第64話 シスターダーシェンカ
お待たせいたしました。
「ええ……と、昨夜、わたしは……? そうだ、使徒様にいただいた目のお薬が焼けるように痛くてハミを噛まなきゃ我慢できなくて……気を失った? このわたしが? あははははすげえな! このアンテノーラのダーシェンカが痛みで気を失っただと!?」
「おはようございます。マザーダーリャ」
「おはようマザーダーリャ。よく眠れた? どこかいたいところ無い?」
「お早うございますマザーダーリャ。お背中痛くありませんか?」
翌朝、寝台で覚醒し、唖然としているマザーダーリャに、僕たちは朝の挨拶をする。
じつは、昨夜、マザーダーリャを寝台に寝かせた後、僕らの馬車から、野営用の敷布団を持って来て、マザーダーリャの寝台に敷いて寝かせ直したていた。
「おかげんはいかがですか? どこか不調なところはございませんか?」
「お早うございます。生命の女神の使徒ハジメ様。不調なところなど全くございませぬ。むしろ、フルプレートを脱ぎ捨てたように体が軽く感じます。まるで、ダンジョンから帰還して熟睡して起きた時のような爽やかさでございます。生まれ変わったような感覚というのはこういうことなのでしょうか?」
マザーダーリャは、その身に起きた変化を似合わぬ饒舌さを纏って語り、何かを恥じらうように微笑んだ。
例えがなんとも騎士らしい。
そして、彼女はベッドに着いた手の感触に気が付き、ハッとして叫んだ。
「こ、これは……なんてことを……使徒ハジメ様! これはあなたの御業でしょうか」
僕はマザーダーリャが感じているだろうある種の申し訳無さを先取りして彼女に謝罪する。
「すみませんマザーダーリャ。余計なこととは重々承知しておりましたが、あなたには安静が必要だと思いましたので……。もちろんシスターや子供たちにも同じものを貸与させていただきましたから、ご安心ください」
僕に機先を取られ、マザーダーリャは気色ばんだようにへの字にした口角を歪ませて困ったような笑顔を浮かべる。
「いえ、余りにも勿体無いことに、恐縮するばかりでございます」
そう、声を絞り出したマザーダーリャに、サラお嬢様がニコニコと微笑みかける。
「あのね、マザーダーリャ。エーリャがね。眠りながら、『きもちいいね、きもちいいね』って何回もお寝言言ってたの。わたし、よかったねぇ、よかったねぇって、お返事しちゃった」
「マザーダーリャ、昨夜は、あなたもスヤスヤと安らかにお眠りでしたよ。溜まったお疲れも幾分取れたのではありませんか?」
サラお嬢様にヴィオレッタお嬢様が追従する。お嬢様、いや、仏さんに対する呼びかけですからね安らかにお眠りなんて。
いよいよ立場をなくしたマザーダーリャは『ありがとうございます。おかげさまで久しぶりに安眠できました』と、力なく微笑んだのだった。
「それはよかった。じゃあ、包帯を取ってみましょうか。窓に背を向けるようこちらを向いてください」
「ええ、と、ハジメ様の方を向けばよろしいのでしょうか」
マザーダーリャが戸惑ったように聞いてくる。
「ああ、はい、そうです。どうぞこちらに」
僕はマザーダーリャの手を取り、寝台に腰掛けさせるようにして、僕の方を向かせた。
マザーダーリャの部屋の窓は幸いにも鎧窓がついていたので、ヴイオレッタお嬢様に鎧窓を閉じてもらい、遮光をする。
サラお嬢様は僕の傍で膿盆代わりの金属バットを持って待機している。
「マザーダーリャ。目をしっかりと閉じていてくださいね。ヴィオレッタお嬢様お願いします」
「はい、ハジメさん」
お嬢様が後頭部で結んだ包帯を解く。
シュルシュルという衣擦れの音が室内を満たす。
にわかにマザーダーリャの唇が青褪め始める。
なにか、ショック症状を起こしかけているようだ。
「大丈夫、大丈夫。怖くないですよ。必ずあなたの視力は回復しているはずです。あなたに点眼した薬は、ロムルスの異端審問で責殺された女の子を傷跡一つい状態まで回復させ、生き返らせたこともあるものなのですから」
僕は戦場で傷を負った負傷兵を励ます衛生兵のように、マザーダーリャに言葉をかける。
「使徒様……ハジメ様! どうか、どうか、この身の手をお取りいただけませぬか! この身の心の臓が、初めて恋を知った小娘のように早鐘を打っているのです。どうか、御手をこの身にお貸し下さり、この身の心を安寧へとお導きくださいませ」
僕は、マザーダーリャの手を取り、彼女の足元に跪いた。
「ああ、使徒ハジメ様、ありがとうございます。この身は……この身は……あああッ! 使徒様ッ!」
マザーダーリャの元冒険者らしからぬ剣ダコひとつ無いたおやかな手がふるふると震えている。
流石は元S級冒険者だ。肌に全く年令による弛みが見受けられない。
S級冒険者ってのはある意味人間辞めてるよなぁ。
そうして、彼女の頭に巻かれていた包帯の最後のひと巻きが解かれた。
解かれた包帯はサラお嬢様の持つ金属バットに盛られた。
「では、マザーダーリャ……え?」
ゆっくりと目を開けてください。と、言う言葉を僕は思わず飲み込んでしまった。
「ど、どうしたのですか、使徒様。この身に何か異常が起きましたのでしょうか?」
「い、いえ、これは……異常なのかな?」
ヴィオレッタお嬢様が僕の方に回り込んで、やっぱり息を呑んだ。
「まあ、まあああッ! マザーダーリャ、これは、喜ばしいことなのかも知れません。でも、マザーとはもう名乗れないかも知れませんね」
微妙なことをお嬢様が曰う。
「うん、マザー……ていうより、シスターダーリャって呼んだほうがいいかも」
サラお嬢様が鏡を構える。
鎧窓で室内はしっかりと遮光され、スリットから幽かに射し込む光で薄暗いながらも人の顔貌は見て取れる。
僕は、気を取り直し、マザーダーリャに語りかける。
「お待たせしましたマザーダーリャ。ゆっくりと目を開けてみてください。眩しかったらしばらく目を閉じていて慣らしてからでも構いません」
「はい、使徒ハジメ…開けてみま…す……あ、ああ、ぅああッ! み、見える! 見える! ああ、使徒ハジメ様。あなたはそんなお顔をされていたのですね。わたしのここに見えていたお顔とは全く別人です。こんなことはきっと初めてですよ。初めまして使徒ハジメ様。この身はミリュヘ教団アンブール教会司祭正ダーリャ・ボイギュ・ミ・ダヴィデュークと申します」
マザーダーリャは優雅に微笑み首を傾げる。
そして、サラお嬢様が構えた鏡に視線を移して驚愕に顎が外れんばかりに口を開けて叫んだのだった。
「誰これ!」
18/11/17
第64話 シスターダーシェンカ
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