Ⅷ
「……嘘よ」
ようやく喉から絞り出した声は、震え、掠れていた。
「嘘に、決まっている」
弱々しいその声は、否定よりも、むしろ懇願の色を帯びていた。
嘘であってくれ。
お願いだから、嘘であってくれ。
もし、それが真実だと言うならば
ジェロシアは最初から
生を受けたその瞬間から
「お父様は私に、そんなことは何一つ告げなかったわ…っ!!」
女王になる資格など、有してなかったみたいではないか。
「……あまり叔父上を責めては行けないよ、義姉様」
フロルはそんなジェロシアを、幼子をあやすかのような猫なで声で、追い詰める。
「異能の力は、王と異能を有するものにしか伝えられない、ファートス家の最大の秘密だ。いくら娘といえど、王女といえど、それを告げることは禁忌だ。それに私は最近まで叔父上に自身の力を打ち明けなかった。叔父上は、それまではちゃんと、義姉様を女王にするつもりだったんだよ。異能の力を持つものがいなければ、直系王家の継承権は現王の子が優先されるから」
そしてフロルは、絶望の縁にいたジェロシアに、止めの一言を告げた。
「――まあ、異能を持たない王なんて、次の異能の子が生まれるまでの中継ぎの存在に過ぎないけれど」
――その瞬間、ジェロシアの中で、ジェロシアをジェロシアたらしめる大切な何かが、永遠に喪われた。
「……ねぇ、義姉様。義姉様は私を化け物というけれど、化け物の血を引く義姉様も、純粋な人間とは言えないんではないかな」
全身が弛緩し、力なくベッドに倒れ伏したジェロシアに、フロルは覆い被さりながら嗤った。
「さぁ、義姉様。化け物の血を引くもの同士、二人で次代の化け物を作ろう?」
――――――
熱い、熱い、熱い
全身が、ひどく、熱い。
触れあった箇所から、フロルの熱が、ジェロシアを侵す。
フロルが、大嫌いな義弟がジェロシアのありとあらゆる箇所に、浸食していく。
ジェロシアは感じる熱さに、苦痛に、そしてけして認めたくない別の感覚に、ただひたすら喘ぐ。
どこもかしも熱いのに、ただ一箇所、胸の奥だけが冷たかった。
氷のように冷たくて、ひどく空虚だった。
(どうして)
虚ろなジェロシアの瞳から、一筋、涙が零れ落ちた。
(どうして、ただ一つの願いが、叶わないの)
多くを望んだわけではない。
ジェロシアの望みは、いつだってただ一つだけだった。
ただ一つの願いを、ジェロシアは人生の全てを賭けて、望んでいた。
(私はただ、女王になりたかっただけなのに)
国民から尊敬される、後の世まで讃えられる、そんな女王になることだけをジェロシアは18年間、ただひたすらに望んでいたのに。
(化け物でも、良かったわ)
女王になれるなら、自分が異能を持つ化け物だったとしても構わなかった。
悍ましい、忌み嫌われる存在である運命も、喜んで受け入れた。
それなのに、何故、ジェロシアは異能の力を持って生まれなかったのだろう。
何故、忌まわしい義弟は、それを持って生まれてきたのだろう。
ジェロシアほど、その力を、王位を、望んでいる存在など、きっと他にいないのに。
(あんまりだわ)
酷い。
あんまりだ。
ジェロシアが最初から、王になる資格を有していなかったというのなら、この18年間は何だったというのだ。
ただ女王になることだけをひたすら望んで生きてきた、ジェロシアの人生は。
奪われていく。
無くなっていく。
ジェロシアにとって、大切なものが、全て。
フロルが触れた箇所から、フロルの中へ流れ込んでいく。
ジェロシアの中は、最早空っぽだった。
最早、ジェロシアの体は抜け殻も同然だった。
だけど、そんなジェロシアに、自分を形成する殆ど全てを失ったジェロシアに、ただ一つ残されたものがあった。
ジェロシアは、自分の中に残った唯一のそれに、必死にしがみつく。
「…て、やる…」
唇を動かした瞬間、虚ろだったジェロシアの目に、光が戻った。
ジェロシアは涙に濡れた眼で、フロルを睨み付けながら、叫ぶ。
「…必ず…必ずお前を、この手で殺してやる…!!…」
ジェロシアの中に残ったもの。
それは、フロルに対する激しい殺意。
元々ジェロシアの中に宿っていたそれは、胸の奥の空白を埋めるように、今まで以上に激しく燃え上がっていた。
ジェロシアの全てを奪ったフロルを、ジェロシアは、けして、許さない。
例え胸に宿った炎に、自らをも焼け焦がされようとも、いつか必ず、フロルを殺して見せる。
それが、フロルを滅ぼすことが、女王になるという願いを失った今のジェロシアの、ただ一つの望みであり、生きる意味だ。
「…あぁ、義姉様。素敵だ…!!」
ジェロシアの言葉に、フロルは歓喜の叫びを漏らした。
抑えきれぬ喜びで、フロルの頬が紅潮する。
「…素敵だ、たまらなく、素敵だ…義姉様、もっともっと私を憎んでっ…もっともっと、私のことを、考えてっ…」
陶酔したかのように告げられた言葉と共に、ジェロシアを浸食する行為が激しさを増した。
与えられる刺激の強さに、ジェロシアは頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。
「私のことだけで、いっぱいになって、義姉様…」
フロルの声が、ひどく遠くから発せられたもののように聞こえた。
視界が霞み、そのまま意識が薄れていく。
「――愛しているよ、義姉様」
耳元に囁かれた愛の言葉を最後に、ジェロシアは意識を失った。