナ姫様が目を潤ませる。
「さすがですニーナ様! ハジメのお料理はとってもおいしいんですよ!」
「そうね、さっき姫様がお召し上がりになったのは、夕べの余り物で作ったものなのだわ」
サラお嬢様とリュドミラの推薦の辞に、お姫様が目をまん丸にする。
「なんと、なんと、なんとッ! あれが余り物と? セアラ・クラーラ! おぬし達はなんという贅沢な!」
「それだけじゃねーぜ、姫様! デザートがまた、めっちゃうまかったんだぜぇ!」
あ、ルーデルが姫様煽りに参戦してきた。
「デザート……、と、いうと、珍奇な果物かえ?」
「いえいえ、あいすくりんという冷たくて甘いお菓子です」
フンスとサラお嬢様が胸を張る。
「ほおおおおおッ! 想像がつかぬ。冷たい菓子とな。妾の知識にはそのようなもの存在せぬ。そもそも砂糖などというものは、そんなにふんだんに使ってよいものではない……」
なんか、ものすごくかわいそうな子に思えてきた。この子侯爵令嬢様だよね。お貴族様だよね。
お貴族様って、民衆の苦しみの上に胡坐をかいて贅沢するもんじゃないの?
ああ、それなら、さっきみたいに領民のみんなからお先にどうぞなんて言われないよな。
いい子だ、ほんっといい子だ。この子のおいしいものを食べたときの笑顔が絶対見てみたい。
僕はニーナ姫様に跪く。
「姫様、お約束します。必ず姫様においしいものをお召し上がりいただきます。もちろん、さっき、馬車でお召し上がりになられたローストビーフサンドもです」
ニーナ姫様はほんのり頬を染めて微笑む。
「ありがとう、ハジメ……。そう呼んでかまわなかっただろうか?」
今更ながらに姫様が尋ねる。
「はい、どうぞ、気安くお呼びください」
僕は全裸にマントを羽織っただけの変態スタイルだ。もちろん股間は手で隠している。
「うん、ありがとう、ハジメ」
そんな変態スタイルな僕に、姫様は微笑みぺこりと頭を下げる。
そして、メイドさんと目つきが鋭い女剣士さんと姫様と一緒に助けた女の子たちのところへ小走りに駆け戻っていった。
傍から見たら露出狂の変態から逃げ出す幼女だ。
僕はニーナ姫様のために、何かおいしいものを作ろうと固く心に誓った。
だけど……。
うん、姫様が、そう望まれても、領主様のお城には専任の料理人がいるだろうから、きっと実現は難しいだろうな。
僕なんていう、解放奴隷が作ったものをお姫様に食べさせるなんて、お城の料理人のプライドを傷つける行為になりかねないからなあ。
「皆、喜べ! 冒険者ハジメ殿が妾たち『東の森の乙女』のために、また、あれを作ってくれると約定してくれたぞ」
女の子たちから「わあっ!」と、歓声があがった。
あ、いきなり公表しちゃったよお姫様……。いつの間にか、サークル結成して名前までつけてるし。
存外侮れない方なのかもしれないなニーナ・マグダレア侯爵令嬢。
16/12/27第50話『ローストビーフサンドが姫様たちにも好評だったこと』の、公開を開始しました。
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