第115話 万朶の桜の下に佇んでいたよく見知っている姿に僕は息を呑む
大変お待たせいたしました
「わ、わかりました! わかりましたから、離してください!」
僕は確かに死なない、たとえ首を刎ねられても死なないことはついさっき、僕が目覚めたことにより証明された。
だけれども、痛みは普通に感じる。
叩かれれば痛いし、くすぐられればくすぐったい。火に炙られれば熱いし、蚊に刺されれば痒くなる。
だから僕にとって、拷問は実に効果的な尋問もしくは行動強制の方法だ。
エフィさんにギナッと睨まれ、ものすごい力で両肩を押さえつけられただけで、当初の決心なんて朝令暮改が真っ赤になってケツをまくるくらいに掌返しだ。
「本当でございますね! どこかの野営地においてけぼりになんてなさいませんでございましょうね!」
「しません、しませんからッ! その手を離してくださいッ!」
「では、ずっと、ワタクシと旅していただけるのでございますね! テュス様を送り届けるクエストを達成しても、ずっと、ご一緒させていただけるのでございますね!」
エフィさんの両手が僕の両肩にギリギリと食い込んでゆく。
「ぐ……ぅう! ち、ちぎれるから! エフィさん! 肩がちぎれちゃいますからッ!」
「どうなんでございますか、ハジメさん! ワタクシをずっとお供させていただけるのでございますかッ?!」
「し、しますッ! しますから! エフィさん、ずっと、僕のお供をしてくださいッ!」
両肩の激痛に耐えながらなんとか答えると、フッと両肩の激痛が引いてゆき、両肩にかかっていた地面にめり込みそうな程の圧力もまた消えていた。
そして、両手を後ろに回したエフィさんが背後に花が咲き乱れそうな笑顔で微笑だのだった。
「はい、かしこまりましたのでございます、ハジメさん。では、これよりは、ワタクシのことは『ウィルマ』とお呼びくださいませ! ね!」
「わかりました、ウィルマこれからも、どうかよろしくお願いします」
「はいッ! それはもうッ! すべて、このウィルマにおまかせくださいませ!」
そう言ってエフィさんは自分の胸を拳でどんと叩いたのだった。
「はあ、良かったのでございます。ハジメさんは意外と頑固者なので、最悪こっそりとストーキングしようかとさえ思っていたのでございます。これで晴れて、公式にハジメさんのお供なのでございます」
なにやらエフィさんが物騒なことを言っているが、敢えてそこはツッコミを入れないことにしよう。
「良かったですテュス様。テュス様を南氷海へとお送りする旅のお供に、認めていただけました。どうか、よろしくお願いいたします」
そう言いながら、エフィさんはテュス様の低い目線にレベルを合わせ、微笑んだのだった。
その笑顔に、テュス様が笑顔を返されたような気がしたがほんの一瞬のことだったので、それが本当に笑顔だったのか確かめられなかったのだった。。
「では、行きましょう」
僕らは王都の門を目指して歩き始める。
朝靄に煙ってはいるものの、辺りはすっかりと明るくなり、とりあえずの目的である城門が見えてきた。
「ああ、見えてきました。もう間もなく街を出ますからね」
僕は誰に向かってというわけでもなく、王都を出ることを告げる。
門は既に開いていて、市場に出店するために王都へ到着した近隣の農村からの荷車が入城して来ている。
「おいおい、お前ら鯨を独占するつもりなんじゃねえかぁ? あたいたちも連れてけ。お前たちの旅にぜってー役に立つぜ」
「わたしたち、ようやくSS級まで戻ったのよ。中身はSSS級冒険者だけれども。旅の護衛役にはこれ以上ないと思うのだけれど?」
路地から聞き慣れた声が僕に向かって投げつけられる。
と、声が聞こえてきた方に首を巡らせると、これもまた、見慣れたシルエットの二人組が朝靄をかき分けながら近づいてきた。
「ルー! リューダ!」
二人の名を呼びかけた僕に答えるように手を上げ、見慣れたシルエットが、近づいてくるに従い、見慣れた姿へとはっきりしてゆく。
ああ、これは予想していた。きっとこうなるだろうと思っていた。
「よう、そいつが例のセイレーン族のお嬢ちゃんか?」
「あらぁ、ずいぶんと可愛らしくなったものなのだわ。ヴィルヘルムもびっくりね」
ルーデルとリュドミラは、絶対、僕の旅についてくることになるだろうと思っていた。
彼女らはどういう手段かは知らないが、僕やお嬢様方の居場所がどこからでも分かるみたいなのだ。
だから、王都で追いつかれなくても、どこかで必ず追いついてくるに違いないと予想していたのだった。
「ふん、ハジメぇ、442番の姿のときより、そっちの方がずっとお前っぽいぜぇ」
「ええ、マコトにそっくり」
442番なんていう、懐かしい呼び名をルーデルが口にした。
それは僕がこっちの世界にアイン・ヴィステフェルトさんの姿を借りて転生したときの呼び名だった。
そこからは、アインさんの姿のまま、ハジメと名乗り、そして、元の世界のときの、引きこもって肥満する前の体型の僕に戻った。
転生してきてから、たった、一年足らずなのに、当時の呼び名を懐かしく感じるなんて……。
ん? また始祖王様の名前が出てきたぞ。
「ああ、ヴェルモンのゼーゼマン氏のお屋敷で初めてお会いしたときから、どこかでお会いしたような方だと思っておりましたが、ようやく得心がいきました。ハジメさんは、始祖王陛下によく似ておいでなのですね。ええ、ワタクシ、王城の広間の壁に掛かっている始祖王マコト陛下の姿絵に幼少のみぎりより、朝な夕なに拝謁しておりましたのでございますよ」
しみじみとエフィさんが思い出に浸る。
「って、え? エフィさんあなた、生まれつき目が見えないっておっしゃってませんでしたっけ?」
「ええ、確かにワタクシ、生まれついてより盲ていると申し上げましたのでございますなぁ。ですが、こうも申し上げましたはずなのでございます。非才のここの目に見えているハジメさんのお姿は、始めから黒髪黒眼の始祖王様によく似ておられるお姿でございます。と、ね」
そう言って、エフィさんは指で額をトントンと叩いたのだった。
「え? それって、本当に見えているってこと? なにがしかの能力で五感から得る情報を映像化処理しているってことじゃなくて?」
「ははッ、ワタクシのような者は、肉の目には映らないものがここにハッキリと見えるのでございます。それは例え生き物でない物であっても、そこに宿っているものが見えるのでございます。ですから、ワタクシが始祖王陛下の姿絵から見て取っていたものは、かの姿絵を描いた宮廷画家が見た始祖王陛下のお姿なのだと思っているのでございます」
なるほどそうだったのか。
どうりで、目が見えるようになったアンブール教会のシスターダーシャが僕の姿を見て驚いていたわけだ。
彼女の目が見えていなかったときに見えていた僕の姿は、今の僕の姿。すなわち、それは魂の姿と言ってもいいかもしれない。
シスターダーシャやエフィさんには、始めから僕の本来の姿が見えていたに違いない。
そう考えると少し……どころか、ものすごく申し訳ない気がする。
こんなみっともない姿で、イケメンがするような言動をしていたのだから。
さぞかし気持ち悪いものだったに違いない。
これからは分相応の言動を心がけるようにしよう。
「さて……と、みんな朝食はまだですよね。何か希望はありますか? 僕が持っている食材でできうる限りお応えしたいと思いますが?」
城門をくぐり、王都から出た僕らは進路を東にとった。
王都に来たときとは逆方向へ向かう道だ。
国王陛下から貰った地図によれば、このヴェルモンへと向かう街道を徒歩だと二日ばかり行った街から南へ向かう街道が出ているようだ。
そこから南に下って、中つ海へと出て、どこからか南大陸に渡り、更にその最南端から南氷海へ向かうというのが大雑把な今回の旅の計画だ。
「あたいは……、そうだな、オークの肉を丸めて縛って煮込んだやつとあとは、エールか、妖精王の戦舞だな」
「わたしは、チーズを炙って溶けたところをパンにかけたやつと、腸詰めがいいわ。あと、キャベツの塩漬けとワインがあれば申し分ないのだけれど?」
「はッ! ……ハジメさんッ。ワタクシは、ぜひ、醤油ラーメンが食したいのでございます。まだ国王陛下でさえ食したことがないというラーメンを! チャーシュー多めの大盛りでぜひッ!」
エフィさんはヴェルモンの街で東の森の乙女たちに教えていた頃、時折出していたとんこつラーメンのトッピングにチャーシューを通常よりたくさん載せることを考えついていたのだった。
すなわちとんこつチャーシュー麺の発明である。
それを今度は醤油ラーメンでやろうと思っているらしい。
「うん、大丈夫だね皆のリクエストに答えられそうだ。どこかそこいらで天幕を張れるところを見つけたら、そこでかまどを作って……」
ああそうだった、今まで朝食だろうが夕食であろうが宴会だろうが、竈の作成はサラお嬢様にお願いしていたのだった。
これからは、野営地での食事準備は石で組んだ応急の竈でやるしかないことになる。
当然、野営地でも簡易的な竈しかできないから、本格的な料理は宿場に着いてからじゃないと無理ってことになる。
「なんてこった……早急に手立てを考えないとな」
僕らは今まで野営地で普通の旅人の何倍ものハイクオリティの食事をしてきた。
いまさら、普通の旅人のような食事内容にできるわけがない。
干し肉と固いパンだけの食事なんて糞食らえだ!
だが、しかし、竈がないことには如何ともし難い。
竈なしでもなんとかなるような食事の開発に精進することにしよう。
「ハジメ! わたしもラーメンが食べたい」
「ハジメさん……私はプチミートパイが食べたいです」
僕の耳に、どこからか朝食の献立を希望する声が届いた。
「ハジメ!」
「ハジメさん」
僕の名前を呼ぶ声。
突如ごうっと吹き抜けていった風に桜の花びらが舞い上がる。
「ああ……」
僕はその美しさに声を失った。
真っ青に晴れ渡った空の下、東の果へと向かう街道の両側にどこまでもどこまでも延々と今や満開に咲き乱れた桜の並木が続いているのだった。
その万朶の桜の下に佇んでいたよく見知っている姿に僕は息を呑む。
「どう……して? な……んで?」
それは、スレイプニルの裔グラーニが引く馬車を背に、時速百八十メートルで舞い落ちる桜の花びらの中、柔らかな微笑みを浮かべている姉妹だった。
「ハジメさん……。それが、本当のハジメさんの姿なのですね。ああ……やっと会えたんですね私。何度も夢に出てきたハジメさんに……私、知ってたんですね、ハジメさんの本当の姿。本当のハジメさんのこと……」
「わたしも、わたしも! わたしもこの姿のハジメがハジメだって知ってたわ! 夢の中のハジメっていっつもこの姿だったもの。雑貨屋さんで売ってる始祖王様の姿絵にそっくりの黒髪黒眼の異国人なの!」
僕よりも頭二つ分小さな妹が僕に向かって駆け出す。
姉の方もゆっくりと、しかし、確固たる歩調で僕に近づいてくる。
「ハジメ!」
舌足らずな高音域の声がドップラー効果を引き連れて僕の腹に吶喊してきた。
ドスンという衝撃に少し咽た僕だったが、グリグリと押し付けられる頭を思わず抱きしめてしまっていたのも僕だった。
ぱぁん!
と、左頬に軽い衝撃。
パァン!
今度は右に衝撃が走った。
ぱぁん!
パァン!
ぱぁん!
パァン!
「ちょ、ちょ……ま……おじょ……へぶッ!」
最後は三度笠がトレードマークの往年のボクシングチャンピオンを彷彿とさせる右フックが芸術的に僕の顎先をかすめ、僕は意識を手放すことになった。
薄れゆく意識の中、最後に僕の目に写ったのは、滂沱する涙を拭いもせず、猛烈な勢いで僕に顔を寄せてくるヴィオレッタの今日の空よりも晴れやかな笑顔だった。
「うう……」
目を覚ました時、僕はヴィオレッタお嬢様の膝に頭を載せて馬車の荷台に横になっていた。
「ミリュヘ様が、夢枕に立たれて、ハジメさんが無事でいること、体の修復をするためにお城の地下霊廟の石棺の中で体を横たえていることを教えてくださったんです」
僕が、姿を変えて、ひっそりと姿を消そうとしていたことを口止めしたのは女神イフェ様だけだったので、冥界の主宰神ミリュヘ様が誰に何を伝えようが、それは僕とイフェ様の約束の埒外のことだから、責めることはできるはずもない。
「そう……だったんですか……」
僕は体を起こし、ヴィオレッタお嬢様に背を向ける。
ものすごく恥ずかしいのと、お嬢様にみっともないものをお見せしたくなかったからだ。
「ハジメさん! 私を見て!」
いつになく厳しい声音でお嬢様が僕に命令する。
「いえ、僕なんぞがお嬢様にこの醜い顔をお見せすることなどできるはずもありませんから。お嬢様、今からでも遅くありませんから、どうか引き返されて、ライトマン氏と末永く睦まじくなさいますよう進言いたします」
ゴンッ!
僕の頭に拳骨が落っこちてきた。それを落っことしたのはヴィオレッタお嬢様だった。
「なんでここにリヒャルダが出てくるのかがわからないわ!」
お嬢様方への僕のリコメンドにヴィオレッタお嬢様は拳骨を落とし、サラお嬢様はどこかの女性の名前を告げたのだった。
「え? リヒャルダって? リヒター・ライトマン氏とは幼馴染なんですよね。昔からからお付き合いがあるんですよね。どう考えたって、お嬢様方を幸せにしてくださるのはライトマンさんをおいていないじゃないですか。彼とならお嬢様は絶対幸せになれますよ」
「私の幸せをあなたが決めないでくださいッ!」
再び僕の頭にヴィオレッタお嬢様の拳骨が炸裂した。
「ねえ、ハジメ、リヒャルダはね、リヒターなんて男の子の名前を名乗ってるけど立派な女の子なんだよ。まあ、とっくの昔に行き遅れてるけどねぇ」
サラお嬢様の紡ぎ出した言葉に僕の思考は完全停止した。
「え? でも……いや、だからといって……」
「ハジメさんッ!」
混乱してわけがわからないことを呟いている僕の頭を強引に自分の方に向け、ヴィオレッタお嬢様は猛烈な勢いで僕に顔を寄せてくる。
ガチンッ!
前歯同士がぶつかって脳天に響く音が僕の耳朶を揺らした。
「「「「おおおおおおおおおッ!」」」」
口が塞がっている僕とヴィオレッタお嬢様以外の驚愕の声があたりに響いた。
僕の口を強引に塞いだお嬢様の唇の柔らかさが、僕に御託を考える事を止めさせた。
心地よい思考停止が何分か過ぎて、ようやくお嬢様の唇が離れた時、奇妙なことに僕の頭の中は綺麗サッパリと晴れ渡っていたのだった。
「ハジメさん!」
「はい」
「もう一度言います」
「はい」
「それでもわかっていただけないようでしたら、更に直接的な行動を強行する用意をしています。私、今、下着を着けていません」
「はい」
「わかっていただけるまで何度でも何度でも繰り返し言います」
「はい」
「私の幸せは、私が決めます」
「はい」
「私の幸せは、あなたと共にあることです」
「はい」
「わかっていただけましたか?」
「はい」
「いいですねッ!」
「はいッ!」
そう答えた僕の口を再びヴィオレッタおじょ……ヴィオレッタの……月並みな表現で恐縮だがマシュマロのように柔らかな唇が塞いだのだった。
このとき、ヴィオレッタの微かに荒い息遣いと、遠くに聞こえる皆の嬌声が僕の世界にある音の全てだった。
そして、どこまでも蒼く突き抜ける空の色と吹雪舞う桜の花弁の薄いピンクが僕の世界にある色彩の全てだった。
2019/04/19
第115話 万朶の桜の下に佇んでいたよく見知っている姿に僕は息を呑む
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