第73話 クラーケン退治なんかしませんよ
お待たせいたしました
「使徒ハジメ様、この身もヒュッシャシュタットに同道させていただけないでしょうか」
シスターダーシャが真剣な眼差で僕を見据えた。
そのグレーの瞳はうっかり断りでもしたら、その場で切腹しそうな鬼気を孕んでいる。
ワイヴァーンカレーから数日後。二~三日のうちにヒュッシャシュタットへ向かうため、アンブールを旅立つことをシスターダーシャたちに告げたその日の夜のこと。
夕食後のティータイムの和んだ空気は一瞬にして凍りついた。
子供たちとこの教会の若いシスター二人は、食事の後片付けを終えて、夜のお勉強のために教場に移動しており、この場に居るのは僕とお嬢様方、食後酒を嗜んでいるルーデルにリュドミラそして、シスターダーシャの六人だけだった。
マザーダーリャと初めて会ったときもそうだったけれど、この人が真剣になると気温が一気に氷点下にまで下がったように感じる。
「あ、ああ、はい?」
その迫力に気圧されて、僕は危うく貴重なコーヒーをこぼしそうになった。
「そいつぁいい、ハジメ、あたいは賛成だ」
「さうね、ダーシェンカが助けてくれるなら、ヒュッシャシュタットではだいぶ楽ができると思うのだけれど」
シスターダーシャのことを昔から知っているらしいルーデルとリュドミラは諸手を挙げて同行に賛成している。
もちろん若返ったことによりS級冒険者としての全盛期のチカラを取り戻し、年の功を兼ね備えた元S級冒険者の助力は頼もしい。
けれど、目当てのものを見つけるまでどれだけかかるかわからない旅にダーシャさんを連れ出してしまったら、再建が始まったばかりの教会の状況がまた不安定にならないだろうか?
「でもマザ……、シスターダーシャ、あなたが留守の間、この教会のことはどうなさるんですか?」
「だね、シスターダーシャ。シスターイェンナやシスターツェツィーリアがいるとはいっても、やっぱ、シスターダーシャがいないとだめなんじゃない? 教会のしゅうりだってまだ始まったばっかりだし……」
ルーデルやリュドミラと打って変わって、お嬢様方はシスターダーシャの同行には慎重だ。
「お嬢様は、この身が同道することがお嫌でしょうか? どうか、この身をお嬢様たちのお側においてくださいませんでしょうか」
「シスターダーシャ……」
「わたし、シスターダーシャのこと大好きよ。でも、わたしたちなんかより、ここの子たちの方がシスターダーシャのことを必要としているんじゃないかなぁ?」
「そ、それは……」
シスターダーシャは俯いて言葉を失う。
ああ、そういうことか……。
僕はなんとなくシスターダーシャがヒュッシャシュタットへと向かう僕らに同行したい訳がわかってしまった。
シスターダーシャことマザーダーリャは、贖罪がしたいのだ。
マザーダーリャはお嬢様方と出会ってすぐに、お嬢様方のお母様スリジエさんを護りきれなかった事の責任を取ろうと、お嬢様に自裁の許しを乞おうとしたほど責任感が強い人だ。
二十年前、王都で愚王の襲撃からお嬢様方のお母さんのスリジエさんを護りきることができなかった代わりにお嬢様方を護りたいのだ。
ダーリャさんの心臓には決して抜けることのない大きなトゲが深々と刺さっているのだろう。
そしてそれが事あるごとにジクジクと痛むのだろう。
その痛みを和らげるために、お嬢様方に仕えたいのだろう。
意地の悪い言い方をすると、それは自己満足にでしかない。
でも、償いの方法を見いだせずに二十年も悶々としてきたであろうマザーダーリャの心境を想像すると、頭ごなしに否定する気にはなれない。
「シスターダーシャ、ヒュッシャシュタットから何日で帰ることができるか分からないのに、今、再建が始まったばかりのこの教会からあなたを連れ出すことはできません」
「それはそうですが……。使徒ハジメ様、今日、ギルドにダンジョンで得た剥ぎ取り品の買い取りをしてもらうために行ったのですが、ヒュッシャシュタットの領主からクラーケン討伐の依頼が出ていると小耳に挟みました。お連れいただければ、この身は必ずお役に立てるのです。ですから……」
僕の諫言にシスターダーシャはそう答えて再び俯いた。
ん? シスターダーシャと僕の間に何か意思の疎通がなされていないような気がして、シスターダーシャに問いかける。
「あの……ぅ、シスターダーシャ。僕らはクラーケン退治に行くわけじゃないんですけど」
「「「「「へ?」」」」」
間の抜けた声で疑問符を浮かべ、皆が僕の方を振り向いた。
「え? 僕が何時クラーケン退治に行くって言いました? 今回の旅は、あくまでも食材探しが目的ですよ。懐だってそんなに寒くなってないし、わざわざ危ないことしに行くわけないじゃないですか」
事実、教会の借金、金貨一万五千枚を肩代わりした今現在でも、僕のマジックバッグの中にはまだ金貨は一万枚近くある。
お嬢様に預けてある分五千枚も合わせると一万五千枚近くある計算だ。
わざわざ命がけで恐い思いすることはない。
「……でございますか。クラーケンが出ているというこのときにヒュッシャシュタットへと向かうと仰いますから、てっきりギルドのクエストを受注するものとばかり……」
シスターダーシャはホッとしたように微笑んだ。
いくら、ルーデルやリュドミラみたいな核兵器が人型をとっているようなメンバーがパーティーに居るといったって、僕の冒険者レベルはC級だ。
対して、クラーケンは聞くところによると、軍隊なら海兵一個中隊約百五十人で当たるレベルのモンスターらしい。
その討伐を冒険者ギルドにクエストとして依頼するならA級クエストとなり、B級の上位者かA級の冒険者数パーティーで当たることになる。
そういった事情から、傭兵団やクランと呼ばれる冒険者集団が請け負うことが多いらしい。
「いくら、ルーやリューダがいるからっていって、自分の分を弁えないことをするほど馬鹿じゃないつもりなんですが……」
頭を掻く僕にルーデルが意味深な視線を向けて、オルビエート村の蒸留酒を呷る。
リュドミラもまた目を細めてワインのゴブレットを傾ける。
「でもねぇ、ハジメ……」
「はい?」
「ええ、ハジメさん……」
お嬢様方は僕に眉根を寄せた笑顔を僕に向けたのだった。
18/12/23
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