Ⅳ
「ジェロシア様、お綺麗ですわ」
「なんてお美しいのでしょう…まるで、光の女神のようですわ」
「…そう。ありがとう。嬉しいわ」
自身を飾りたてたメイドたちの賞賛の声に、ジェロシアは油断すれば冷淡になりそうな声を、精一杯柔らかくさせて感謝の意を述べた。
豪奢な姿見に映るのは、純白なドレスを身に纏った、自身の姿。
祭典時以外は使わない、ティアラをはじめとした豪奢な装飾で飾り立てたジェロシアは、自分自身で見ても絵本に出てくる女神か何かのように美しいと思ったが、その事実はジェロシアを不快にさせるだけだった。
何故今ジェロシアが、そんな特別な装飾を使用する許可が下りているのか。その理由を考えただけで、胸がむかついてえづきそうになる。
もしこれが、女王になる戴冠式の為ならば、自身の美しさはこのうえなくジェロシアを誇らしくさせただろうが、今のジェロシアにとって美しさなど、塵芥ほどの価値しかない。
「…ジェロシア。綺麗だわ」
「…あぁ、すっかり、見違えたよ」
「――お父様、お母様」
近寄ってきた父と母の姿にジェロシアは背筋を伸ばした。
母の目は、涙で潤んでおり、定期的に思い出したかのように目元が絹のハンカチーフで拭われる。
「ずっと貴女を女王にと、そう望んで来たけれど、今になって思えばこれが一番良かったのかもしれないわね。女にとって、国を統治することよりも、愛するものを隣で支えることの方がずっと価値があるわ」
「…えぇ、そうですわね。お母様」
(ええ、貴女にとっては、そうでしょうよ。妻として、お父様を支えることに全身全霊を掛けてきた、それを生きがいにしてきたお母様ならば。だけど、私は女王になる為に生きて来たのよ。私にとって、それ以外の生き方になぞ何も価値がないわ)
内心の声はけして口に出さずに、ジェロシアは穏やかに微笑んでみせる。ジェロシアはいつだって、両親にとって聞き分けが良い、良い娘だった。我が儘一つ言わぬ、都合が良い娘。
母はジェロシアの、胸中を渦巻く切望を、知りはしないのだ。今さらそれを口にしたところで、どうにもならないことは、ジェロシア自身がよく理解している。
「…ジェロシア」
ジェロシアは自分の名を呼んだ、父に向き直る。父はジェロシアの新たな門出を喜ぶ母とは違い、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「すまない、ジェロシア…私はずっとお前を振り回していたな。ずっと女王になるようにとそう言っていたのに、今頃になってフロルを後継者に選んだ。女王になる為に、ずっと頑張っていたお前にはさぞ辛い言葉だったろう」
「…いいえ、お父様。私が女王になる為に、力不足だっただけですわ。フロルの方が、王に相応しかっただけ」
微笑みながら首を横に振るが、実際は血反吐を吐くような思いで、絞り出した言葉だった。
ひっそりと握り締めた拳の中で、美しく尖れた爪が手のひらに食い込み、血を滲ませる。
(私が、どんな気持ちで…)
ずっと尊敬してきた父。
だが、今のジェロシアには、自分を裏切った憎悪の対象へと化しつつある。
全てを奪ったフロルの次に、ジェロシアは父が憎い。けして表には出しはしないが。
父はそんなジェロシアの内心を察することもなく、安堵したように息を吐いた。
「そうか。ならば良かった。お前が納得しているのならば。……ジェロシア。今から私が尋ねることは、王としての言葉ではなく、父としての言葉として聞いてほしい」
「…お父様?」
「ジェロシア。お前は後継者の立場をフロルに譲ることは納得しているというが…フロルの妻になることも、納得しているのか」
ジェロシアの浮かべる笑みが引きつった。
「――式の直前に、何を言い出しますの。お父様」
平静を装って絞り出した声は、それでも僅かに震えた。
納得?
するはずがない。
誰があんな盗人の妻になることなぞ、納得するものか!!
「ずっと兄弟として過ごして来たんだ…今さらあれを、夫として意識出来るのか?確かに王家の血が濃い後継者を作ることも大切だが、直系の系譜であればそこまで血、血、とこだわることもあるまい。お前が望むのなら何もフロルを選ばなくても、他国に嫁いでも良かったのだぞ?」
(それが出来るものなら、とっくにそうしている…!!)
父の言葉に、思わず我を忘れて叫びそうになった。
人目もはばからず、大声で父に罵声を浴びせそうになった。
ジェロシアとて、黙ってフロルとの婚姻を受け入れたわけがない。必死に抗い、拒絶した。
世界で一番憎い男の妻になるくらいなら、他国の王に嫁いだ方がまだましだ。
しかし、ことごとく裏から手を回したフロルによって邪魔されたのだ。
『…義姉様は、あれほど女王になることに固執していたのに、自分が女王になれないのならば、もう民も国もどうでもよくなってしまうの?』
フロルはそう言って嗤った。
『義姉様のいない国なぞ、私はどうでもいいんだよ…そう、傾こうが、荒廃しようが、どうでもいい』
それはジェロシアが他国に嫁ぐのなら、ルクス王国を滅ぼすという言外の脅迫だった。
単なる口だけの脅しではない。実際、ジェロシアがそれでもなお、他国に嫁ぐべく強硬手段に出れば、フロルは躊躇いなく、国家予算の全てを投げ打ってでも、嫁いだ国へと攻め込むだろう。飢える民を顧みることなく、戦争に興じるだろう。
フロルの目には、それを確信させるだけの狂気が宿っていた。
ジェロシアは、ルクス王国を、ルクス王国の民を、愛している。
それが、女王になることを固執するが故に生じた、作られた幻想の愛情だとしても、ジェロシアにとって、それは紛れもない真実の想いである。
自分自身の都合で、民を、国を犠牲にする選択など、出来るはずがない。
ジェロシアは是と返答する以外、無かった。
「――いいえ、お父様。私は望んでフロルの妻になるのですわ」
「そうですよ。叔父上。式の前に突然何を言い出すのですか」
明朗な声が、室内に響き渡る。
振り返ると、部屋の入口にジェロシアが世界で一番憎む男が立っていた。
「私と義姉様は互いに愛し合って夫婦になるのですよ。そんな不愉快なこと、おっしゃらないで下さい」
眉間に皺を寄せて不快気に言い放ったフロルは、つかつかとジェロシアに近づくと、ジェロシアと父王を引き離すように間に押し入って、ジェロシアの耳元に唇を寄せる。
「とても綺麗だよ…義姉様」
「…死ね。下衆が」
フロルだけ聞こえるように吐き捨てたジェロシアの呪詛に、フロルはとても嬉しそうに微笑んだ。