第28話 屋台の中心で食欲を叫んだ女神たち
お待たせしました。
「じゃあ、がんばってね。あの子達のこと頼んだんだね」
ゼーゼマン商会から持ち出された家財道具一式、〆て金貨三十枚を支払って、僕たちはオドノ商会を後にした。
「ああ、そうだ、これはオマケなんだね」
そう言って、社長は二人分の携帯用食器とタンブラー、ナイフが入った袋をくれた。
こっちの世界の住人は、自分で食べ物を口に入れるようになると、ほとんどの人間が、スプーンと一緒に携帯用の食器を誰からか貰う。
ほとんどの人が、地元の教会や神殿で貰うのだそうだ。
小さな子供がいきなり大人用の食器を与えられ、ほとんどの人がそれを一生使うらしい。
子供用の携帯食器なんて、お金持ちの贅沢なんだそうだ。
「少年! これから、そこの屋台で軽く食べるんだね? 使徒様方は、浮世に疎いらしい、食器を持っておられないようなんだね」
そう言って、オドノ社長は白い歯を見せた。
「ああああッ! せ、聖下! 私、気がつきませんで!」
エフィさんが、またまた五体投地しそうになるのを、二人の自称使徒様がお支えになる。
「エフィ・ドゥ、私たちの無知をなぜあなたが贖おうとするの? 次にそんなことしたら、エフィ・ドゥの名を取り上げちゃいますよ」
自称女神イフェの使徒イェフ・ゼルフォさんがエフィさんの頬にキスをする。
「そうだよ、イルティエ・ウィルマ。我からも願う。どうか、堅苦しいのはティエイルたち、大地母神教団教衆の専売にして欲しい。我らが神殿以外で顕現しているときは、どうか、ヴィオレッタ・アーデルハイドたちに接するのと同じように接して欲しい」
そしてまた、自称大地母神ルーティエの使徒エーティル・レアシオさんもイェフさんとは反対側のエフィさんの頬にキスをした。
「は、はひはひぃん……ふにゃあああ……」
五体投地はしなかった。しなかったが、エフィさんはその場にへたり込んだ。
まあ、そうなるか……。こうなったらもう、再起動までかなりの時間を要するだろう。
「マスターシムナ、辻馬車捕まえて、エフィさんを連れて、ゼーゼマン商会に行っててくれますか? 僕、そこの屋台で食べ物買ってきますから、それをお嬢様方にデリバってくれると助かるんですけど」
僕は、オドノ商会近くに出ていた串焼き屋台を親指で指し示して、シムナさんにお願いする。
「デリバって?」
マスターシムナが聞き返す。
「あ、すみません。『持って行ってくれると』です」
「ああ、そういうことならお安い御用よ。エフィさんも、こんなんじゃ、しばらく使い物にならないでしょうしね」
シムナさんはそう言って、辻馬車の停留所に走って行った。
すっかり腰が砕け散ったエフィさんを、自称使徒様方の助けを借りて僕は背負った。
「かかかかッ! お大事になんだね」
オドノ商会の社長さんが店先に出てきて手を振って見送ってくれる。
「ありがとうございました、いずれ、あらためてお礼に伺います」
エフィさんの頭越しに見える隻眼の社長さんの笑顔に僕は目礼する。
「ありがとう、さすらう者よ」
イフェ様が小首をかしげ微笑む。
「我からも礼を言おう。全てを見通すものよ」
ルーティエ様もにっこりと社長に笑顔を向けた。
「なあに、いいってことなんだね、これからもごひいきになんだね」
そう返したオドノ社長の肩に、黒い鳥が降りてきて止まった。その構図を僕はどこかで見た記憶があるんだけど、思い出せない。
でも、女神様方にも名が知れているほどの二つ名持ちの冒険者だったんだってことは判った。こんなにすごい人といっしょに冒険をしていたなんて、奴隷になる前はどんなランクの冒険者だったんだろうリュドミラとルーデルは。
「さて、じゃあ、『使徒様方』そこの屋台で軽く食べましょう。そして、ちょっと鍛冶屋によってから市場で足りない食材を買って、お屋敷に帰ります。夕食はちょっと豪勢アンド大量にご用意しますから、屋台では食べ過ぎないでくださいね。あ、あと、それから、ここから先は、さっきのオドノ商会のときよりも、さらにミニマムな方向での出力制限をお願いしたいのですけど……」
うーん、神様にこれ以上出力制限してもらうのって、かなり、神様方に負担を強いることになるんじゃないだろうか?
「善処いたしましょう。他でもないハジメさんの願いとあらば!」
イフェ様が宣言なさる。
「我も抑えよう! その方が、我が氏子たちに気取られないだろうしね」
ルーティエ様がウィンクなさる。例によって、バックに見たこともない花が咲き乱れた。
いや、全然抑えられていないから!
ともあれ、僕は背中に半ば気絶している美女シスターのエフィさん、両脇にとんでもない美女の『使徒様』という他人から見たらうらやましいことこの上ないであろう構図で、串焼きの屋台に向かう。
「へいらっしゃい! あんちゃんさっきから見てたけど、あそこの社長さんに見送りさせるなんて、どっかの王族様かい? それに、まあ、なんてうらやましいこった! こんな美人さん三人もお連れになって!」
いやぁ、確かにこの体は、王族? だった人のもんだけどね。
「オヤジさん、僕は只のフットマン(使用人)ですよ。ゼーゼマン商会の。こちらの方々は、ゼーゼマンのお嬢様方のお客様です」
そう言った方が、波風立たないだろうと思っていた僕が甘かった。
「え? じゃあ、あんたがそうなのか! ニンレーの奴隷市場で破産したゼーゼマンさんとこのお嬢さん方を金貨二万枚で買ったっていう解放奴隷は! そうかい、あんたが! いやあ、昨日のあんたのことで街はもちっきりだよ」
いやな予感がしたので防御線を引いておこう。
「バレてるなら仕方ないな。でも、そのせいで、僕はもう殆どのお金を使っちまったんだ。ここで今、使ったら、明後日には、ひとかけらのパンを買うお金もなくなるだろうね」
屋台のオヤジさんは、とたんに不憫な孤児を見るような目で俺を見つめる。
「ああ、そうかいそうかい、だったら、パンを少しサービスしてやるから食って行きな。なぁに、困ったときにはお互い様だ」
僕は、ホッとした。
普通の人が、金を持っているヤツに出会ったときにとる態度ってヤツに、元いた世界では苦労させられたからね。
財布から金貨を三枚出して親父さんにオーダーする。
「こちらのお二人と僕に串焼き一本ずつとパン、それからオレンジ果汁を一杯ずつ。それから、あと、これから辻馬車で冒険者ギルドのマスターが来るから、同じ取り合わせで二十個お願いします」
オヤジさんは目を剥いて、驚いて答える。
「全部で二十三人分か! わかった二十人分は持ち帰りだな。おい、マーシャ、ローラ手伝え!」
頷いてオヤジさんは屋台の後ろに声をかける。こういった屋台は家族でやっていることが多いから、奥さんか小さな娘さんに手伝ってもらうんだろう」
「「あいよッ!」」
呼ばれて腕まくりしながら出て来たアラサー風の奥さんと思しき女性と、10歳くらいの女の子が手伝いに入って、オヤジさんたちは手際よく調理を始める。
「はははッ! あんちゃんのおかげで今日の売り上げが出ちまったぜ!」
その間に僕は、屋台の傍で広げられているテーブルについて、自称使徒様方の分と僕の分の携帯用食器、匙とナイフ、タンブラーを用意する。
食器は自前。これが、この世界での屋台の利用法だ。
そして、そこが、食堂とのもっとも大きな違いだった。
食器類は自前が屋台。その代わり、ものすごく安くおいしいものが揃っている。
食堂は、食器が用意されている。だけど、値段は屋台よりもかなりお高い。その代わりおいしいものが給仕付で食べられる。
どちらでも懐具合次第だ。
ただ、どちらにも共通しているのは、ナイフと匙は自前ってことだった。フォークなんてものはどこを探しても存在していなかった。
調理した肉や魚を、ナイフで切り分けて指でつまんで食べるのが一般的な食事方法だ。
したがって、元の世界で出てくるような熱々の料理なんて、匙で食べるものの他は串焼き以外あまり見当たらない。
こっちに来たてのころ、そんな風に手づかみでの食事なんて、正直面食らったけど、慣れというのは恐ろしいもので、あのお嬢様方でさえ、パスタを摘み上げ、上を向いて口に入れるなんていう、僕の常識では下品極まりないことしているのを連日目の当たりにしていると、自分だけが恥ずかしがっているのがおかしく思えてくるようになった。
だから、今では手づかみでの食事にはすっかり慣れっこだ。
昨日の夜の餃子も、焼きあがってから、少し冷まして出したのだった。
じゃないと、指にやけどしちゃうからね。
ただ、僕的には、衛生上何らかの問題が生じるのではないかと思っているから、対策を講じようと思っている。
「はい、お待ち! 持ち帰りの分はあんたたちが食ってる間にやっとくから!」
「おまち!」
威勢のいい掛け声と舌足らずな掛け声。
奥さんが木のトレイに載せた串焼きと一人頭三枚の黒パンの薄切りを持ってくる。そして隣には、オレンジの果汁が入った壺を抱えた少女。
奥さんがもってきたトレイから、串焼きを取って用意しておいた食器に移して、自称使徒のお二人の前に置く。
「このまま、かじりつくのもいいですけど、こうやってナイフの背で串から抜いて……」
串に刺さった肉と肉の間にナイフを挿れてくるりと回し、ナイフの峰で扱くように串から抜くいて携帯食器に盛る。
「そして、これ」
腰の雑嚢から僕特製のソースの小瓶を取り出し、食器の隅にたらす。こうして自分の調味料を持ち込んでもいいのが屋台の醍醐味だ。
ちなみに僕特製ソースは、トマトベースにした、にんにくと唐辛子のオリーブオイルソースだ。
元いた世界のファミレスでよく食べていたチキンソテーのソースを再現したくて、現在進行形で試行錯誤中の試作品だ。
試作品ではあるけれど、味的には十分おいしいと思っている。
ただ、あのファミレスのチキンソテーの味になっていないだけだ。
「まず一切れはこのまま何もつけないで食べます。うん、うまい! 塩とハーブの加減が絶妙ですね」
すかさずパンをかじる。肉の脂っぽさを、黒パンの酸味が打ち消して、肉のうまみと麦の甘みが残り、じんわりと、食事をしているという幸福感のボルテージを上げてゆく。
そして、オレンジ果汁を一口。
うん、これも絞りたてだね、柑橘系のすっきり感が飛んでない。
「まあッ!、これが、おいしいという気持ちなのですね!」
イフェ様が、恐らく初めて食べ物を口にした感動に目を見張る。
「おお、これがうまいということか! なんと甘露な気持ちなのだろう」
うっとりとルーティエ様が微笑む。
ぽぽぽぽぽぽんっと、小さな花が咲いては散ってゆく。ああッ! ルーティエ様! 抑えて抑えて! 全然出力抑え込まれてませんからッ!
女神様方は、一切れ肉を摘んで口に放り込んでは、うっとりとして、次々に串焼きの肉とパンをひょいぱくひょいぱくと口に運ぶ。
「待って下さい。こんな風にしてもおいしいですよ。肉をはずした串で肉を刺して、このソースをつけて…」
肉を抜き去った串で肉を突き刺し、皿にたらしたソースをたっぷりとつける。
うん、やっぱり、このソースは成功だ。アメ色タマネギを作っておいて、シャリアピンソース風にしてみたのが効いていた。
まあ、あのファミレスのチキンソテーのソースの味には程遠いんだけれどね。
「んんんんんん~~~~~~~ッ!」
「ほおおおお~~~~~~~~ッ!」
女神様方が目を見開き、両手を上下に振っておいしさを表している。
「主教様方! お代わりはいかがだい? いっぱい買ってくれたお礼だ。サービスしとくよッ!」
「しとくよッ!」
屋台のオヤジさんの奥さんと娘さんが、両手に串焼きを持って、こちらに掲げる。
「ええ、ええ! いただきますとも。ああッ、なんて良い気持ちなんでしょう!」
「うむ、甘露、甘露。このような心地良さ、初めてだ!」
いや、たしかに、ここの串焼きはおいしいけれど、そこまで感動するほどじゃ……。
ってか、お二方とも食べ物を口にしたことがなかったとか?
『はい、そうですね。私は、ずっと信仰される対象ではありませんでしたから、お供えをされるなんてことありませんでした。ハジメさんが毎朝お水をくださるまでは』
頭の中にイフェ様の声が響く。
『我も供えられるのは生ばっかりでな。こんな風に調理したものなんぞ食したのはどれほど前のことやら……』
ルーティエ様の声も頭の中に直接聞こえる。
なるほど、そういうことなら、どうぞどうぞ、もっとお召し上がりください。
でも、この後もありますから、ほどほどにしてくださいね。
「はいッ! お待ち」
「おまち!」
奥さんと娘さんの威勢のいい声と同時に何本もの串焼きが、僕たちの目の前にトレイごと置かれた。
「「いただきます!!」」
お二方の声がユニゾンで辺りに響き渡る。
と、そこここから、人々が驚く声が聞こえてくる。
あちらこちらに、見たこともない美しい花が咲き乱れ始めたのだった。
「ふふぁああッ、ハジメひゃんがふふふもふぉは、ろんはひおひひいのれひょうは?」
使徒イェフ様こと、生命の女神イフェ様が、串焼きをほおばりながら目を輝かせる。
「ほへふぁふぁろひふぃら」
使徒エーティル様こと、大地母神ルーティエ様もキラキラとした瞳で僕を見つめる。
屋台周辺の人々が唖然とした顔で、僕たちの方を凝視している
ああ、もう! 主教さんクラスまで出力を落としても。感情の発露がこんなんじゃ……。
「いやあ、お待たせ、なかなか馬車が捕まらなくて……。って、なんじゃこりゃあああッ!」
ようやく辻馬車を捕まえてきたヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスターシムナさんが腰を抜かした。
「「むッ、ふぉおおおおおッ!」」
見たこともない、きれいな花々が咲き乱れた屋台で、二柱の女神が食欲の雄叫びを上げていたのだった。
16/11/10 第28話公開開始です。本稿との整合性をつけるために第14話を一部修正改稿いたしました。
毎度ご愛読、誠にありがとうございます。皆様のアクセスならびにブクマそしてご評価、執筆への意欲のハイオクタン燃料となります。今後ともよろしくお願いいたします。




