Ⅻ
それからフロルは、徐々に自身の優秀さを表に出していくようになっていった。
一つ、また一つと、成績を抜かれる度に焦りと絶望、憎悪の色を濃くしていくジェロシアの姿は、たまらなくフロルの心を高揚させた。
成績をすぐに全て抜かしてしまうのが勿体無くて、フロルは時たま手を抜いて、わざとジェロシアより劣った成績をとってみせた。
そうするとジェロシアからは、安堵と、最早風前の灯と化している傲慢さが滲み出てくる。
フロルが考えた通り簡単に掌の上で転がされるジェロシアが、フロルには酷く愛らしく思えて仕方なかった。
女王になるという目的よりも、フロルに対する負の感情で頭の中がいっぱいになっているジェロシアを眺めるのは、ひどく愉快だった。
(もっと、もっと、追いつめられて)
(もっと、もっと、負の感情でいっぱいになって)
(そして、もっと、もっと、私のことを考えて)
(もっと、もっと、もっと、もっと…!!)
ある日とうとう、フロルはありとあらゆる全ての分野で、ジェロシアより優秀な成績をとって見せた。
屈辱に染まり、今まで以上の憎悪と絶望を胸に宿すジェロシアの様子を、フロルは陶酔交じりの甘美な気持ちで眺めていた。
(義姉様、可愛い)
思わず口元が緩んだ。
(すごく、可愛い。今までで、一番、可愛い)
「――義姉様、義姉様。今日は剣術の稽古で先生に褒めて頂きました。剣士でも、これほど優秀な生徒はいないと」
止めの様のようにそう告げれば、ジェロシアの負の感情は、増々濃くなるのが分かった。
ジェロシアが、剣術の指南を望みながら、叶わなかったことを、フロルは知っていた。
フロルの言葉は、ジェロシアの自尊心を、さぞやずたずたに切り裂いたことだろう。
だがそれでもジェロシアは、永年培った仮面を必死に被りなおして、無理矢理笑みを浮かべて見せた。
「…そう。流石フロルね。貴方のように優秀な義弟を持って、私は誇らしいわ」
(…なんだ、つまらない)
フロルは胸の奥の高揚が、僅かに冷めるのを感じた。
まだ、仮面を被りなおす余裕があるのか。
それじゃあ、足りない。物足りない。
もっともっと、それこそ演技も忘れてしまうくらいに、本音を曝け出してしまうくらいに、負の感情でいっぱいになってくれなければ。
「女王になる者」としての振る舞いを忘れるくらいじゃなければ、つまらない。
(義姉様は、どうすれば、もっと傷つく?)
どうすれば、もっと傷ついて、女王になることに対する執着を忘れて、フロルに目を向けるようになるのだろうか。
「…そうだわ。フロル。私が女王になったら、貴方は宰相になればいいわ。優秀なあなたなら、きっとなれる。姉弟二人で、ルクス王国を繁栄させるの。素晴らしいと思わない?」
皮肉にも、ジェロシアが自身の負の感情を押し殺すべく発した言葉が、フロルにその答えを見出させた。
「私が宰相に、ですか?」
「そう。フロルは、どう思う?」
(――あぁ、そうか、義姉様は、自分が女王になれると、私が王位を継ぐことなぞ無いと確信しているから、まだ平静でいられるのだ)
ジェロシアはフロルが英雄エローエの息子であることも、その異能の力も知らない。そして王には、フロルの持つ異能の力が求められることも、知らない。
知らないからこそ、自身の女王になるという志に縋って、自尊心を維持できているのだ。
ならば、王位継承者という立場を奪えば、
ジェロシアの唯一の願いを、蹂躙すれば
「…そうすれば、ずっと一緒にいられますか?」
「え?」
「私が宰相になれば、ずっと義姉様の隣に、いられますか…?」
(――そうすれば、きっと義姉様は、もっと私のことだけを、考えるようになる)
ジェロシアが望んでいるであろう言葉を口にしながら、フロルは自身が王位後継者となってジェロシアを絶望の淵に沈めることを決意する。
異能の力を、叔父に報告すれば、それだけでフロルは第一位の王位継承者になる。ひどく簡単なことだ。
そんな簡単なことで、今よりももっと強い、ジェロシアの感情が手に入る。想像しただけで、ぞくぞくした。
宰相になる気など、ジェロシアを女王にさせる気などさらさらないが、フロルはその場では、ジェロシアに対して従順な態度を示してみせた。
その方が、後のジェロシアの絶望は、きっと大きい。
少しでも強い、ジェロシアの感情が欲しかった。
「――もちろんよ。フロル」
(義姉様も大概嘘つきだね)
「ずっと一緒よ。…隣で私を、支えてね」
心にもない言葉を紡いだフロル。だけど嘘つきは、お互い様だ。
ジェロシアとて、フロルをずっと傍に置く気なぞ、さらさらないのだから。
フロルを利用するだけ利用して、必要がなくなれば遠ざけるつもりなのは、明白だった。
そんな未来を、フロルが許す筈などない。
慈愛に満ちた優しい義姉と、姉をひたむきに慕う従順な義弟
虚飾で塗られた仮面を被った二人は、互いに見つめ合って穏やかに微笑みあった。
その仮面の下で、それぞれ、どす黒い醜い感情を燃え上がらせながら。