ⅩⅢ
その日のうちに、フロルは王に面会を打診し、自らの異能を打ち明けた。
半ばフロルの異能を確信していたらしい王は、フロルの言葉に驚きを見せることなく静かに頷いて、ファートス家の秘密を打ち明け、そのままフロルを王の後継者に指名した。
(あぁ、早く義姉様に会いたい)
フロルは期待で胸が高鳴るのを感じていた。
このことをジェロシアが知れば、ジェロシアはどれほど取り乱し、嘆き、そしてフロルに憎悪を燃やすことだろう。
早く、ジェロシアの反応が知りたい。望みが打ち砕かれたジェロシアの、仮面が剥がれた真実の姿が見たい。
だが高揚する心は、王の一言で、一瞬にして冷たく凍りついた。
「しかしお前が王となるならば…ジェロシアには良い嫁ぎ先を探してやらねばなるまいな」
(――え)
頭の中が、真っ白になった。
「…何を言っているのです、叔父上。私が王になったからと言って、義姉様が外に嫁ぐ必要なぞないでしょう」
きわめて平静を装って出した声は、微かに震えていた。
口の中がからからに渇き、舌が上手く回らない。
王はそんなフロルの動揺など気付かず、嘆息した。
「あの子は、ずっと女王になることだけを目指していた。そして、それを私たちはあの子に強いていた。…それなのに、慣習ゆえに明確な理由も言えぬまま、今頃になって、あの子から王の後継という立場を奪うのだ。そんなジェロシアに、自分がなるはずだった王という立場にいるお前を見せ続けるのは、あまりに不憫だ。せめて、ジェロシアには、条件が良く妃として迎えられる他国で心乱されぬ生活を送らせてあげたい」
「っで、でも、義姉様はファートス家のものです…っ!!異能の力を持つ子を成す可能性があります…っ!!そんな義姉様を他国にやるなんて、危険過ぎます…っ!!」
思わず頭に血が上った。
ジェロシアは、異能の血を引く、異能の子を成すかもしれない存在。
そんなジェロシアが異能の子を他国で成せば、ファートス家の秘密が他国に知られることになる。
それでなくとも、異能の子は、脅威。他国の王位を継いだ子が、やがてルクス王国に攻め込み、国の存続を危うくさせるかもしれない。
そんなジェロシアを他国に嫁がせるなど、どう考えても狂気の沙汰だ。
「あぁ、フロル。お前はそんなことを心配していたのか」
だが、フロルの言葉は、王によって否定された。
「異能の力を持つ者がいない場合は、その血を継ぐ者から隔世遺伝する子が現れることもあるが、お前という異能者がいる以上、次代の異能はお前の子からしか現れない。どういう原理になっているかまでは知らないが、そういう物らしい。歴代の王にはその話が伝えられているし、実際に何代にもわたってファートス家においてその理が外れたことはない。他国に嫁いだジェロシアから、異能の力を持つものが生まれることは無いから、安心すると言い」
「ですが、ですが万が一ということもあるでしょう…っ!!」
「――万が一。起こるかもわからぬ未来の為に、私はこれ以上あの子の幸せを奪いたくない」
食い下がるフロルに向けられた王の言葉は、鋭かった。
迷いのない、真っ直ぐな瞳が、フロルに向けられる。
「私は今まで、王という立場で、あの子の…ジェロシアの幸せを奪い続けてきたのだよ。ジェロシアは王になる為に今までの人生を捧げ、まともに友人を作ることも、恋をすることもないまま生きてきた。そんなあの子が、人生を掛けて目指していたものを、今度は奪い取るんだ。…私は、ひどい父親だ」
王のエメラルドの眼には、自らに対する怒りと、深い悔恨が滲んでいた。
「だからこそ、私は今度こそ、あの子には幸せになって欲しい。今までの人生とは全く異なる環境で、新しい世界を知って欲しい。新しい楽しみを、新しい幸福を、見出して欲しい。起こるかもわからぬ僅かな可能性の為に、あの子の幸せを潰すことなど、けして許さない。例えそれが、今までの慣例に逆らうことだとしても――それが王としてではなく、父親として私があの子にしてあげられる唯一のことだと思っている」
そして王は、話は終わりだとばかりに、フロルから背を向けた。
フロルが何を言っても、けしてその考えを曲げることは無いということが、フロルには確信できた。
フロルは残された部屋で、一人呆然と立ち尽くした。
(――義姉様が、他国に嫁ぐ?)
唇が戦慄き、全身に震えが走った。湧き上がってくる感情に耐えるように汗で湿った手を、強く握り締める。
ジェロシアが他国に嫁ぐなど。
他国に嫁いで、どこかよその男のものになるのなど。
そして、フロル以外のものに意識を、感情を注ぐようになるのなど。
「…そんなことっ…そんなこと、許せるはずが、ないにきまっているだろう…!!」
握った拳から、血が滴り落ちた。
手のひらに食い込んだ爪が、皮膚を破き、肉を抉っているが、そんな激しい痛みすらフロルの激高を鎮めることは出来なかった。
白目が真っ赤に充血し、噛み合わた歯が、擦り合わされて嫌な音をたてる。
ジェロシアは、フロルのものだ。
頭から爪の先まで、そして精神に至るまで、全てがフロルのものだ。
フロルだけの、ものだ。
誰にもけして渡しはしない。
新たに生まれた「独占欲」は、瞬く間にフロルの中に浸透し、けして揺らぐことが無い想いとしてフロルの中に宿る。
いつだって、そうだ。いつだって、そうだった。
フロルの心を揺らすのも、フロルに新たな感情を教えるのも、いつだって、ジェロシアただ一人だった。
醜く、無機質で、意味がない、退屈なだけのフロルの世界を彩るのは、いつだってジェロシアだけだった。
ジェロシアだけが、死人のように生きてきたフロルを、本当の意味で生かした。
なぜか。
なぜ、ジェロシアだけなのか。
なぜ、ジェロシアだけが、フロルの心を揺さぶり、フロルの世界に色をつけるのか。
「――あぁ、そうか」
気付いてしまえば、答えは簡単だった。
答えはすんなりとフロルの中に落ちてきて、その胸の中に確かな真実として収まった。
「私は、義姉様を、愛しているんだ」
フロル・ファートスは、ジェロシア・ファートスを愛している。
その醜さすら、愛おしいと思う程に。
全てを奪いつくして、独占することを望む程に。
狂ったように、ただひた向きに、世界で唯一ジェロシアだけを、愛している。