第77話 ヒュッシャシュタットの聖女
お待たせいたしました。
「アンテノーラってえのはな、ええっと……なんだっけ? 地の底の寒いところのことなんだぜ」
「ロムルス教の神話の地獄の底の方にある場所のことなのだわ。油も凍りつくような寒いところなのだそうよ。ミリュヘが治めている冥界にも似たようなところがあるのだけれど」
エールを呷り、酒精を含んだ息をプハッとついて、ルーデルとリュドミラがシスターダーシャの二つ名の由来を教えてくれた。
S級冒険者だった頃のダーリャさんの二つ名アンテノーラというのは、ロムルス教の神話に出てくる地獄にある地名らしい。
冥府の底で油も凍りつくなんてところは、僕の元の世界でいうところの八寒地獄のようなところだろうか。
しかしなぜ、ロムルス教の神話に出てくる地名がシスターダーシャこと、マザーダーリャの二つ名なのか? 僕は首をかしげる。
「ミリュヘ教のシスターダーシャをアンテノーラと呼び始めたのがロムルス教徒ってことなんでしょうか?」
ヴィオレッタお嬢様がタコのお好み焼きを頬張る。
なるほど、それならスジが通っている。
「正解よヴィオレ、ダーシェンカのことをアンテノーラと呼び始めたのはロムルス教国の兵士たちなのだわ。もっともその頃は、僧服じゃなくてフルプレートを身に纏っていたのだけれど」
「かかかっ、やつらがダーシェンカの魔法にこっぴどくやられたってことさ。地獄の底の、地名で呼ぶんだからな」
おそらくだが、ロムルス教国との戦争で騎士だった頃のシスターダーシャがものすごい活躍をしたってことなんだろう。
絶対にこっぴどくなんていう子供のいたずらを叱るような言葉では片付けられないくらいの損害をロムルス軍に与えたに違いない。
周囲数十メートルを一瞬で凍らせ、怪獣サイズと言っていい魔物を凍りつかせてやっつけてしまったわけだからお察しだ。
ウル○ラマンでさえやっつけるのに三分くらいかかる怪獣を、三秒でやっつけてしまったわけだからな。
「若気の至りでございます聖下。奴らの非道への怒りに我を忘れてしまいまして……」
シスターダーシャが妖精王の戦舞を注いだカップを呷る。
その顔が真っ赤なのは決して酒精のせいだけじゃないのだろう。
「すごい魔法だったわシスターダーシャ。あんなに大きなクラーケンをこおりつかせたの。わたしも少しだけ炎魔法が使えるけれど、シスターダーシャみたいにあんな大っきい魔物、ぜったいにやっつけられないわ」
ゴブリンの巣穴を丸ごと焼き尽くして何百体も炭にした魔法をご詠唱されるお口でそれをおっしゃいますかね、我がパーティーの瞬間最大火力様は。
「いいえ、サラお嬢様。あなたのお祖母様、クリザンテ様は、先程この身がクラーケンを屠ったものよりも、遥か高位の魔法を日に何度とお使いになられました。そして、お母様スリジエ様は一個軍を丸ごと癒やされる超高位の回復魔法をお使いになられました。そんな方々の血を引いておられるお嬢様方です、この身などあっとう間に追い抜いてしまわれましょう」
さっきの氷結魔法よりも遥か高位の魔法なんてどんなんだよ。ウィ○ードリーのティ○ウェイトか? それに、一個軍をまるまる癒やすなんて……!
一個軍って、僕の元の世界だと一万人くらいの兵力を擁する師団が数個からなる軍団を更に何個か集めた大規模な部隊のことだ。
数万人を一挙に治療する回復魔法って!
「まあ、お母様ったら、私にはそんなこと、ちっとも教えてくれませんれした。私も小さかったから、聞きようがなかったんですけれろ……。そりぇなら、お父様が私やサラに教えてくれたってよかったはずれす。私達のお母様がそんなすごい治癒師だったなんて! お祖母様がそんなに偉大な魔法使いだったなんて!」
ヴィオレッタお嬢様が酒精に染まった頬を更に上気させて少し呂律を怪しくしながら今は亡きヨハン・ゼーゼマンさんに怒りをぶつける。
お嬢様はちょっと機嫌がよくなると、お酒を過ごされてしまう。
まあ、でも、僕はそんなお嬢様の少しだけあられもないご様子を見るのが好きなのであえて、酒をお召し上がりになるのを止はしない。
と、言ってもエールをカップに二杯とどぶろくを一合足らずと、かなり少ない量だから依存症になる心配はまったくない。
それでこれだけ出来上がれるわけだからコスパがいい。
ご本人なりにこの量を、厳守しておられるようだ敢えて苦言は呈さない。
「でも……ね、お姉ちゃん、わたし、これからがとってもたのしみ! だって、わたしが目指すところがはっきりしたんだもの! ありがとうシスターダーシャ。もっともっとお祖母ちゃんやお母さんのこと教えてね」
「畏まりましたサラお嬢様。この身が記憶している限りのクリザンテ様とスリジエ様のことをお話しいたしましょう」
「私からもお願いしますシスターダーシャ」
「ええ、もちろんですともヴィオレッタお嬢様」
シスターダーシャは冬に咲く美しい紅色の花のように顔を綻ばせる。
「でもね、シスターダーシャ。わたしのことをおじょうさまっていうのはやめてほしいの。わたし、シスターダーシャにおじょうさまなんてよばれると、エーリャちゃんたちと今よりなかよくなれない気がするの」
「そうですね、私からもお願いですシスターダーシャ。私たちのことをお嬢様なんて呼ぶのはそこの偏屈者だけで十分ですから」
「そうよねぇ。いくらおねがいしても、ぜんぜんやめてくれないんだもの。もうへんくつものとしか言いようがないわ」
「かかかっ! 偏屈者だとよ」
「あら、ヴィオレ、ハジメはそこいらの男なんかよりもずうっと物分りが良いと思うのだけれど?」
「ええ、おじょ……もとい、ヴィオレ、サラ、聖下はなまじ高位の僧よりも遥かに物の道理がお分かりななる御仁だと思いますが……」
お嬢様方の尻馬に乗っかって、シスターダーシャに「僕のことを聖下とか使徒様とか呼ぶのをヤメてください」と言おうとした僕だった。
が、お嬢様方の指弾が思わぬ方向に跳弾し始めたので危うくその言葉を飲み込んだ。
「ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様、それは以前から申し上げておりますように、僕はゼーゼマンさんから報酬を頂いて、お嬢様方を宜しくと依頼されたのですから、お嬢様方がお幸せに嫁がれるその日までお仕えするというのが契約ですから……」
一時的にお嬢様方をお名前で呼ぶことはあったけれど、それは状況がそうさせたことだったので、僕の意識上はあくまでもお嬢様方だ。
ゼーゼマンさんからお預かりした大切な方々で、いわば僕は養育係ってわけだ。
まあ、そんなお嬢様方を連れて冒険者をしているのは矛盾していると言われれば申し開きようがないわけだけれど。
「あら、報酬というのはわたしとルーのことだったかしら?」
「ハジメぇ、オマエさ、こう考えたことなかったのか? あたいとリューダはヴィオレとサラの持参金代わりだって」
僕はそのとき口に含んでいたどぶろくを天に向かって全部吹き出した。
「んな、な、な、な、な……」
「わあ、ルー、じゃあ、わたしたちをどれいオークションでせり落したお金が結納金代わりってこと? わたし、ハジメのおよめさんになってたんだ!」
「え? え? えええええ? そうだったんですか? 私、もう、ハジメさんのお嫁さんになっていたんですか?」
「せ、聖下! この身にも分かるようにお話していただけますでしょうか? ヨハン・ゼーゼマンは、一体、聖下に何を依頼したんですか?」
僕は大急ぎで今際の際のゼーゼマンさんからお嬢様方を託された状況を限りなく客観的にシスターダーシャに伝えた。
「なるほど……。それはたしかにルーが言ったことが的を射ています。ルーやリューダほどの……世界最高峰の戦力をたかだか解放奴隷風情に……失礼を承知で申し上げますが……、解放奴隷風情にルーやリューダを譲ってまでお嬢様方の行く末を託すでしょうか?」
ビキビキと僕の足元に亀裂が入ってゆくような音が聞こえる。
「うふふ、うふふふふ、お嫁さん~ん♪、ハジメさんのお嫁さん♪」
ヴィオレッタお嬢様が謎の歌を歌い始める。
謎な振付がついている。
歌詞はともかくとして、なかなかにメロディアスな名曲だ。
「ハジメのおよめさん~♪」
サラお嬢様がヴィオレッタお嬢様の手を取り、オクラホマミキサーのような謎踊りに加わる。
しかも、三度でハモってる。
「あばばばばば、あばば!」
言葉にならない意味不明な音声が喉から迸る。
僕は今の今まで信じていた自分の足元がガラガラと崩れていくのを自覚する。
絶対強固なものだと信じ込んでいた僕とお嬢様方の主従関係はリュドミラが炸裂させた、ツァーリ・ボンバで完全破壊されたかに思えた。
そして、今日シスターダーシャが屠ったクラーケンの触手に絡め取られたような恐怖が僕の背中をジタバタとかけあがってくるのだった。
「お、いたいた! 皆の衆こっちだ! いい匂いがこっちから漂ってきたからきっとそうだと思ったぜ! おーいこっちだこっち! こっちにいたぞ!」
驚愕のあまりに酒精がすっかり抜けきって、自分の存在意義の大転換に恐怖し、ポッキリと折れかかった僕の心を救ったのは、意外な闖入者だった。
「よう、ヴェルモンのC級冒険者ハジメ! 俺だ、俺だ、デニスだ! また会ったな!」
「あ……あは、あははは……デニス……さん?」
かつてヴェルモンから王都への道中にワイヴァーンのレバニラをともに食べ、王都からアンブールまでの道中で大河蛇の葱肉絲を一緒に食べ、漁師町ヒュッシャシュタットを教えてくれたA級冒険者デニスさんが、大勢の漁師さんと町の人々を連れて現れた。
「よう、相変わらずだな。まったくすげえことやってのけたもんだ。あんなでかいクラーケン瞬殺したって? 浜から大勢の漁師が見てたってよ」
「デニス……さん……」
デニスさんの後ろから、街の人々が大勢で手に手に酒樽やら食べ物やらを抱えて押し寄せてくる。
「はははっ、宴の主役がなんて情けない顔してんだよ」
デニスさんの明るい声が遠くで鳴り響く汽笛のように聞こえる。
極度の緊張から解き放たれて、僕は意識を手放し始めた。
急激に暗くなってゆく視界の中で、シスターダーシャを見つけた街の人たちの、「聖女様だ! 聖女様がヒュッシャシュタットをお救いくださった!」というシスターダーシャを褒め称える声が聞こえてくる。
「「「「「ヒュッシャシュタットの聖女ダーリャ、バンザイ!」」」」」
「「「「「聖女ダーリャに栄光あれ!」」」」」
意識を完全に失う寸前に聞こえたのは、シスターダーシャの新しい二つ名だった。
2019/01/03
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