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全てを奪うもの【連載版】  作者: 黒井雛
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「…義姉様、いたの。てっきり逃げ出していると思っていたのに」


 薄絹の夜着を身に纏い、ベッドの上で佇むジェロシアの姿に、驚いたかのようにフロルは目を丸くした。


「…逃げ出したりなぞしたら、初夜を放棄した王女の汚名が付き纏うのは分かりきっているのに、逃げるはずがないでしょう」


 そんなフロルの言葉に、ジェロシアは鼻で笑った。

 初夜を放棄する。それはすなわち、王族として成すべき行為を、責任を果たさないことと同等だ。例えそれが身を切るがごとく辛く屈辱的な行為だとしても、ジェロシアの王族としての誇りが逃走なぞ自身に許す筈がない。

 それに、どこに逃げろというのだ。

 考えなしにどこかに隠れて、朝まで児戯のごとく探し回られるのなぞごめんだ。


「…婚姻を了承した時点で、覚悟などとうに決めているわ。さっさと成すべきことを成せばいい」


 そう吐き捨てて、ジェロシアは視線を逸らした。

 そんなジェロシアにフロルは笑みを零し、自身もまたベッドに乗りかかる。

 接近した距離に、湧き上がる嫌悪と憎悪で体が震えるのがわかった。思わず逃げそうになる体を、ジェロシアは意志を持って制御する。


(少しの、少しの辛抱だわ…まもなく、この悍ましい盗人は、死ぬのだから)


 顎を掬われ、唇が合わせられる。

 誓いの口づけとは違い、性を意識させる深い口づけ。ジェロシアにとって酷く、悍ましい行為だ。

 しかしジェロシアは、敢えてその口づけに応えた。

 驚いたかのように目を見開くフロルに、ジェロシアは悩ましげな視線を送って挑発する。


 男が、最も無防備になる時、それはきっと性行為を行う時だ。

 理性が剥がれてしまえば、人間は通常の思考回路を保てなくなる。

 そしてそのような状況では、身を守る武器も、強固な鎧も、大抵の男は身に着けていない。

 だからこそ、女が男の暗殺を企む際、その色香が最大の武器になるのだろう。


 化け物じみた剣の腕と、洞察力を持つフロルだが、フロルとて男だ。例外じゃない。

 ならば、この機に命を奪うのが、最善だろう。


 口づけはさらに深くなり、ジェロシアは上に覆いかぶさって来たフロルに、ゆっくりと押し倒されるようにしてベッドに縫い付けられる。

 唇の合間から、水音と荒い息遣いが漏れる。

 そのままジェロシアはゆっくりとその手をフロルの背中へ伸ばして…


「――綺麗な爪だね。義姉様」


 背に回そうとした手は、フロルによって封じられた。

 指と指を絡めるように掴まれた手を、フロルは愉しげに眺める。


「鋭利に砥がれて、綺麗な装飾が施されている。これは義姉様が自分でしたのかな?…でもおかしいな。初夜の際は、夫を誤って傷つけてしまわぬように、爪は短く切られるのが通常の慣習だったと私は記憶しているのだけど?」


 フロルの言葉に、ジェロシアは内心臍を噛んだ。


 ジェロシアの右手の、一際鋭利に整えられた人差し指の爪先。

 目立つ装飾で誤魔化されたそこには、ひっかき傷一つで、人間を殺せるような、猛毒が仕込まれていた。


「…短い爪などみっともないから、メイドに頼んでそのままにさせてもらったの。貴方は女の引っ掻き傷も許せないほど狭量だったかしら?」


「いや、義姉様から貰えるものなら、私は傷ですら愛おしいよ。…でも、定められた慣習を破るなんて、随分義姉様らしくないなと思って」


「憎い貴方に抱かれるのよ?…傷一つくらいつけてやりたいと思って当然でしょう」


 平然と言葉を返しながら、ジェロシアは掴まれた指を必死で動かした。

 フロルの手は、ジェロシアの指を折らんばかりの強さで握り締めていた。だが、動かそうと思えば、指先くらいなら動かせる。

 一掻き。

 僅か一掻きでいいのだ。それで、全てが終わる。


「…下賤な盗人の汚い手で、私の手をそう強く握らないでちょうだい」


(――やった)


 ジェロシアは内心で歓声を上げた。

 曲げたジェロシアの人差し指はフロルの手に届き、その甲を爪先で確かに傷つけることに成功した。

 毒は即効性のものだと聞いている。毒は手の甲からフロルの全身に回りその命を奪うだろう。

 ジェロシアは思わず、口端を吊り上げた。ようやく、この悪夢が終わるのだ。忌まわしき悪魔が、死ぬ。


 しかしフロルは猛毒の爪に傷をつけられたのにも関わらず、平然とジェロシアの手を握り締めていた。


「――ねぇ、義姉様。高位貴族の間で、密やかに囁かれている、ファートス家に関する噂を知っている?」


「…噂?」


「『ファートス家は異形交じりの系譜』…そう言われているのを」


 突然のフロルの言葉に、ジェロシアは不愉快そうに眉を顰めた。そんな噂が流れているのは、耳にしたことがあった。噂を聞きつけるなり、ジェロシアは即刻父の耳へと入れて、王家を侮辱した罪で、噂を流した者を家ごと処罰させた。実に腹立たしい噂だ。


「王家を貶める為の、根拠もない流言だわ…忌々しい」


「だけど、それが流言でないとしたら?」


 フロルのエメラルド色の瞳が怪しく光る。


「ファートス家の始祖レムレス・ファートス。…英雄と謳われ、ルクス王国を興したレムレスが、異能の力を宿した化け物だったとしたら…そしてレムレスの後も、先祖帰りのように、定期的にその異能の力を引き継ぐ子孫がファートス家の中から現れ、王として偉業を成してきたのだとしたら、義姉様はどう思う?」


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