Ⅹ
ジェロシア・ファートスと名乗った少女は、フロルに母を思わせた。
顔立ちや、雰囲気が似ていたわけではない。ジェロシアはまだ幼いながらも、既に後に光りの女神と讃えられる美貌の片鱗が見える、愛くるしい少女だった。平凡より少し整った程度の母とは違う。
そしてジェロシアは、王家のものとしてどこにでも出しても恥ずかしくないような、優雅で高貴な物腰と、自信に満ち溢れた、見るものを圧倒させるような凜とした雰囲気を身に纏っていた。単なる町娘だった母では、けして出せない、特有のオーラを持っていた。
だが、ジェロシアと母は、根本的な部分は一緒だった。
慈愛に満ち溢れたように見える態度は、一皮剥けば醜い打算と偽善に満ちていた。自らの目的の為、自らの評価をあげるために、内心の嫌悪を押し隠して、自らの理想を模した仮面を貼り付け、心優しき善良な人物を演じる演技者。
ジェロシアの方が母親よりも、一枚も二枚も上手な役者だったが、フロルの瞳はけして誤魔化せない。
ジェロシアの、愚かで醜い本質を瞬時に見てとったフロルは、ジェロシアに対して何の興味も抱くことはなかった。ジェロシアの美しさも、フロルにとっては価値がなかった。
そのまま、ジェロシアがフロルに対して何の働きかけもしなければ、フロルはすぐさま、ジェロシアのことを記憶の彼方に追いやっていただろう。他の、数多の人間たちと何ら変わらない存在のままで、フロルにとってのジェロシアの評価は終わっていた。フロルは他人に対して、自分から関わろうとはけしてしなかったから。
だが。
「フロル。庭で綺麗で珍しい花が咲いているわ。一緒に見ましょう」
「フロル。今日は貴方に贈り物があるの。城下町に視察に行った時に見かけて、きっと貴方に似合うと思ったから。…つけてみてくれるかしら?」
「貴方のエメラルドの瞳は、私よりももっと澄んでいるのね。とても素敵だわ。貴方のその瞳には、どんな世界が映っているのかしら。私に教えて頂戴」
「貴方のような義弟が出来て、私とても嬉しいの…小さいころから、女王になる為だけに教育を受けていたから、誰かと遊んだりした経験がなくて…ずっと同じ年頃のお友達が欲しかったの」
「大好きよ。フロル。ずっと私の傍にいてね」
ジェロシアは隙があれば、フロルに関わろうとしてきた。優しい偽りの言葉を掛けて、フロルを懐柔しようとしてきた。
ジェロシアは徹底していた。僅かな隙も、一片の襤褸も見せることなく、徹底して「慈善に満ちた姉」を演じて、フロルの心を開かせようと様々なアプローチをかけて来た。
ジェロシアの中のフロルに対する侮蔑は、嫌悪は、収まるどころか日を追うごとに膨らんでいっているのが見て取れるのに、そんな素振りは片鱗だって見せずに、あの手この手と仕掛けてきた。
もしフロルが、真実を見る目を持たなかったら、とっくにジェロシアに懐柔されていただろう。そう確信してしまうくらいに、ジェロシアの演技は完璧で、アプローチは巧妙だった。
ジェロシアの本質は、他の人間同様に愚かで醜い。だが、ジェロシアはそれでいて、ひたむきだった。ひたむきで、真っ直ぐであった。
ただひたすら、ひたむきに、真っ直ぐに、「自分が理想とする女王になること」を目指して邁進していた。女王になる為ならば、自尊心を傷つけても、ジェロシアは嫌悪を覚える対象に媚を売ることさえも、享受する程に。脇目も振らず、他の事に気をとられることもなく、ジェロシアはただ一つの願いだけを偏執的に追いかけていた。
そんなジェロシアは、フロルとはちがう意味で明らかに「異常」な存在であった。
(何故そこまで、女王になることに執着ができるのだ)
フロルには、ジェロシアの行動が、思考が、理解できなかった。
フロルにとって、王という存在は、民の為に様々な雑事に奔走して、ありとあらゆる面倒事を背負わなければならない、哀れな奉仕者でしかなかった。その責の重さに対して、あまりに得るものは少ない。フロルは自身が王になる権利を有していることは知っていたが、望んでその立場になろうとはけして思わない。
そんな面倒な「王の立場」を、狂気的なまでにも切望しているジェロシアの存在は、完全にフロルの理解の範疇を越えていた。王という立場の苛酷さを理解せずに、その名声だけを追い求めるなら、理解は出来る。だが、フロルの瞳を通したジェロシアは、王であることのマイナス面をも、全て理解しているようだった。
メリットもデメリットも、全てを分かっていたうえで、ジェロシアは女王になることを、ただただ熱望していた。
ジェロシアの思考回路は、瞳を通せば伝わって来る。だが、その意味が、その気持ちが、理解できない。
理解できない。
――そして、理解できないそれを、フロルは知りたいと思った。
自分の理解を越えた存在であるジェロシアを、知りたいと、そう思った。
フロル・ファートスが、ジェロシア・ファートスに対して抱いた二番目の感情は「好奇」
それは、フロルが初めて他人に対して抱いた、関心であった。