第69話 錯乱するくらいカレーは僕のソウルフードだった件
お待たせいたしました。
「五十セットください! さあ早く!」
僕はヤトゥさんに金貨袋を突きつけた。
「ちょ、ちょ、ま! ま! 待ちなって!」
なぜだかわからないがヤトゥさんは狼狽えている。
一セット金貨十枚だから五十セットで金貨五百枚。日本円ならごひゃくまんえんだ!
大儲けを目の前にしてなぜそんなに狼狽えるのか理解できない。
さあ早くスパイスと米とレシピのセットをよこしやがれ!
「や、ヤトゥさん! さあ、売ってください。さあさあ! お金ならここに!」
僕は金貨袋をヤトゥさんにグイグイと押し付ける。
なぜだかわからないがヤトゥさん、脂汗を流して後退る。
「ひ、ひいい! お、おたすけえぇ!」
壁にはりついたヤトゥが尻餅をついて頭を抱える。
いったいどうしたっていうんだ。
ふざけてないでカレースパイスセットと米レシピの詰め合わせを早く売って欲しい。
さあよこせ! やれよこせ! だ!
「こらぁー! ハジメ、ヤトゥさんを怖がらせちゃだめーッ!」
ポコンと軽い衝撃が後頭部を襲う。
振り返ると、サラお嬢様が生まれたばかりの子鹿のようにヒザを震わせながら、魔法使い杖の両手杖を構えていた。
「え? ……あ」
どうやら、またもや僕は我を失っていたようだ。
「ハジメさん落ち着いて。ハジメさんがかれーというものが大好きなのは分かりましたから……、どうか落ち着いてください」
杖を僕に向けて振りかぶるサラお嬢様の、くびれが目立たない腰にすがるようにして、ヴィオレッタお嬢様が震えている。
これはいけない。お嬢様方を脅かすなんて、保護者失格だ。
「す、すみません。またもや自失していたようです」
「はあ、ハジメちゃんでさえこんなに取り乱すんだ。すごい食べ物なんだねぇ……いや、たしかにおいしいんだけどさ」
ヤトゥさんが立ち上がり尻のホコリをはたき落とす。
「面目ない。今の今までその存在すら忘れきっていたんですが、いざ目の前にぶら下がったら居ても立ってもいられなくなってしまっていたようです」
恥ずかしさに頭を掻きながら、みんなに頭を下げる。
まったくもって、恥ずかしい限りだ。
「いやぁ、まさか、僕自身驚いているんです。まさか、こんなにもカレーライスというものが好きだったなんて、故郷に居た時は思いませんでしたから」
この故郷というのはもちろん前世。すなわち元いた世界だ。
僕がこんなにも取り乱すほどにカレーが好きだったなんて、思いもしなかった。
それほどにカレーというものが、僕にとって身近なものあって当たり前のものだったということなのだろう。
いや、僕個人のみならず、日本人にとってカレーという食べ物はまさに切っても切れないカンケイと言っていいだろう。
カレーは実に何処にでも当たり前のように日本には遍く存在していた。
お家で学校で職場で、週に一度は必ず食べる人気メニューだった。
インド発祥で、一般的に浸透したのはごくごく最近、第二次大戦後ここ何十年かの食べ物なのに、今や日本の国民食とも言うべきレベルで庶民は無論のこと、総理大臣から死刑囚まであらゆる階層のあらゆる場面で食されている食べ物だ。
洋食屋で蕎麦屋で定食屋でファミレスで。駅のホームで海の家でゲレンデで、何処にだってカレーがあった。
専門店じゃなくてもその店特有のカレーが食べらた。
給食で学食で社員食堂でそして国会議事堂や刑務所にさえある人気のメニュー。
最近じゃインド人やネパール人が日本人向けのカレー専門店をやってることだって少なくない。
朝、登校するときに「今晩はカレーだよ」なんて言われたら、その日一日中ご機嫌で過ごせた子は多かったろう。少なくとも俺はそうだった。
若いツバメに夢中になる前の俺の女親はまあまあの母親をやっていたから、そこそこに飯は作っていた。
そんな女が作ったカレーでさえ、俺の機嫌を良好にしておくくらいの役には立っていた。
だから、普通の幸せなご家庭のカレーは天国の味がしたに違いない。
話がローカルかつプライベートな方向にそれたが、カレーというものがそれだけ日本人に浸透していたのは事実だ。
「ハジメさん?」
「ハジメ……」
僕の様子をお嬢様方が心配そうに伺っている。
「ああ、すみません。故郷でカレーがどんなに人気の食べ物だったのかを思い出していました」
「そんなになんですか?」
「まあ、ハジメちゃんの様子を見れば、地元でどれだけのものだったか想像できるけどね」
「きっとみんながだいすきだったんだね」
「ええ、国中の何処の街へ行っても、カレーがなかったということはありませんでしたね。あと、カレーを食べたことがないって人に会ったこともなかったですね」
「うそ? そんなに? きっとおいしんだろうなぁ」
「まあ、今晩はそんな美味しいものが食べられるのですか?」
「ええ、ヤトゥがスパイスセットを売ってくれたらの話ですけどね」
「売るから。ちゃんとしたの売るからそんな怖い顔で見ないでおくれよ」
日本ではカレーは老若男女問わずに人気のメニューだった。食べたことがないって人を探すのは浜辺に落とした砂粒を見つけるようなものだろう。
学校の給食のメニューでカレーの人気は不動の一位だったろうし、テレビの番組で究極のカレーを作るなんてのが高視聴率を稼いでいたくらいだ。
カレーが好きな人間が少なかったらそんな特集番組なんてそもそも成り立たない。
また、その選択肢の多さも人気の証明だろう。
まず、外で食べるか家で食べるか。
外食なら、本格インドカレーにするか、日本で発展したタイプのカレーにするかで迷う。
また、そのトッピングもバリーション豊富だ。
とんかつに唐揚げ、ソーセージにチーズ思い出しただけで唾液が噴出して頬が痛くなってくる。
専門店で食べることにしたならライスで食べるかナンで食べるかを悩んだりするだろう。
まあ、僕は迷ったら両方食べていたから、何を食べるかで悩むことな無かったけれど。
家で食べることにしたって、市販のカレールーを使うかカレー粉と小麦粉でルーから自作するか、それとも、スパイスを揃えて本格インドカレーにするかとか。
また、レトルトカレーを何種類も用意して食べ比べるってことも可能だ。
実に選択肢が豊富だった。
対してらーめんはというと、基本的に外食で食べる物だ。
マニアックな食べ物と言ってもいい。
よっぽどの好き者じゃなければ家では作らない。
出汁を取るために12時間も鍋を火にかけ続けるなんて、マニアじゃなきゃできない所業だ。
だから、僕の前世の日本ではインスタントラーメンが発達して、お湯を注ぐだけで三分程度で食べられるカップ麺にまで進化した。
僕がこの世界に転生するころでは、ラーメン有名店とメーカーやコンビニとのコラボでカップ麺が開発されたりしていたものだ。
「ラーメンといい、かれー? といい、ハジメさんの故郷には美味しいものがたくさんあるんですね。機会があれば是非行ってみたいです」
ヴィオレッタお嬢様が僕の手を取り微笑んだ。
「ええ、そのときには僕のお気に入りをごちそうします」
僕はヴィオレッタお嬢様に笑い返す。
「じゃあ、ヤトゥさん、スパイスセット、お願いします」
僕は再度、金貨の詰まった袋をヤトゥさんに突きつけたのだった。
18/12/04
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18/12/11
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