第51話 野営準備中のハプニング
お待たせいたしました
日が傾き始めた野営地に金属同士の衝突音が響く。
伸びのある低音域の音が次第に短く甲高い音域へとリズミカルに変化してゆく。
僕は、今晩の宿となる天幕の設営をしていた。
予定よりも少し早く野営地に到着した僕らはかなり余裕を持って野営の準備に取りかかれていた。
「ハジメさん土袋ここでいいですか?」
「はい、そこでだいじょうぶです。天幕を立ち上げたら、裾にかぶせていきましょう」
「はい、じゃあ、残りも持ってきますね」
ルーデルとリュドミラは、食材の調達(つまりは狩りや採取だ)に、サラお嬢様は土魔法で竈やお風呂に給湯用のボイラーの制作。
僕とヴィオレッタお嬢様は、宿泊スペースの設営に勤しんでいた。
「よし、っと。これでいいかな?」
予め地面に描いた正八角形の頂点に打ち込んだ鉄杭に短い綱で作った輪っかを通して、更に打ち込んでゆく。
短い綱の輪っかが繋がっているのはテントの裾のハトメだ。
テントの周りをグルリと回って、杭がしっかりと全部打ち込んであるかを確かめる。
まだ支柱を立てていないテントは、クシャリとだらしなく潰れた厚手の布の塊だ。
これをテントにするには真ん中に支柱を立てて、ピンと張ら無くてはならない。
「ん……しょっと」
潰れた布の中に潜り込み、予めそこにおいてあった支柱を真ん中のハトメに通して持ち上げる。
支柱が垂直になる直前で地面につっかえ、それ以上持ち上げられなくなる。
そうなったら、しゃがみこんで支柱の最下部をしっかりと掴み、気合とともに立ち上がる。
「おりゃっ!」
厚手のテント生地がミチミチと言いながら張り詰めてゆき、支柱がまっすぐ垂直になる頃にはピッチリとたるみのないテントが立ち上がっているという寸法だ。
荷役奴隷の頃からテントの設営は、キャラバンでの僕の主な仕事のひとつだったので、これくらいはお茶の子さいさいなのだった。
もちろん、今やった手順は、しっかりとテントの底面の大きさを分かっていないとダルダルだったり、どんなに頑張っても支柱が真っ直ぐにならなかったりするので、かなりの慣れが必要だ。
けれども、人手が足りないキャラバンの旅では、テント設営の他にも野営をするためには盛りだくさんの準備作業があるので、こういう技術はまっさきに覚えなくてはならないものだった。
「うしっ! おKっ!」
しっかりと建ったテントを眺め、僕は口角を上げる。
いつもながら、こういう作業には独特の達成感が有り、僕は建ち上がったテントを眺めるのが大好きだった。
出入り口のカーテンを留めてあるボタンを外し、捲りあげて中に入る。
カーテンを閉じて天井を見上げる。
「点検!」
ぐるりと頭を回し、光の点を探す。
「うん、天井穴なし! 壁破れ無し!」
テントの厚い布は光の透過率が悪いので薄暗く、かすかな光もよく目立ってしまう。
だから、どんなに小さな穴でも開いていたらすぐに分かるというわけだ。
「明るく照らす光よ来たれ! トールチョ!」
支柱にヒビが入っていないか調べる。
よく、支柱を立ち上げるときに折ってしまうので、念入りにクラックを探す。
「支柱折れなし! 全部よし!」
このテントは、王都までの旅で使ったものよりは随分小型だけれども、十分に広く、ウチのケモミミさんたちのような大柄な女性でも余裕で六人は横になることができるし、七~八人分くらいのテーブルが置けるくらいの広さがある。
つまり、食堂兼寝室だ。
他の季節なら、屋根だけのテントのタープを張って、そこにテーブルや椅子を置いて外で食べるのが主になるけれど、冬の今、北に向かっていることもあって外で食事をするのはいささか寒い。
なので、食事はテントの中が主になる。
これは、商隊で旅をしているときもそうだった。
ちなみに僕は焚き火の横で不寝番なので、テントの中では眠らない。
そのかわり、僕は昼間、馬車で移動中に中でゆっくりと休ませてもらっている。
ユニークスキル『絶対健康』のおかげで、不眠不休でも何ら不調にはならないんだけれど、睡眠をしっかり取らないと、疲労を回復させるためにカロリー消費が恐ろしいことになってしまい、食料がエライ勢いで無くなっていく。
王都までの旅を始めたばかりの頃、前日の野営準備から不寝番。そして、朝食の用意、天幕撤収作業、そして馭者。昼食の用意、野営の用意。
と、三六時間ぐらい寝ないでいたことがあった。
体調が不良になることななかったが、その時の僕の食事量と言ったら、二〇世紀のアメリカを代表する歌っているときのセクシーな腰使いが放送禁止になったという逸話があるスーパースターが晩年に摂っていた食事量を軽~く凌駕するものだった。
あまりの摂取量の多さに驚いたお嬢様たちが、悪い病気や悪魔や悪霊の憑依を心配してくれた。
だけど、原因が睡眠不足と解るや、僕に一日の最低睡眠時間を課して、非常事態でない限り、一日の内に必ずその時間は横になって休むことを義務付けたのだった。
「ハジメさん、土袋、全部裾に敷いておきました」
「ああ、ありがとうございますヴィオレッタお嬢様」
僕がテントの点検をしているうちに、隙間風対策の土嚢をテントの裾に敷いていたヴィオレッタお嬢様が、作業終了を告げに入ってきた。
「ねえ、ハジメさん! もう、いい加減に、お嬢様って私やサラのことを呼ぶのはよしてくれませんか!」
お嬢様が両手を腰に当て、頬を膨らませる。
「す、すみません。つい……」
一時期、ヴィオレッタお嬢様があんまり怒るものだから、お嬢様を付けないで呼ばせていただいていたことがあったけれど、どうにも、尻の座りが悪くて、いつの間にか、再びお嬢様呼びに戻っていた。
「つい、じゃありません! 何度言ったら分かってくださるんですか! 私たちは、もう、あなたを雇っている者の娘でもなんでもないんですよ。むしろ、私たちがあなたの所有物なんですから!」
そうまくしたてながらヴィオレッタお嬢様がずんずんと歩み寄ってくる。
お嬢様が自分のことを僕の所有物と言っているのは、あのときのことだろう。
それは、お父様である交易商ゼーゼマンさんが破産したショックで心臓麻痺になって亡くなった時のことだ。
お嬢様方は、借金のカタとして奴隷オークションに掛けられ、あやうく王都の裏社会のボスに買われそうになったのだった。
そのとき、僕はたまたま持っていた金貨二万枚(日本円で二億円ぐらいみたいだ)で買い戻したのだった。
「それだけじゃありません! ヴェルモンの家だって!」
お嬢様はもう半泣きだ。きっと、奴隷になりかけたときの恐怖や、生まれてこの方暮らしてきた家から立ち退かなければならかくなったときの絶望感を思い出しているのだろう。
そして、父親の今際の際に傍に居れなかったことを……。
どうやらお嬢様方は、僕がお嬢様方の窮地を救ったのだと勘違いしておられるようだ。
奴隷オークションでお嬢様方を買い戻せたのもヴェルモンのお屋敷を買い取れたのも、僕の力で成し遂げたことじゃない。
すべてが、転生してきた僕の魂が乗り移った人のアイテムボックスにたまたま入っていた大金や、僕が転生して来る寸前にこの体の前の持ち主アインさんが命と引き換えに得たレアアイテムだ。
決して僕がお嬢様方をお助けしたわけじゃない。
アインさんが助けたんだ。
だから、お嬢様が僕に恩義を感じてくださっていることは感激だけれど、それはお門違いってものだ。
それに、僕はお父様のゼーゼマンさんとの約束を遂行しているだけに過ぎない。
勢いで解放してしまったけれど、超高性能の戦闘獣人奴隷の二人を報酬として。
そこに、お嬢様方に対する特別な想いはない。
いずれ、相応しい方が現れ、お嬢様方をお幸せにしてくださるまで、責任を持ってお世話させたいただくのが、ゼーゼマンさんとの契約だからだ。
契約書は交わしていないけれどね。
「私とサラは、ハジメさんに今生では返しきれないくらいのッ……キャッ!」
お嬢様が足元のなにかに躓いてよろめき、僕に向かって倒れかかってくる。
「だいじょ……わぁッ!」
抱きとめようとした僕にお嬢様が頭からダイブしてきた。
つまり、飛びついて来てしまった形だ。
僕はたしかに力持ちで、ちょっとしたものなら軽がると持ち上げてしまうし、小さい女の子なら、四~五人に飛びかかられてもびくともしない。
だから、ヴィオレッタお嬢様くらいなら、片腕でも抱き止められるはずなんだけれど、このとき、なぜだか僕の足元にも障害物があったようで、僕もバランスを崩して転んでしまった。
「あたた、だ、大丈夫ですか?」
「ええ、ハジメさんは? どこかお怪我なさってませんか?」
ヴィオレッタお嬢様が気遣ってくださる。
だけど僕には『絶対健康』があるから、例え捻挫していたって、すぐさまに完治する。
お嬢様のお気遣いはうれしいのだけれど、丁度股間に馬乗りになった状態でのそれは、いささか気恥ずかしい。
「だ、大丈夫です僕には……」
生命の女神イフェ様からいただいた『絶対健康』がありますからと言いかけてハッとする。
「ハジメさん……」
近い! 近いですッ! お嬢様! 近すぎます! それじゃあ、まるでお嬢様が僕にくちづけなさろうとしているように見えますって!
「ハジメさん……」
お嬢様のお顔がどんどん近づいてくる! だ、だから……や、ちょ、ま! ダメです! それは、ダメなんです!
僕は……!
「うひゃひゃハジメぇ! リヴェラセルペントが捕れたぞ、こいつは15ウマウマなんだぜ! あとよぅ、サラがカマドができたから見てくれ…………って……。……ワリィ」
勢いよく出入り口のカーテンを開けてルーデルが今日の猟果を教えに来たんだけれど、にやりと犬歯を見せて回れ右をする。
獲物の大河蛇は? …………ああ、外に置いてあるんだね。
ってか、あの様子じゃ、僕とヴィオレッタお嬢様の体勢を見て完全に勘違いしてるよね!
「ち、ちがうから! 誤解だから! お嬢様が転びそうになったのを受け止め損なって僕も転んだだけだから! ちょ、ちょ、待って! 待てってば、ルー!」
慌ててテントを飛び出した僕の声が、虚しく野営地に響く。
「んもう、ハジメさんったら! ルーやリューダは愛称で呼ぶくせに!」
背後から聞こえた、そんなお嬢様の声を、僕は聞こえなかったことにしたのだった。
18/10/20
第51話 野営準備中のハプニング
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