第2話 僕は442番からハジメになった
「菫……」
そこに立っていたのは、幼馴染の菫にそっくりな女性だった。
いや、正確にはそっくりじゃなくて、よく似ている程度だと思う。だって、菫は金髪碧眼じゃなかったから。
「ヴィオレッタお嬢様……」
ビーグル犬のような垂れ耳の45番が、僕の幼馴染にそっくりな女性の名前を呼びかけ、深々と頭を下げた。
それに44番も続く。
僕もそれに習って、頭を下げる。
必然的に、僕に体当たりをするように抱きついてきた小柄な少女の頭頂部に、鼻先がくっつくそうになる。
「むふんッ! 442番くすぐったぁい!」
少女が僕の胸に顔をぐりぐりとこすり付け、甘えた声で抗議する。
「これこれ、サラ、442番にそんなに甘えてはいけないよ。442番は死にかけていたのだから」
国民的RPGの4に出てきた商人にそっくりな442番のご主人様は、僕のことを気遣うように、サラという少女をなだめる。
「そうよ、サラ、あい……442番を離してあげなさい」
ヴィオレッタお嬢様と呼ばれた女性もサラお嬢様を、なだめるが、サラお嬢様は僕にしがみつく力をゆるめようとしない。
「でも、でも442番が……ぅう」
少女は僕を潤んだ瞳で見上げる。ひょっとして、442番のことを心配してるのかな?
「大丈夫ですよサラお嬢様。442番はもう大丈夫ですから。もう、元気ですから」
できるだけ優しい声色で、僕は少女に話かける。
「ほんと? 442番、もう、死なない?」
「はい、442番は2度と死んだりいたしません」
たぶんこれは絶対嘘じゃないだろう。イフェ様との契約が効力を発揮していたから、442番こと、僕は生き返ったのだから。
「あい……442番……本当にありがとう。いくらお礼を言っても貴方に受けた恩に報いきれない」
「ああ、そうだとも、お前には、何をもって報いたらいいのか……。一番なのはお前を解放してあげることなのだろうが、生憎と契約解除の儀式を執り行う設備を持って来てないのだ。私達の町に帰り着けば、屋敷に儀式用の設備一式があるから……そ、そうだ、町に帰り着いて、契約を解除するまで、仮解放というのはどうだろう」
10年いや、5年計画で自分を買い戻すつもりでいた僕としては、急な展開で面食らってしまうが、奴隷の身から解放されるのは渡りに船ってことでいいかな?
いや、待てよ、僕は、まだ、こっちの世界について何も知らないんだよな。
知っていることといったら、ケモミミっ娘がいること、奴隷は番号で呼ばれるってこと。
そして、僕は442番で、垂れ耳の娘が45番、ウサ耳っ娘が44番。
あとは、商人らしきご主人様がキャラバンを率いていて、土漠を旅している。ご主人様には現在判明しているだけで二人娘さんがいて、どうやら442番はこの子たちを庇って、ケニヒガブラとかいうのに咬まれて死んだってこと。
それくらいだな。僕がこの世界について知っていることは。
したがって、もう少しの間は……そうだな、1年位かな……このご主人様のところで衣食住を保障されて暮らしてみたいってところが本音なんだけどな。
だからといって、解放してくれるって言うのを、断ったら波風立つだろうし、どうしよう。
「お父様、それでしたら、私達の街に帰り着くまで、解放したあとの練習というのはいかがでしょうか? 442番に名乗りを許すのです。そして、帰り着くまで、我がキャラバンの荷役担当の奉公人として働いてもらうというのは?」
ヴィオレッタお嬢様が、ご主人様に提案している。
「おお、それはいい、では、荷役奴隷442番を仮に解放することとする。そして、同時に荷役夫として、街に帰還するまでの間雇い入れる。これは、たった今から有効な宣言である。ここにいる我が娘たちが証人である。44番、45番お前たちも知っておいておくれ。442番よ、お前に名乗りを許そう。たった今より、生まれたときに授かった名を名乗るがよい。もし、元の名に不都合があるならば私が名づけてもよいが?」
ご主人様はにっこりと僕に笑いかけてくれる。
だけど、僕は442番の本当の名前なんて知らない。さて、どうしたもんだろう。
あ、そうだ。
「旦那様、実は、私、死の淵を彷徨っておりましたおり、生命を司る女神のイフェ様というお方にお告げをいただいたのです」
「なんと……生命を司どる神といえば死神のこと。かの神は、無貌無名の神だが、イフェと名乗ったと」
「はい、確かに。で、その神がおっしゃるには、今一度の命と名を与えようとのことでした。そして、私は命をとりとめ、こうしているわけでございます」
旦那様は腕を組み、考える。
「ふむ、で、その名とは?」
「皆様方の御名とは、かけ離れた異国風の名でございました」
「ふむ、死神とはいえ神は神。あまつさえ、お前に今一度の命を与えたもうたのだ。もうひとつ与えられた名を名乗らぬのは、不敬であろう。では、その名を名乗るがいい」
「はい、ありがとうございます旦那様。では、荷役奴隷442番はこれよりハジメを名乗りとうございます」
「なんとも、不思議な響きの名だ。まさに神が与えたもうたような名だな。よろしい、これよりお前をハジメと呼ぶことにしよう。いいなみんな」
いつの間にかご主人様を中心に、キャラバンの人たちが集まっていた。
「これからもよろしくね、ハジメ!」
「へんな名前ね。ホント異国風。舌噛んじゃいそう」
「44…っと、ハジメ、おめでとう!」
「ハジメ! これからもよろだぜ!」
44番やサラお嬢様、45番がそして、キャラバンのみんなが口々に喜んでくれている。そんな中、ただひとり、ヴィオレッタお嬢様だけが、どこか、さびしそうな翳をまとって、僕に問いかけてきた。
「その名を本当に名乗るの? あい……」
ヴィオレッタお嬢様的に、僕に名乗らせたかった名前があったみたいだ。だが、僕の名前は藤田一だ。それ以上でも、以下でもないと思う。いまさら別の名前に変えるなんてできない。
そして僕は荷役奴隷442番からハジメへと名前が変わった。
「ゼーゼマンの旦那! できたぜ!」
そう言って旦那様の名前(今初めて知った。まるで「アルプスの少女ハ○ジの登場人物で、フランクフルトに住んでるお金持ちの名前だ)を呼びかけながら、あまりガラがよろしくない数人の剣や弓、槍で武装した人たちが現れた。
たぶんこういう人たちのことを冒険者っていうんだろうな。
「お、442番もう起きられるのか。すげーなお前。ってか、44番ちゃんと45番ちゃんのサンドイッチで、ナニモカニモがビンビンに元気になっちまったってか?」
なにもかにもにおかしなアクセントをつけているところ、ゲスのかんぐりもいいところなんだが、なんか妙に憎めない愛嬌がある人だ。大きな剣を背負ったいかつい人なのに。
ほんとうに変な雰囲気の人たちだ。冒険者ってこんな陽気なひとたちばっかりなのかな?
「クレウス! 44番と45番の目つきが剣呑になってるの気がついてる?」
弓を持った女性が、ゲスなあいさつをしてくれた、リーダー格のクレウスさんという体格が立派な人の頭をナックルダスターつきの手甲でぶん殴った。
「まったくだ! そういう一言で我々の信用が失われると、なぜ、思えない!」
大きな盾を持った、重戦車みたいな体格の人が、弓の女性に追従する。
クレウスさんと呼ばれたひとは、殴り続ける弓の女性冒険者に何度もゴメンナサイを繰り返していた。
44番と45番にサンドされて、ヌックヌクのビンビンになってしまったことは事実だからべつにいいんだけど。
あ、そうだ、できたって? 何が?
僕たちは冒険者の皆さんが、できたと言っている物のところへ行く。
それはすぐに僕の視界を埋め尽くした。
「ねえ、45番、44番」
「なぁに4……ハジメ?」
「なんだい? 442ば…っと、ハ・ジ・メ」
あっけにとられつつ、僕を温めてくれたケモミミの女奴隷のふたりに聞いてみる。
「こういうのってこの土漠には普通にいるのかな」
そこにあったそれは、僕の生物の知識から大きく逸脱していた。
「普通にはいないし、当たり前に生きている人が出会うことも稀なことだわ」
と、垂れ耳の45番が教えてくれる。
「…んで、僕は、これにいったいどこを咬まれたのかな?」
僕らの目の前には、すっかりと解体アンド部位分けが済んだ、大きな爬虫類らしきものの成れの果てが、レジャーシートみたいな、敷物の上に所狭しと並べられていた。
そのなかでも、異彩を放っていたのは僕なんか丸呑みしてしまいそうなくらい大きな蛇の頭だった。
「え……っと、上あごの毒牙に胴体を貫かれていたわ」
僕は服を捲くり上げ、傷痕を探す。でかい穴が開いていて、向こう側が見えていてもおかしくないはずだが、蚊に刺された痕ひとつない。
「ああ、お前が毒の牙を、その体で封じてれくれていたから、おもしろいように攻撃が通った」
「ふふふっ、ケニヒガブラなんて、ダンジョンじゃ中層の階層ボスクラスなのよ。普通に攻撃してたら当たることなんてないから、本来なら魔法使いの独壇場ね」
「あれで死なないなんて、お前、何の加護を受けているやら」
そうか、僕はおそらく蛇の化け物もしくは大蛇に飲まれそうになったお嬢様方の前に立ちはだかり、代わりにその毒牙に貫かれて抜けなくなった。
そこを44番と45番がやっつけたってお話か。
「強いんだね二人とも」
「!!! ッぷぷぷぷぷッ!」
「! ……ふふっ、うふふふふ」
あ、しまった。へんな地雷踏んだ。
早くも僕が本当の442番じゃないことがバレつつある感じだ。
「うん、かなり強いかもね」
「わたしたち、旦那様の最後の守りだから。わたしたちの役目は、もう、ずうっと内緒で、いつも旦那様の御傍に侍っていたから、みなさんあっちのほうの奴隷だと思っていたの」
「でもさ、442番が……ハジメがそう思ってたら嫌だねって、45番といつも言ってたんだ」
そ、そうだったんだ。
ゼーゼマン氏の最終防衛ラインだったんだ、この子たち。
僕は、僕を温めてくれていた柔らかな体のどこに、そんな戦闘力が秘められているのか不思議に思った。
早速読んでくださっている皆様方ありがとうございます。
基本的に日曜月曜以外は更新したいなあなんて思っています。