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全てを奪うもの【連載版】  作者: 黒井雛
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「――そう、フロル。仲良くしましょう」


 フロル・ファートスが、ジェロシア・ファートスと初めて対峙した瞬間、最初に感じた感情。それは「侮蔑」だった。

 だけど、それはフロルにとって何ら特別な感情ではなかった。

 何故なら、フロルは人間という存在全てに、同じ感情を抱いていたからだ。ジェロシアは、その時のフロルにとって、一刻も経てば忘れてしまうような、どこにでもいる愚かな人間の一人に過ぎなかったのだ。



 フロル・ファートスは物心がついた時から、おおよそ常人とはかけ離れていた「異常」な存在だった。


 幼いフロルは喜怒哀楽が極端に薄く、決定的に情緒が欠落していた。普通の子供のように感情のままに大声で泣いたり、笑ったり、怒鳴ったりするといったことが、ごくごく幼い時分ですら、まるでない。

 いつも口数少なくただぼんやりと佇んでいて、一人思慮に耽っているような、どこか不気味な雰囲気を持つ子どもだった。

 フロルは、どこまでも澄んだ、美しいエメラルド色の瞳をしていた。だがその瞳は見るものを、どこか不安にさせた。フロルとうっかり視線がかち合ってしまった人は、誰しも自身の心の奥が見透かされているような、ぞっとする気持ちに苛まれずにはいられなかった。

 事実、フロルには、見えていたのだ。

 人間の隠したい部分が、醜い泥ついた心の一部が、なぜだかフロルには、すっかり全て分かった。全ての真実が、フロルのエメラルドの眼には映し出されていた。それがフロルにとって、生れた時から見ている、当たり前の景色だった。


 幼いフロルを取り巻く人々は、そんなフロルを怖れ、疎んじた。

 一際、フロルを疎んじていたのは、他でもない、彼の母親だった。


 フロルの母親は、凡庸な女だった。

 凡庸で、愚かな女だった。

 英雄だった父、エローエを愛していたというよりも、英雄に愛される自分自身を愛していたような、そんな自己愛が強い女。

 フロルに対して、聞こえがよい美しい愛の言葉を囁きながら、内心では異質なフロルを嫌悪し、何故自分がこんな面倒なものを背負わなければならないと、自らの運命を嘆いている女。

 周囲から、「健気でひたむきな、息子想いの母親」という評価を得ることだけを生き甲斐にし、醜い本音を、美しい虚飾で塗り固めて、常に覆い隠そうとしているような女。

 それが、フロルの母の真実の姿だった。


(なぜ、父はこんな母を愛したのだろう)


 母から、父の英雄譚を聞かされる度(もっともフロルは、誰もがその名前を知る様な英雄が自らの父だと述べる母親の言葉を、妄想ではないかとも疑っていた。フロルの目は、対象が真実だと思い込んでいる事象の客観的真実までは映し出されない。母親が妄想を真実だと心の底から思い込んでいれば、その真偽はわからなくなってしまうのだ)フロルは首を捻った。

 もし本当に、エローエが自分の父だとしたら。何も、こんな凡庸で愚かな母親を選ぶ必要なぞ無かったのではないか。

 有能で、顔だちも精悍で整っていたというエローエ。女なんかきっと、どんな美女だろうが選び放題だったろうに。母は愛らしい顔だちをしてはいるものの、突出した美しさは無い。性根とてけして美しくは無い。父を特別、他の誰よりも熱烈に愛しているわけでもない。

 何が良くて、こんな母親を愛したのだろうかと、フロルはいつも不思議で仕方なかった。だが、エローエは、フロルが生まれる前に、既に病気で死んでしまっている。フロルの問いに応えられる人物はこの世に存在しない。

 結局浮かんだ疑問は、答えを知ることのないまま、フロルの胸の奥にしまいこまれた。


 そんな母は、ある年の秋、エローエと同じ流行病に侵され、あっけなく逝ってしまった。

 フロルは冷たくなった母の手を握りながら、礼儀のようにただ二粒、涙を落とした。

 母の死。それは、フロルの心を驚くほど揺らさなかった。

 自分は、とことん人間らしい感情が欠落した化け物なのだなと、フロルは他人事のように思った。


 母が死に、他に身よりもなかった幼いフロルは、孤児院へ入ることになった。

 孤児院では、「異常」なフロルに対する悪感情は、より顕著な形で現れた。暴力である。

 フロルは、存在そのものが不気味だと言われて、毎日のように理不尽な暴力に晒された。それは同じ孤児の子供によるものだけではなく、時には孤児院で働く大人によるものであることもあった。

 しかし、どれほど苦痛に苛まれようと、体が傷つこうと、フロルの感情は僅かにさえ揺れることは無かった。

 フロルには、人間の醜さが、真実の姿が見える。

 それ故にフロルは、人間は全て、意識を傾ける価値すらない存在だと認識していた。

 フロルにとって人間は等しく、けして関心を抱くことがない、どうでもいい存在だった。

 フロルは、愚かで醜いこの世の全ての人間を「侮蔑」していた。侮蔑し、そして意識から切り捨てていた。フロルは、人間に対して、どこまでも、どこまでも無関心だった。


 ある日、孤児院を視察に来た王が、フロルを見出した。


「――兄、上」


 驚愕に目を見開いて告げられた言葉と共に、腕をとられた。そのまま王家に引き取られ、フロルはファートスの姓を名乗ることになった。

 王と会話を交わして、フロルはようやく、エローエがフロルの父だと言った母の言葉が、けして母の妄想によるものではなかったのだと信じた。


 王に連れられて向かった、王宮の一室。


 そこで9歳のフロルは、10歳のジェロシアと出会った。




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