第7話 平和はいつも突然に破られる……なんてのはそこにある危機から目を逸らし続けてきた愚か者の戯言だ
遠く東の空が仄かに白み始めている。
夜明けまで、後、二時間くらいだろうか。こっちの言い方なら一刻ってとこか。
「へえ、あの冒険者嘘つきじゃなかった。火持ちが炭並みだな」
僕の前でチョロチョロと燃えている焚き火の薪は、手首くらいの太さで三十センチ位の長さなんだけれど、もう四時間近く燃え続けていた。
騎士さん商人さん冒険者さんたちが入れ替わり立ち替わり芸を披露して盛り上がったレバニラ宴会は日付が変わる頃にはなし崩し的にお開きとなった。
その後僕は少し仮眠をとって、リュドミラと見張りを交代した。
皆が一番深く眠り込んでいて、今の時期一番冷え込むこの時間から夜明けまでがいつもの僕の担当だ。
「ううっ、寒っ!」
筍のように毛布に包まってるけれど、この時間帯の底冷えはまた別格で、背筋を這い上がってくる寒さに僕は思わず震え上がってしまった。
ズズズッ!
砂糖をたっぷり入れたコーヒーを啜る音が辺りに響く。
「ごしゅじんさまぁ……」
不意に舌足らずの稚い高音が耳朶を揺らした。
一瞬どきりとしたけれど、すぐさま平静を装い、振り返る。
「どうしたの? リゼ、ダリル」
振り返ったそこには、長い耳を怯えたようにしなだれさせた兎人のリゼが、もはや大親友となった狼人のダリルに支えられて、ようやくといった体で立っていた。
「ご主人さま。リゼが……」
「ごしゅじんさま、人が殺し合う音が聞こえるんです」
元の世界の僕だったら黙って119番をタップしていたに違いない。
だがここは僕の世界の常識が通じない異世界だ。
聴力に優れた兎耳を持つリゼが言うのならどこかで殺し合いが起こっているに違いない。
「人間同士なんだね」
「はい、ごしゅじんさま。種族はわからないけど、人同士が戦っています」
「ご主人さま信じて! あたしもさっきから人が流す血の臭がして、気持ち悪いんだ」
信じるもなにも、この子達がそう言っているのだからそうに違いない。
だが、人間は自分より優れているものを認めないし、自分の常識以外のものを否定したがる。
だから、愚か者はこういった人間以上の特殊能力で感知した危機をスルーして危険を呼び込んでしまうってわけだ。
「リゼ、ダリル、よく……」
「よく聞いたなぁ! 偉いぞリゼ! ダリル! よく嗅ぎつけた!」
「流石は私達の弟子といったところだと思うのだけれど……血の臭いがどんどん濃くなってくるのだわ」
「ダリル! ヴィオレッタお嬢様と、エフィさんを起こしてきて!」
「それには及びませんのでございますれば、台下、次のご指示を!」
「ハジメさん、誰かが野盗に襲われているのでしょうか?」
ダリルに起こしてくるようにお願いしようとした御本人方が、戦闘装備を整えて佇んでいた。
ヴィオレッタお嬢様はリゼの表情から、旅人が野盗に襲撃されているのを察したようだ。
「そうですねヴィオレ、誰かが襲われているようです。あはは……頼もしいですお二方とも。ちゃんと装備も整えておられますね」
「で、どうするハジメ?」
ルーデルの問にルーデルとリゼを見て僕は口を開く。
まずはできる限りの情報収集だ。
「ルー、リゼ。聞こえる限りでいい。状況がわかるかな?」
「了解だ!」
「はい!」
二人は目を閉じ文字通り耳を澄ます。
「ダリル、他の皆も起こして来て! リューダ、商人さんたちにも知らせてあげて」
「はいご主人さま」
「わかったのだわ」
リュドミラとダリルが伝令に走り出す。
「ああっ! ごしゅじんさま、たいへんですっ! は、早く助けてあげないと!」
「んんっ? そうだな。こりゃ、急いだほうがいいな」
リゼが涙を溢れさせ、ルーデルが眉を顰める。その顔色が風雲急を告げる自体が進行しつつあることを教えてくれている。
「わかった。行こう、ルー! 先行して。すぐ追いかける」
「了ッ!」
返事が早いかルーデルがトップスピードで駆け出した。
「リゼ、方向と距離を教えてほしい。あと、なにが起こっているか……分かるんだね」
「はい……、方向はここから南西です。距離は……一リーギュ半くらいです。ごしゅじんさま、早く助けにいってあげてください! でないと、みんな、みんな……」
リゼが流す涙でどんな事態が進行しているのかがだいたいわかった。一リーギュ半というとここから六キロぐらいか。
だとすると、あと四~五分でルーが到着するに違いない。
しかし、六キロ先の撃剣の音を聞き取るなんてすごい聴力だな。
ダリルにしたって六キロ先の血の臭いを嗅ぎつけるなんて……。
「では、僕もルーの後を追いかけます。ヴィオレ様、ウィルマさん! リゼに案内させて馬車で追いかけて来てください。お二人の力が多分必要になります」
「わかりました、馬車を用意して来くるのでございます」
「ええ、わかったわハジメさん」
ヴィオレッタお嬢様とエフィさんが馬車を用意に走る。
うちの馬車馬はスレイプニルの仔だから、きっと、僕が向うに到着する頃には追い付いて来るだろう。
僕は涙を流し怯えているリゼの肩を抱いて言い聞かせる。
きっと、リゼの中ではゴブリンの巣穴でのことがフラッシュバックしているに違いない。
「リゼ、申し訳ないけれど皆が揃ったら、エフィさんとヴィオレッタお嬢様を案内して追いかけてきてほしい。馬車を使うといい。二人の力がきっと必要になるからね。リューダにはサラお嬢様と皆を守ってもらうようにつたえて」
「はい、ごしゅじんさま!」
リゼは眦をキッとさせて僕の無茶振りに応えてくれる。
「わかったわハジメ。冒険者、それから商人の護衛がこの野営地を守備する手はずを整えてきたわ。騎士たちは馬でそっちに加勢に行くそうだから、リゼたちに案内してもらうといいと思うのだけれど」
「流石だ、リューダ後を頼んだ」
「ええ、いいわ任されてあげるのだわ」
僕の肩をリュドミラがポンポンと叩いた。
「いいわ。いい指揮官っぷりね。ハジメ、上出来だと思おうのだけれど」
僕はかあっと顔が熱くなり、全身の毛穴が痒くなった。
「さ、さんきゅ。よし…と、じゃ、行ってくるね」
僕も走り出す。すぐにトップスピードに乗る。
「これなら三分位で追い付けるかな」
つぶやいた僕だったが
「急ごう」
すぐに足を速める。
ゴブリンパレードを潰したことで、レベルがとんでもなく上がっていた僕は、ルーデルやリュドミラほどではないが、かなりのスピードで走れるようになっていた。
「遅れてルーデルが戦った後の始末をやらされるのはまっぴらだもんな」
遅れればそれだけルーデルが暴れる時間が長くなる。ということは、それだけ後始末が大変になるってことだ。
簡単な足し算引き算だ。
僕は夜明け前の草原を南西に急ぐのだった。
18/07/21 第七話 平和はいつも突然に破られる……なんてのはそこにある危機から目を逸らし続けてきた愚か者の戯言だ の公開を開始しました。
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