Ⅲ
(あぁ、早く。早く報告に来い。暗殺者でも、メイドでもいい。あいつが死んだと。突然の賊に襲われたのだと、そう告げに来い)
その報告を聞けば、心から笑える気がするのだ。
フロルが義弟になって以来、意識して浮かべていた、貼り付けたような作り笑いではない、本物の笑みが、久方ぶりに浮かべられる気がするのだ。
フロルが、フロルさえ、いなければ。
(――来たっ)
扉から聞こえてきた激しいノック音に、ジェロシアはほくそ笑んだ。自分にかつてない最大の歓びを与えてくれる報告者が、やって来た。
ジェロシアは高揚する心を落ち着かせながら、普段通りの平常な声で、入室の許可を出した。
しかし、扉を開けて入ってきたのは、ジェロシアの予想外の人物だった。
「ひっ」
「…こんな姿で突然部屋に押しかけて申し訳ありません。義姉様。実は先程、私の部屋に賊が押し入りましてね。よもや義姉様も被害にあってはいないかと、心配で心配で、そのまま部屋に来てしまいました。義姉様が無事なようで、なによりです」
部屋に入ってきたのは、血まみれの、フロルその人だった。
「…そ、その血は、貴方の血なの!?大変、急いで止血しなければ」
「いいえ、義姉様。この血は全て賊の血。私は一切怪我を負っていませんよ」
(使えない奴だ)
ジェロシアは内心舌打ちをする。安くない金額を払ったのに、フロルに傷一つ負わせられないまま殺されるとは。本当に使えない暗殺者だ。
「……そう。貴方に怪我がなくて良かったわ」
ジェロシアはいつもの笑みを張り付けながら、心底安心したように微笑む。
そんなジェロシアに、フロルもまた、微笑みかける。
「――嘘つき」
「…え?」
「死ねば良かったのにと、そう思っているくせに。義姉様は、本当に嘘つきだなぁ」
内容とは裏腹に、穏やかに告げられた言葉に、ジェロシアの笑みが引きつった。
まさか、まさか、ばれているはずがない。
自分は完璧に、慈愛に満ちた義姉を演じられていた筈なのに。
「…可愛いね。義姉様。動揺しているの?自分の演技が完璧だと、そう思っていたの?義姉様の演技なんて、私は最初からお見通しだったよ」
「…何を、言っているの…わからな…」
「『こんな汚い子供が義弟なんて冗談じゃない』『でも慈悲深い存在じゃないといけないから、人心掌握を極めないといけないから、しょうがないから仲良くしてやろう』…そう、思っていたでしょう?初めて会った、あの時」
ジェロシアは目を開いた。
それはまさに、あの時のジェロシアの本音。
そんな、まさか。まさか最初から、フロルは知っていたのか。
まだ互いに幼かった、初めて会ったあの時から、分かっていたというのか。
フロルは固まるジェロシアの様子に満足げに目を細めた。
「徐々に私が心開いていく様に、優越感でいっぱいになっている義姉様は本当、馬鹿で可愛かったなぁ。自分が知っていること、お姉さんぶって、一生懸命教えようとしてさ。その癖、私に抜かされそうになると、必死に焦って。あんまり可愛いから、本当はもっと早く、義姉様より優秀な成績とれたんだけど、焦らしちゃった。全ての成績が私に抜かれた日の、絶望に染まった義姉様の顔。本当に愛らしかった。そのまま切り取って額縁に飾りたいくらいに」
「………」
「でも、あの時の義姉様より、今の義姉様の方が可愛いな。あの時よりも、ずっとずっと絶望が深いからかな」
立ち尽くすジェロシアを、フロルは宝物のように抱きしめた。
そして耳元で睦言のように甘く囁く。
「――ねぇ、義姉様。ずっと夢見ていた立場を、見下していた義弟に奪われるのって、どんな気分?」
「…っ!!」
カッと頭に血が上るのが分かった。
フロルは全てを知っていたんだ。全てを知ったうえで、ジェロシアを馬鹿にし、最終的にその存在意義まで奪ったのだ。
「…っ死ね!!下賤な盗人が!!」
憎悪を露わに、貼りつけた仮面を金繰り捨てて、その頬を叩こうと繰り出した手のひらは、あっさりとフロルによって封じられた。
「…あぁ、義姉様。ようやく、本当の姿を見せてくれたね。いつも可愛いけど、本当の姉さまは、もっともっと可愛い」
「私に触るなっ!!賤しい庶民の血を引く、盗人が!!殺してやる殺してやる殺してやるっ!!」
「あぁ、嬉しいな。今、義姉様の頭の中は、私に対する憎悪で一杯なんだよね。他の事なんか全部考えられないくらい、私のことを考えてくれているんだよね。ああ、幸せだ」
暴れるジェロシアの体を、あっさりと抑え込みながら、フロルはジェロシアの頬に手を当てて、うっとりと陶酔したような表情を浮かべる。
「義姉様。私を嫌いなら、下賤だと見下すなら、私に構ってはいけなかったんだよ。私を視界に入れず、無視しないといけなかったんだ。義姉様がどんな思惑であれ、ずっと私に構いかけるから、私のことを気にしてばかりいるから、私はすっかり義姉様を愛してしまった」
「お前に愛されているなんて思うと、虫唾が走る…っ!!」
大嫌いな義弟。
こんな男の愛などいらない。
愛しているとほざくのなら、王になることを辞退して、女王の立場を寄越せ。
それが、ジェロシアの一番の望むことだ。
しかし、ジェロシアの拒絶に、フロルは全く動じない。
「うん。いいよ。義姉様は私を愛さなくて、構わないよ。…愛じゃなくても、私のことで頭の中がいっぱいになっていればいい。私のことを考えてくれていれば、それでいい」
鮮やかなエメラルド色の瞳の奥に、狂気が揺れる。
「…女王になんかさせないよ。そうしたら、義姉様は、私のことより、民や国のことを考えるようになるだろう。そんなことは許さない」
「……」
「あぁ、義姉様。代わりに別の立場をあげるよ。別の権力者としての立場を。国で二番目に偉い立場だ。それで、妥協してくれないかな?」
ジェロシアは、フロルの言いたいことが分からず、思わず眉を寄せた。
宰相の立場でも与えるというのか。ジェロシアが抱いていた、将来の構想を逆転させて。
そんなジェロシアの様に、フロルは口端を吊り上げた。
「王家直系の血筋が途絶えそうな現状では、より王家の血が濃い次代を成すことの方が、他国との絆を深めるよりも、大事だと思わないかい?…そう、例えば従兄弟同士の婚姻とか、最高だよね」
「…っ!?」
「義姉様は、次代の国母になるんだよ。…嬉しい?」
思わずあげそうになった悲鳴は、重ねられたフロルの唇で封じられた。
その日以降、ジェロシア・ファートスは、次代の王という立場を奪った大嫌いな義弟に、人生全てを奪われることになる。