第68話 レシピ付きカレースパイスとコメのセットは金貨十枚
お待たせいたしました。
「うははははははぁっ! うぇーッはっ、はっ、はっ、はぁ! ある! あるぞぉぉぉッ!」
総合食品卸タジャ商会のアンブール支店大倉庫の片隅は、インドの食品市場にいるんじゃないかと錯覚させるような香気が立ち込めていた。
そのむせ返るような、香気に僕はすっかりと当てられていた。
いや、このスパイスの山を目にする前から、僕の体の一番奥の部分に火が灯り、メラメラと燃え上がっていたのだった。
(こんなに僕ってカレーが好きだったっけ?)
思わず自問してしまうくらい、僕はすっかりと取り乱していた。
この世界に来て初めてカレーライスを食べられるということに、半ば我を失っていたのだった。
たった今の今まで、その存在すらすっかり忘れていたのに。
ラーメンほどに、それを渇望していなかったのに。
それが食べられると思った途端、焼け木杭にナパーム剤ぶっかけて火をつけたように、それを求める衝動が激しく僕の中で燃え上がっていた。
恐るべしカレーライス。
だが、それほどにカレーライスというものが僕の心の、いや、魂の根っこの所にしっかりと根づいていた食べ物だったのだ。
「は、ハジメさん大丈夫ですか? 私のことわかりますか?」
「ハジメぇ……」
ヴィオレッタお嬢様が僕の顔を心配そうに覗き込む。
サラお嬢様がガクガクとヒザを震えさせて、ヴィオレッタお嬢様の影に隠れる。
「う、うふふふぅ……だぁいじょぉぶですよう……。僕はいたって正気れすからぁ……」
正気を失っている人間の常套句を口にしながら僕は目の前のお宝に口角を吊り上げる。
「あはは、そのようすだと、やっぱりハジメちゃんは分かってるんだねぇ。ウチの船員たちがドハマリした食べ物のこと。で、ハジメちゃんもドハマリしてたんだねぇ」
この世界に転生してきてからこちら、かなりの種類の前世の食べ物をこちらの食材を使って再現してきた。
だが、カレーライスだけは再現できていなかった。
理由は簡単だ。
材料が無かったからだ。代用品さえ見つけられなかったのだ。
何年もの旅程で、はるか東方に交易の旅に出ていたゼーゼマン商会のキャラバンでさえ、手に入れていたのは胡椒ともう一~二種類の香辛料だけだった。カレーを作れるだけの種類のスパイスを揃えられなかったのだった。
「HA HA HA HA HA! あーっはははは! すげえ、すげえぞ、なんて引きだあああッ! 全部揃っってる! うははははははぁッ! ヒャッハーッ!」
胡椒は無論のこと、クミン、コリアンダー、カイエンペッパー、シナモン、ナツメグ、ターメリック、クローブ……etc。
インド発祥の日本の国民食! 日本人のソウルフード! カレーライスを作るためのスパイスが、目の前に完全に勢揃いしている。
「俺はカレーが作れるぞジ○ジ○ぉーーッ!!」
カレーが作れる喜びのあまり、僕は人間をヤメてしまった架空の19世紀の英国人のように叫んでしまった。
「こわいよ、ハジメぇ。うわあああぁん、ハジメがおかしくなっちゃったよう!」
「ハジメさんしっかり! お名前を言えますか? 私のことが分かりますか?」
「あっちゃー、香辛料の中には変な薬効があるものがあるって聞いてたけど、それに当たっちまったのかねぇ」
お嬢様方が口々に僕の精神の正常を疑う言葉を投げつけてくる。
が、そんなことは些末なことだ。
僕の目の前には丨極楽への鍵が山と積まれているのだ。
「や、ヤトゥしゃん! こ、こ、こりぇ、売ってくりぇりゅんれしゅか!」
ヤトゥさんにむしゃぶりつく。興奮のあまり呂律が怪しくなっているが、お構いなしだ。
数時間後、上手いことこのスパイスたちを手に入れた僕がカレーライスを口に運んでいるのを想像すると、とてもじゃないが正気を保っていられない。
ヤトゥさんの肩をガッチリと掴んで激しく揺する。
売ってくれると言うまで揺すり続ける。
「う、売るから、売ってあげるから、離しとくれよ! 頭の中身が耳からから出ちまうよッ!」
「ハジメさんしっかりしてください! どうしてしまったんですか!?」
「ハジメぇ、もとにもどってよぉ! うわぁん!」
ヴィオレッタお嬢様が僕の脚にすがりつき、サラお嬢様がへたりこんで泣き出す。だが、
カレーライスを求める僕の進撃を止めることは誰にも出来はしない。
それほどに、カレーライスという食べ物は僕のいや、日本人の魂の奥底に深く根付いている食べ物なのだ。
カレーライスというものがない所に転生してきて、初めて気がついた、カレーがない生活の寂しさ。
あんなに日常的に食べていたものが、全く食べられなくなってしまった空虚感。
「カレー、カレー……はぁううううぅ……カレーぇえええ……」
僕はうわ言のようにカレーライスを連呼している。傍から見たら精神に異常をきたしているように見えているのはことは重々承知だ。
だけれども、カレーライスを食べられるのなら、敢えて精神異常者の汚名だって被ろう。
カレーはその価値がある食べ物なのだ。
『今の今まで忘れていたくせに、なんだその手の平返し』と、いう誹りは敢えてうけよう。
だが、考えてみて欲しい。
購入抽選に外れてしまって諦めていたライブチケットがネットオークションに出品されたら、何十万だってつぎ込んで落札したくなるだろ。
今の僕が正にその状態だ。
諦めきっていたカレーライスが、もうすぐ、目の前にあるんだ。
多少気がおかしくなってもどうかご寛恕いただきたい。
「なぁんにしようかなぁ……いまあるので、一番いいやつだよなぁ……すると、ワイヴァーンか! ワイヴァーンだな! ワイヴァーンのカレーかぁ……。ふひひひ……ふひゃははは、あーッはははッ!」
「「「ひいいいいい」」」
ワイヴァーンカレーを想像して、そのおいしさに笑いだしてしまった僕にお嬢様方が怯えて抱き合い震える。
それは、まるでサイコヤローにタゲられて、追い込まれた被害者のようだ。
「おじょぉおさまぁ、きょうの晩ごはんはぁと~っても美味しいですからねぇ。期待しててくださいよお……ふひひひ」
「はい、はい、ハジメさん……そうですね。今日の晩ごはんはと~っても美味しいんですねぇ」
「そ、そうだね。はじめ、うん、うん、きょうのばんごはんはおいしいねぇ。よかったねぇ」
お嬢様方は、錯乱した人間を落ち着かせるように、僕にやさしく頷き背中を擦る。
たしかにカレーを食べられるということに興奮しすぎて、常軌を逸した言動に及んでしまったことは否めないからお嬢様方の行動はむしろありがたい。
「はあぁ……ありがとうございます。すみません、カレーが食べられると思って。興奮しすぎちゃいました。もう落ち着きましたから」
「ハジメがおかしくなっちゃうくらいすごいんだね、かれー? って」
「ハジメさんがそんなに取り乱すなんてよっぽどおいしいんですねぇ。かれーって」
「そりゃぁそうさ! ウチの船員が全員ドハマリしてる食べ物だからね! あいつらときたら、せっかく帰ってきたってのに、こっちの食べ物には見向きもしないで毎日カレーを食ってるんだよ」
ヤトゥさんが呆れたように肩をすくめる。
「まあ、かく言うあたしも二日に一食は食べてるけどね」
そう言ってウィンクしたヤトゥさんが、ポケットから一枚の紙片を通りだす。
「これが、そのレシピだ。このレシピ付きのスパイスとコメのセット。金貨十枚でどうだい?」
「買った! 五十セットください!」
即答した僕は、マジックバッグから金貨袋を取り出し、ヤトゥさんに突きつけたのだった。
18/12/02
第68話 レシピ付きカレースパイスとコメのセットは金貨十枚
の公開を開始しました。
まいどご愛読、誠にありがとうございます。
18/12/11
スパイスセットの価格を金貨十枚に修正。




