第39話 僕が遠大な計画を台無しにしてしまっていた件
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「生きておればこそ、こうして美味なるものを美味と言える」
うつむいたアイラ皇女の瞳からポタポタと雫が零れ落ちた。
「ハジメ殿、ありがとう。ほんとうにありがとう。カイラを助けてくれてほんとうにありがとう。今は叶わぬであろうが、いつかきっとカイラも美味なるものを美味と言える日が来るであろう。全ては生きておればこそ。生きておればこそなのだ」
アイラ皇女が流す涙は、瞳の色を映し血涙を滂沱しているように見える
「殿下……」
「く……」
ディークシャさんとヴリティカさんは、そんなアイラ皇女に目頭を押さえる。
「だがな、ハジメ殿、妾の故国の民は、そのほとんどが妾やカイラのように美味なるものを美味と言えるようになる日がこぬかもしれぬのだ」
ってことは、あれか? スーラ皇国の人々は絶滅させられる危機にあるってことか?
「今日、職場で知ったことなんだけど、ロムルス教国は南大陸での戦争を聖戦と宣言しているらしいんだ」
アルベルトさんが話す内容と真逆の口調でのんびりと宣った。
が、僕はその言葉に眉尻が吊り上がるのを自覚する。
聖戦だ? 元の世界でもそうだったが、いかにも正義は我に有りみたいなお題目をぬかす奴らに限ってロクでもないこと僕は知っている。
「ロムルスによればスーラ皇国は悪魔の国、だ、そうだ」
アルベルトさんの口調はここに存在しない誰かを小馬鹿にしたような嘲りを含んでいる。
「たしかにスーラの民は北大陸の民よりも魔法に秀でている。我らが崇める神も魔法を司る神だ」
「略して魔神様って言います?」
僕の問いかけに答えたのはディーグシャさんだった。
「そうだ、ハジメ殿。我らは魔法の神、魔神様を祭神として祈りを捧げてきた。何千年もだ」
「その加護で我らスーラの民は他の民とは違った外見的特徴が顕れてはいる」
ディーグシャさんの言葉をアイラ皇女が引き取る。
「あらぁ、不用心だと思うのだけれど?」
リュドミラがぱちんと指を鳴らす。
すると、僕らの周囲から酒場の喧騒が消え失せた。
「これで、こっちからは何も聞こえないし、向こうからは何も見えないのだわ。大賢者級の魔法使いでもこの結界は破れないと思うのだけれど」
流石はSSS級冒険者だ。隠蔽魔法も弩級だ。
「あいや、すまぬ。手間を掛けさせた」
そう言ったアイラ皇女たちの頭には、僕らが想像する悪魔のステレオタイプがあった。
すなわち、牡山羊の角だ。
「スーラ以外では認識阻害の常駐魔法で隠しておる。この角は魔法に秀でておればおるほど大きく美しくなるのだそうだ」
アイラ皇女の角は他の二人のそれと比べても実に見事なものだ。と、いうことは、このふたりよりも魔法に優れているということなんだろうか。
「殿下の角はスーラでも一二を争うくらい立派なんだぞ!」
えっへんと子供のように胸を張ったヴリティカさんだったが、すぐに顔から湯気を出しそうなくらい真っ赤になってうつむいた。
どうやら自分の言動が幼稚であったことに気がついたらしい。
なるほど、このひとアイラ皇女様大好きっ子なんだ。
そして、アイラ皇女はスーラ皇国でも一二を争うほどの魔法使いらしい。
「我々北大陸の者はスーラ人のように魔力に長け、魔神を尊崇する南大陸の人々のことを昔から『魔族』と呼んできた。だが、それは単に魔法の力に秀でている種族ということで、悪鬼悪魔の種族という意味合いはなかった」
アルベルトさんが不機嫌に『生命の水』を呷った。
「それを、三十年位くらい前からかな? ロムルス教徒が曲解して、南大陸の魔族に悪鬼悪魔と濡れ衣を着せ、パージを始めたんだ」
ちょうど、さっき聞いた偽装農民が南大陸に漂着した頃と重なる。
「まあ、ロムルス教徒ってのは昔っから自分らの神以外は存在を認めないからね」
「奴らは何の迷いなく良心の呵責なく我らを犯し殺し奪う。奴らが通った後には草も生えぬ荒野が残るのみだ」
ディーグシャさんがテーブルの上の拳を震わせ歯噛みした。
「やつらは己等の所業こそが、悪鬼羅刹の業であるということに気がついておらんのだ」
「ははは、奴らは正義を行い、功徳を積んでいると信じ切っているからね。南大陸を悪魔の支配からから開放してやってるつもりなんだろうね。聖戦なんてご立派な旗おっ立てて、さ」
アイラ皇女が嘆き、アルベルトさんが嘲った。
「なるほど、ロムルス教徒ってのがどうしようもなく自己中で独善的な独りよがりの自分本意な身勝手極まりない奴らだってことがよくわかりました」
自分たちが信じている神以外を悪魔に貶め、それを信じ祈りを捧げている人々を異端として人間扱いすらしない。
異端者に与えられるのは改宗した上での奴隷化か拷問の末の死だ。
飽きるほど、うんざりするくらいどっかで見聞きしてきた所業だ。
なるほど、あのカイゼル髭が言っていたことがよーくわかった。
あいつだけがイカれてたんじゃない、ロムルス教徒全部がイカれてるんだ。
「ロムルスは今、南大陸の全土で聖戦と称する侵略を絶賛展開中らしい。スーラだけじゃなく南大陸諸国からの救援を乞う親書で外務卿の執務室は溢れかえっているそうだよ」
「そう、彼奴めらは魔族のみならず、獣人族、エルフ族をも異端として駆逐し、南大陸を蚕食しておるのだ……。彼奴めらの圧倒的戦力の前に南大陸の命運は尽きつつある……。妾は……、そんな国からこっそりと抜け出してきた卑怯者だ。民を見捨てて逃げてきた卑怯者だ」
「「殿下!」」
ディーグシャさんたちが短く叫びアイラ皇女の手を押し止めようとした。
が、それは虚しく空振りし、アイラ皇女の手にはオルビエート村特産の蒸留酒『生命の水』が抱えられていた。
「んッ、んッ、んッ、んッ、んぐッ、んんんンッ!……んぐぐッ! ぶはぁッ!」
「あぁ! なんてもったいねえ飲み方すんだよ」
ルーデルが眉根を柔らかに寄せて抗議する。
「まあ、気持ちは分からないではないけれど、お嬢ちゃんには少しだけ早すぎると思うのだけれど?」
そう言って、ミードを呷るリュドミラの視線もまた、柔らかかった。
「らって、らって、しからないのら。妾は、妾は……、生きねばならないのら。どんなに卑怯なことをしても生きねばならぬのだ」
そう言って、アイラ皇女はテーブルに突っ伏したのた。
「す、すまぬ、ハジメ殿。で、殿下は普段はとても思慮深くこうも乱れることは無いのだ!」
「わ、わたしだってこんな殿下初めてだ。お使えして五年にもなるがこんな殿下初めてだ!」
ディーグシャさんもヴリティカさんも狼狽えている。よっぽどのことなのだろう。
「ディーグシャさん……、聞きにくいんだけど……。カイラさん……だっけ? 僕が助けちゃった方なんだけど……」
僕の考えていることを察してくれたのかディーグシャさんが歯を食いしばる。
僕はそれで確信したのだったが、ヴリティカさんが言葉にしてくれる。
「キサマの考えどおりだ。カイラ様はロムルスの異端審問官に捕縛され殺されるのが任務だったのだ。アイラ殿下の身代わりとしてな。ロムルスは我ら魔族を絶滅するのが目的だ。血の一滴たりとも残さずに絶滅させよという主命で行動しているのだ。南大陸ではもう一年もかかることなくその目的は完遂しよう。アイラ殿下の任務こそ我ら魔族の血を絶やさぬことなのだ。カイラ様を殺害することで、南大陸から逃れた魔族の血脈を絶えさせたと思い込ませ、密かに血を残し続けることが皇主陛下のお考えだったのだ。それを……」
ああ、僕がその作戦を台無しにしちゃったんだな。
「だが、それでも妾は感謝しているのだハジメ殿……ありがとう」
テーブルに突っ伏したままアイラ皇女が寝言のように呟いた。
「いつの日かきっとカイラも……」
アイラ皇女がその先にどんな言葉を紡ごうとしたのか、僕にはわからない。なぜなら皇女殿下が大鼾をかき始めたからだ。
だけれども、それはきっと影武者カイラさんを労る言葉だったに違いないと僕は確信していた。
18/09/23
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