第114話 連れて行け! 連れてくって言わなきゃコロス!
大変長らくお待たせいたしました。
「バルバラさんの指定の時間だったんだけど、ほんとうにいいのかなこんな時間に神殿を訪ねて?」
一般人の感覚からすると、今はまだ真夜中と言っていい時間だ。
こんな時間にお宅訪問したら大概の人は激怒すること請け合いだ。
だが、冒険者ギルドで依頼を受けたときに、彼女からできれば夜明け前に迎えに来て欲しいと言われていたのだ。
「大丈夫ですよ。もう神殿は動き始めていますから。むしろ、今の時間のほうが良いのでございますよハジメさん」
エフィさんが言うには、夜明け前のこの時間は、どの神殿でも、一日の日課が始まる前の一番暇な時間なのだそうだ。
どの教団でも、神職さんたちの一日は分刻みですることが決められているらしい。
軍隊ほどではないにせよ、世俗の人間よりは遥かに日課が多い。
このため、寝る前の一時間余りと一日の課業が始まる前が一番時間が自由になるのだそうだ。
そこいらへんが寝る時間も起きる時間もきっちり決められている軍隊とは自由度が違うのだろう。
だから、神殿勤めの身内に面会する世俗の人間は、夜明け前のこの時間に神殿を訪ねることがままあるのだそうだ。
「我が姉、バルバラは総主教ドゥナーセ猊下の側付きでありますから、なるべく傍を離れたくないはずなのでございます。ですから、総主教猊下が今だお休みでなおかつ姉が起床しているこの時間が最も自由な時間なのでございます」
そう言って、エフィさんは眉尻を下げ、口角を微かに上げた。
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海の女神教団の古代ギリシアのコリント式建築のような王都本部大神殿前で僕は四半刻前に中に入っていたエフィさんが出てくるのを待っていた。
「ハジメさん、お待たせいたしました。思わず姉と話し込んでしまい、遅くなりました面目ないのでございます。いやあ、お恥ずかしながら、姉とこんなに言葉を交わしたのは実に十何年かぶりなのでございます。仲違いしていたわけではございませんでしたが、非才が姉より先に主教に昇進して以来、ずっと姉が非才を遠ざけるようになっていたのでございます。偶に会っても一言二言挨拶するくらいでヴィオレとサラのように仲良くおしゃべりなどということはずいぶんと長い間無かったことなのでございます」
「それはよかった。本当に……」
「はい、姉もハジメさんに感謝しておりました。それを伝えるようにと言伝も託されております」
「はぁ? 僕がですか?」
「ええ『聖下に諭され、ここ十年晴れなかった頭の中の靄が綺麗サッパリと消えてなくなりました。必ずお礼に上がりますゆえ、それまで不佞の身代わりとして我が愚妹をご使役くださいますよう。伏して御礼申し上げます』だ、そうでございます。まったく、非才を愚妹扱いなんざ五百年早いのでございますが、あのように元気な姉と言葉を交わしたのは幼い頃以来でございます。非才からも改めてお礼申し上げますハジメさん」
そう言って、微笑んだエフィさんの顔は、北国の春のように様々な花がいっぺんに咲き乱れたような晴れやかさだった。
と、思い出したようにエフィさんは自分の背後に隠れていた少女……幼女と言ってもいい年頃の女の子を前に出し、僕に対面させた。
「こちらが、セレーン族のお嬢様テュス様です」
僕の目の前に引き出され、エフィさんの服を掴んでおどおどとした上目遣いに僕を見つめるている人物は、女神様方から聞いていたユステ様のお話から想像していた印象とは全くかけ離れた可憐な幼女だった。
それは、まるでビクスドールが生命を得て動いているようだった。
白磁のような肌と濃い群青の……光の当たり具合でエメラルドグリーンにも見えるネイビーブルーの髪の毛。
そして、海の女神の長姉神セドゥーナ様とお揃いの深い海の底のような碧い瞳。
中つ海の女神ユステ様は、遭難王子と大恋愛をしていたセイレーン族の醜女に変化していた頃を想像できないほどに可憐な少女に変化していたのだった。
「初めましてテュス様。僕は、これからあなたと共に旅をする冒険者のハジメといいます。どうか、仲良くしてくださいますようお願いします」
膝をつき目線を下げ、脅威を感じさせないよう気をつけて努めて静かな声で僕はセイレーン族の幼女テュス様に語りかけた。
「ひ……ッ!」
テュス様は小さな悲鳴を上げて、エフィさんの後ろにG(あの黒くてテカテカとした昆虫)も真っ青のスピードで隠れる。
うん、尤もなことだ。
今の僕の姿は元の世界の日本人の僕だ。クラスメイトとかにはもちろんのこと、親にさえ忌み嫌われていた姿の僕だ。
本性が女神様とは言え、小さな女の子が僕を見てその醜さに恐怖を感じてドン引きするのは当たり前田のなんとかだ。
「こんな見かけではございますが、決してあなたに害を及ぼすことはありません。どうか少しづつでも慣れていただいて、親しくしていただけたらと思います」
これから南氷海のセドゥーナ様の元までの旅では、否が応でも僕と一緒なのだから早く慣れてもらわないとね。
「台下……」
エフィさんが困ったような笑顔を僕に向ける。
「ふふふ……。では、参りましょう。そろそろ、門が開く時間です。ああ、そうだ、テュス様、お食事はお済みですか? 街を出たら適当なところで朝食にしましょう。好き嫌いはございますか? お口にあうかわかりませんが、お好みをお伝えいただければできうる限りお応えいたしますから。僕、こう見えても料理は得意なんですよ」
立ち上がり、街の門へと足を向ける。
その後を、エフィさんと彼女に手を引かれたセイレーン族の幼女テュス様こと、亜神ユステ様が続く。
と、僕はルーティエ神殿で目覚めたことの報告と王都からの旅立ちのご挨拶を女神様方にすることを忘れていたことを思い出した。
「ああ、そうだった。ルーティエ神殿にお参りをするのを忘れていました。テュス様、少しお時間頂きますね」
僕は振り返り二人に告げた。
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ルーティエ神殿で僕は無事完全に回復して目覚めたことをルーティエ神の神像に向かって報告する。
これで、ルーティエ様を通じてイフェ様やミリュヘ様に通じるはずだ。
本来なら、それぞれの神殿にお参りしたいところだったけれど、ミリュヘ様の神殿は、何故だかは知らないけれど、十五年前から全くその役割を果たしてはいないらしい。存在自体はしているらしいのだけれど。
だから、お参りするだけお賽銭の無駄だ。
そして、我が、生命の女神イフェ様に至っては小さな祠が一つ、オーフェン侯爵邸にあるだけで、神殿はおろか教団自体が今だに存在しないから、お参りのしようがない。
だから、代表してルーティエ様の神殿で三柱の女神様にお参りということにしたわけだ。
お参りを済ませて神殿を出て、僕はエフィさんに振り返り、深く腰を折った。
「今まで本当にありがとうございましたエフィさん。思えば、ヨハン・ゼーゼマンさんが亡くなったあの日から、ずっと僕らのことを陰に日向に支えてくださっていただいて、本当にありがとうございました」
「台下……?」
エフィさんが戸惑ったように眉根を寄せて口角を引きつらせる。
「お見送りいただかなくても大丈夫です。教団でのお仕事もあるでしょうし、もうここで……」
「ハジメさんッ!」
エフィさんは僕が何を言っているのかようやく理解したようで声を荒げた。
「神託とは言え、長い間ご苦労をおかけしました。ありがとうございます。もう大丈夫です。エフィさんのお時間はご自身は無論のこと、教団とそこに集う善男善女のために使うべきもので、本来的には僕のような者のため寸刻たりとも割くべきものではないと思います。ですが、今回はいろいろと骨を折っていただいて本当にありがたく思っています。ですが、もうここで大丈夫です。ここからは一人でなんとかやっていきますので、これからはどうかご自分の思うようになさってください。エフィさんのような方を遣わして下さった女神イフェに感謝いたします。そして、エフィさんには最大の感謝を……」
エフィさんがなぜ声を荒げたのかは理解出来ないが、僕はエフィさんへの謝辞を続けたのだった。
女神様の神託とはいえ、僕みたいなもののために使った時間で、施療神官でもあるエフィさんは何千人もの人を救えたかもしれないのだ。
それは、教団……いや、世界人類にとっての損失とも言える。
だから、僕はエフィさんを神託から解放して本来の道へ戻ってもらおうと思ったのだった。
「だい……か? ……はじ……めさん。それは、非才のことをもう必要としていないということでしょうか?」
エフィさんの肩が小刻みに震えている。
女神イフェや大地母神ルーティエの神託で、僕の支援をすることに縛り付けられていたのだから、そこからの解放はさぞかし嬉しいことなのだろう。
「いいえ、そんな事ありません。ですが、もう、女神様方の神託に縛られる必要はないと思うんです。神職に道を見出した頃のご自分に戻られたらいいと思ったのです。僕なんかのことは、もう……」
「ハジメさんッ!」
僕はそこから先の言葉を続けられなかった。
エフィさんの両手が僕の両肩を猛烈な力で押さえつけたからだ。
まるで杭打機に押さえつけられたように足が地面に沈み込んでくような錯覚に襲われる。
それほどにエフィさんの両手には力が込められていた。
「はあああぁッ!」
エフィさんの大きな溜息とともに、地面にめり込みそうなくらいに僕の両肩を押さえつけていた彼女の両手のチカラがフッと抜ける。
「全くもうッ! あなたという方は、我が姉に悟りのヒントをくださる程の聖者様でありながら、なんともまあ、ご自分のこととなると闇堕ちヒロインのように、見事なまでの自己評価の低さでございますね!」
なんだなんだ? 何だその喩えは? そんな喩え、僕の元の世界の人間。しかも、よっぽどオタク文化に触れていなければ使えないような喩えだぞ。
「い、いやぁ、所詮は他人ですから、無責任に励ますことはできますから」
咄嗟に本当のことが口をついて出てしまい、僕は恥ずかしさに俯く。
「ハジメさん、どうか、ワタクシを連れて行ってください。ハジメさんの旅にお供させてください。女神様方の神託なんて関係ありません。ワタクシはハジメさんと一緒にいたいのです」
「……え!? いや……でも……」
言い淀む僕の両肩に再びパイルドライバーのように猛烈な下向きのチカラが加えられる。
「お・と・も・さ・せ・て・い・た・だ・け・ま・す・よ・ね・ッ!」
『連れて行け! 連れてくって言わなきゃコロス!』
というエフィさんの目ヂカラと、両肩の激しい痛みに、僕は壊れた人形のように首を縦にカクカクと振るしかなかったのだった。
2019/04/11
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