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鬼殺鬼①

「――――――雪村、な、のか――――――――――?」

 赤がこびりついた白い服、青いロングスカートの少女に畏る畏る尋ねる。

「――――――――――――はい」

「……なんで、こんなところに、いるん、だ?」

「……………………」

「お前は関係ないよな?」

「………………………………」

「偶然、ここに居合わせたってだけだよな」

「………………………………………………」

「まあ、なんにせよ無事でよかった」

「………………………………………………………………」

「さあ、帰ろうぜ」

 こんなところからは一刻も早く去ろう。

 こんな髑髏、血、臓器の零れた世界、おまえには似合わない。

「――――――――――――、殺しました」

 止めろ。

「――――――――――が、殺しました」

 止めろよ。

「――――――――私が、殺しました」

 止め……ろっ、て………………!

「桐島くん、この人たちは、私が殺したんです」

 閑かな青い瞳で、懺悔する声。

「いえ、正確に言えば鬼――――――放っておけば、人間に害悪をもたらす畏れがある存在。でも、そんな存在でも私の衝動なんかで殺されていいはず無いのに。でも、“破壊”を抑えきれないから、“畸形鬼”を殺していたんです。人の代わりに。……最低ですよね、私」

 飛沫いた鮮血、吐き出された臓器、剥き出しになった赤斑骨――――――屠場を思わせる累々の死屍の上で、殺した、最低だと、血で汚れた両手を何度も握り、爪が食い込み、血が流れるのを意に介さず繰り返す雪村。

――――――――どう、言葉をかけていいのかわからない。

 反省してるから大丈夫、君は悪くない。

 そんな慰めは意味を成さないだろう。

 なら、責めればいいのか。この殺人鬼が、死んでしまえと。

…………そんなことはできない。さっきは憎悪すら湧いてきたのに――――それなのに、俺は雪村にそんなことは言えない。

 だったら――――――――どうすれば。

 いくら考えても、言葉が思いつかない。

「うっ――――――――――――」

 突然、崩れ、痛そうに腹を抱える雪村。

「お、おい。どうした」

 近づこうとした瞬間――――――――


「こないでっっ――――――――――!!」


 え――――――――

「わ、私、おかしいんです。こんな躯になってからわけのわからない衝動が私に命令するんです。い、今、桐島くんが近づいてきたら――――きっと、私、ひどいことをして、しまいます。だから、早くここから立ち去って、ください。お願い、します」

 ハアハアと、息をより一層荒げる雪村。

「ば、馬鹿いうなよ、おまえはどうすんだよ!?」

「わ、私のことは放っておいて、ください。なんとか、してみせます」

「ほ、放っておけるわけ無いだろ、滅茶苦茶苦しそうじゃないか」

「こ、こんな時ぐらい、私の言うことを――――――――――」

 言い終える前に、ごほ、ごほ、と吐血する。

「お、おい。雪村!!」

 こんな口論してられない――――――病院にでも連れて行かないと。


「来ちゃっ駄目っっっっっ!!」


「え――――――――――――」

 ズシュ、という音がした。

――――――――――――いたい。

 ナニカが突き刺さっている。

――――――――――――イタイ。

 ソレに目を向ける。

――――――――――――痛い。

 細い腕。

――――――――――――痛い痛い。

 腹部にハイッテイル。

――――――――――――痛い痛い痛い。

 雪村の腕が俺の体を穿っている――――――――――――――――!

「ああああああああああああああああああああっっっっっ!」

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!

「ごほ、がはっ、げあっ――――――!」

 吐血が止まらない。夥しいほどの鮮紅。

「ぐぶ、かはっっ――――――――――!」

 吐いても、吐いても。

「ぶっ、がはっ、うっ――――――!」

 孔と口から迸る血。さっきとは比べ物にならないほどの紅い血。

 雪村の腕が抜け、背中から地面に倒れこむ。

 それと同時に紅い血液と肋のような骨が吐き出されるのが見えた。

――――――ハハ、ヒトの体は…………やっぱり脆いんだ、な。

 そんなことを朦朧とした意識の中で思う。

「ぶはっ――――――――――」

 口から吐き出される血塊。朱い、赤い、紅い血。

――――――――急速に体が死に近づいていくのがわかる。

 糞…………畜生……………………

 もう……………………駄目なのか。

 俺は――――――――ここで死ぬのか。

 死にたくない。死にたくない。

 こんなところで。こんなところで。こんなわけのわからない場所で。

 でも、この有様じゃあ――――――――

 死んだらどうなるんだろう?

 意識は無いんだろうか。記憶は無いんだろうか。楽しいことは……無いんだろうか。

 楽しいこと…………。この二ヶ月は本当に楽しかった。何気ない毎日が。変わり映えの

無い日常が。かけがえの無い日々が。

 そんなことは知ってた。わかってたんだ。

 この日常を歩き始めた――――――――――――“あの時”から。

 それが今、奪われようとしている。それを俺は黙ってみていろって言うのか?

 栞との日々が。阪木との日々が。白瀬との日々が。もしかしたら、今日話した中津との日々が。そして――――雪村との日々が。

 笑ってた。楽しかった。嬉しかった。幸せだった。

 本当にそれを手放してしまうのか?

 諦めてしまうのか?


――――――否。否否否。断じて否。


 そんなこと、ありえるわけない。ありえるわけ、ない、よ、な。

 あんな弱音を吐いちまうのすら論外だ。唾棄すべき屈楽だ。

 死ねば楽になる。楽になるかもしれない。

――――――でも。

 楽になって何になる。それで十分なのか。

それで満たされるのか。ふざけるな。そんなことがありえるか。

 俺はあの日々を愛している。いつまでもあそこに居続けたい。

 だからこそ、俺は――――――  

 こんなこと――――――――許せない。

突如現れた非日常。俺とは異なる世界の住人。ふざけるなよ。俺はこんなわけのわからないところで死なない、死んでたまるか。

 俺の大好きな日常に還る。俺は還るんだ。それを邪魔するっていうのなら、それが死という絶対であろうと俺は――――――――


――――――――刹那、全身ヲ奔ルナニカ。


 躯ノ繋ギアワサレル感覚。俺トイウ存在ノ復元。俺ガ俺トイウ存在ニ修復サレテイク。

 廻天。甦生。恢復。再生。復活――――――黄泉返リ。 

 気がつくと俺は、地面を踏みしめ、“奴”を睨めつけていた。 

「…………ほう」

「――――――――」

 躯の痛みが、無くなっていく、か。

 何故かは知らないが、急に失血の感じが無くなっていく。

 俺の念が通じたのか。俺の怒りが。

 疑問は消えず、体は再生されていく。

 次第に、体の孔まで塞がっていく。

 疑問は尽きない。尽きない――――が、痛みは無い。

 ならば―――― 

「そう焦るな、桐島くん」

「雪、村――――――――?」

 声のほうへ顔を歪めた女の姿。雪村、なのか、あれが。

「――――いや、違う。おまえ、雪村じゃ、ない」

 さっきまで話していたのとは空気が違う。厭な感じがする。

 それに――――――よく見れば右手に、あれは刻印のようなものが青く煌いている。

 あんなものは雪村衣鈴には無かった筈だ。

「ご名答。よくわかったね」

「おまえ――――――――誰だ?」

「この娘に送り込まれた“破壊の欲動()源泉()”、そうだな――――バイラヴァとでも言っておこうか」

「……破壊のエス? バイラヴァ?」

「エスを知らぬか、蒙昧。無意識……簡単に言えばありのままの欲望、非合理的な暴走と言っても良いだろう。抑圧の為の超自我や自我が存在せんのでな、自由奔放に振舞えるのだよ、本来は」

 別の抑圧者がいるので動きにくいのが現状だがな、と。

「そしてバイラヴァとは我の呼称と認識してくれればいい。雪村衣鈴の肉体を鬼へと変貌させた黒塊と、な」

「鬼へと変貌……どういうことだ?」

「なに、簡単なことだ。この女はな、襲われたのだよ――――ある鬼によってな」

「襲われた――――だと!!」

「そう怒るな、少年。さっき説明した通り、我が雪村衣鈴へ送り込まれただけだ――――――そうだ。教えてやろう、我の正体を、より詳しく。そして――――君の正体を」

 教える、破壊を好むバイラヴァとやらが…………?

「……何故だ。そんなことをして、何の意味がある?」

「お礼、だよ。我の攻撃を喰らい、立ち上がったものは、この三日間で一人としていなかったからね」

「な――やっぱりそれじゃ、お前、あんなことを――――――」

 他の人にもやってたっていうのか。

「ああ。しかし、どいつもこいつも脆弱すぎてすぐに死んでしまったよ。全く、つまらん奴らだ。破壊が愉悦とはいえ、やはり多様性というものも欲しいところなのだよ」

――――――破壊が愉悦。殺したことに対して何の罪悪感を覚えていない、だと。

 傲慢な物言い。

――――ああ、やっぱりこいつは化け物だ。

 人間をただの遊び道具としか認識しない鬼だ。雪村の言っていた衝動って奴はこいつのことなのか。

――――――こいつが雪村を苦しめてる。

「まあ、そんなことよりも、だ。君の正体を教えよう。君も気づいているとは思うが、君も我と同じ“咒鬼”という存在だ」

――――――――許せない。

「“ロゴス”と呼ばれる魂から生まれる魔素(マナ)を用いて、“咒術(ゴエティア)”を行使する存在」

――――――もう喋らなくてもいいぞ。

 気がつけば、俺は有無を言わさぬ踏み込みと同時に、奴の胸に向かって拳を奔らせていた――――が、それは虚しく空を切る。

 後方跳躍――――拳の命中しない位置まで跳び、回避したのだ。

「ひどいなあ、喋っちゃ駄目なのかい、桐島くん?」

「ああ。おまえの声は癇に障る。それに、おまえを斃せば雪村は元に戻るかもしれないしな」

 雪村の体でも、おまえのその貌、その声には怒りしか感じない。


――――――斃す。


「そうか、そうか。まあ、確かに我という衝動を斃せば、その間に何らかの解決策を講じる隙は出来るだろう。しかし――――――」

 嗤いを噛み殺している不愉快な貌。

「できぬことは口にせん方が身のためだぞ――――――――!」


――――疾走してくる――――――!!


「ハッ――――――!!」

 まず放たれる貫手――――――体を左に反らせることで回避。

次いで横薙ぎ。

「――――っっ!!」

 腕で防御する。防御できるということは大した威力は無いということだ。

 そして、俺の体が無意識に硬質化を始めているということがわかる。これは相手にも俺の攻撃が通じるということだ。

 転じて奔る袈裟斬り――――振り下ろされる前に途中で防ぎ――――相手の胸目掛けて拳を切り返す。

 胸――――――そこには人体急所の一つである鳩尾が存在する。

 鳩尾――――――ダメージを受けることにより、横隔膜の動きが一瞬止まり、呼吸困難に陥ることがあると聞いたことがある。

 人体急所を狙う――――単純だが効率的、効果的な戦術だ。

「甘い――――っっ!!」

 不命中――――空いていた手によって握り防がれた。

「鳩尾でも狙ったつもりかね――駄目だ、そんな考えでは駄目だ。やはり――――頭を狙わなくては」

「頭……だと……?」

「正確には脳の部分だがな。鬼は体の全部位を再生できるが、例外が存在する。そう、脳という例外がな。治せという信号の発信源を壊されては再生の余地が無い、ということだ」

「――――べらべらとご説明、ありがと、よッッ!」

 反撃――――袈裟斬りを防いでいた腕を開放し、頭部に拳を奔らせる。

「そして一つ教えておこう――――」

 なっ、放った腕が切断される――――!?

「咒術とは咒力の行使。咒力を練れば練るほど威力も高くなるということだ。今の戟化咒術のようにな――――――」 

「ぐっ――――!!」

 掴まれていた拳が砕かれる。

「ぐあっっ――――っっ!!」

 顎へのアッパー――――次いで、孔を穿いてしまいそうなほどに強烈な掌低。 

 そしてとどめと言はんばかりの回し蹴りを胸に受け、地面を滑る。

「さあ、来い――――」

「こんの、野郎――――!」

 破損箇所再生――――そして、彼我の距離約10メートルを疾走する。

「そうだ、その意気だ。精々、我を愉しませてくれ――――――――!」

 再び接近戦に突入。

 アッパー、裏拳、ストレート、肘鉄を連携で放つ。

 戦略――――脳を揺らす、次いで鋼拳――――そして鳩尾穿ちて昏倒させる。

 仮借は無く、間断もまた無い――――間隙など生ませはしない――――!

「ハッ――――――」

 不可――――嗤い、俺の攻撃の悉くを防御するバイラヴァ。

「なめ、るな――――!」

 攻撃の手を止める訳にはいかない。当たらないのなら、当たるまで攻め続けるのみ!

 頭部へ落とすように放つ拳。胴を切断せんが如き横薙ぎ。鳩尾を貫かんが如き蹴撃。そしてもう一度、相手の胸へと放つ蹴撃。

――――――――しかし。

 またもそれは成らない。

「それ、だけ、かっ――――!!」

 掴んでいた脚を直角に折り曲げ、ふらつく俺に追撃を仕掛けてくる――――

「――――――!」

 い、まだ。

 相手が油断しているこの瞬間。この須臾。

 この刹那に拳を――――――!

折り曲げられた足を再生し、大地を強く踏みしめ、力の限り、拳を胸目掛けて奔らせる――――!

「ナ、ニ――――――!?」

 放った拳がそらされるが、脇を掠る。

「小僧風情が――――――!」

「がっっっ――――!?」

 まず、無防備になった腕が切り落とされる。そして、バイラヴァの鳩尾目掛けて放った俺の蹴撃をかわしたと同時に、両足が奴の手刀によって斬断され、無様な達磨が宙に舞う。

「――――――――」

 無格好な達磨を睥睨する憤懣な瞳。明々と輝く月という螺旋の中央に坐す手刃。

 それはまるで断頭刃(ギロチン)の如く。

 今それが振り下ろされる――――――!

「――――――――!!」 

 瞬時に両足を再生し、それを受け止めるでなく、“あえて、迎え討つ――――――――――!!”

 ここであの手刀を防ぐように動けばダメージをあまり受けずに済むかもしれない。

 しかしそれは千日手――――――悠長であり、無意味だ。

 攻撃を仕掛ける側では、致命傷を与えることは難しい。だからこそ、相手が攻撃を放つ瞬間――――カウンターを仕掛ける。そこから相手を追い込んでいく。

 だからこそ――――だからこそ、ここで怯むわけにはいかない!

「お――――――おおおおおっっっ!」

 臆せず踏みこめ! 畏れを滅ぼせ! 我が身纏う妨碍を奮迅で殲滅しろ!

 地面を強く踏みしめ、礫を撒き散らしながらも地を蹴り、再び胸に拳を奔らせる!!

「ぐ、っ――――――――」

「グッ――――ガアアッッッッ!!」

 確かに胸を打った音。

 確かに頭部に兇器が奔った痛み。

 相打ち――――バイラヴァの手刃が俺の反らした右側頭部へ奔り、肉を裂き、頭蓋骨へ切り刻まれる感触と同時に、俺の拳がバイラヴァの胸を打ったのだ。

 その結果、数メートル先まで吹き飛ぶバイラヴァ。


――――――俺の拳は通用する。


 斃せないってわけじゃない。あいつを斃すことは可能なんだ。

虎視眈々――――――悠長、無意味。

 死中求活――――――それこそが、勝利への道、勝利への法、勝利への(きざはし)

「――――――――ッッッ!!」

 即座に跳躍――――体勢を整えるバイラヴァ。

「……ああ不愉快だ」

 歪み始める貌。

「――――――あっ」

――――――厭なか、んじ。

「我が圧され始めるだと」

 ふざけるな、と怒りを帯びた貌。

「やはり圧倒する方が好みのようだ」

 貌、貌、貌。

「もうオマエ――――死んで良いぞ」

 その時、空気が震えた。大気が軋んだ。

――――刹那。

 バイラヴァの俺の方へと向けられた手の周りから氷杭が出現し、放たれた。

「――――っっ!?」


――――――跳べ――――――!


 ドン、と優に二十を超える氷杭が俺の立っていた地面、背後の壁に突き刺さっていた。

 本能的に危機を察知していたのか。

「避け、たか」

 失望。しかし、どこか喜んでいる貌。

「まあ、我を怒らせた罪、この程度では償えんからなあ。惨たらしく、無情に、無慈悲にゆっくりと殺してやる」

 再びバイラヴァの手の周りから氷杭が創造される。

「しかし、驚かされもしたよ。捨て身の攻撃というのか、あれは。しかし、我に五大咒術を使わせるのはまずかったな」

 まるで、俺が禁忌を犯した愚者であるかのように語りかけるバイラヴァ。

「――――急に氷なんか出しやがって――――――!」

 疾駆――――拳を放つ、が――――

「届かんよ」

 不届――――奴の周りに出現した氷壁によって阻まれた。

「な、に――――――!?」

「この氷壁、おまえの一撃で壊せるほど柔ではないよ」

 そして再び放たれる氷杭。

「――――――――っっっ!!」

 動揺のためか避けきることができず、数発喰らってしまう。

「少し教授してやろう、これについて」

 俺が睨めつけるのなんて、無視して話を始めるバイラヴァ。

「まず、“五大咒術(ヴァースト))”。名前の通り、五の要素が存在する。“(ブミ)”、“(ジャラ)”、“(アグニ)”、“(ヴァーユ)”、“(アカシャ)”。世界を構成する五大元素。それぞれの要素はただ直接、大地、水、空気、空を表すわけではない。地は安定性を表す属性。水は流動性や冷性を。火は熱性や反応を。風は軽快さや喜びを。空は空虚さや空間性を。得手、不得手は個人によって異なるらしいが、特に空については行使が困難らしいぞ。そして我が行使しているのは水と地の複合属性――――“(コキュートス)”だ」

 ただ頭の中にある知識をそのまま吐き出すような話し方。

「…………ふん。随分とおしゃべりなんだなおまえ。殺戮鬼のくせに」

「冥土の土産にと、思ってな。これを使い始めた以上、おまえに勝機は無い。人格として生まれた数日間、我に立ち向かう者などいなかった、おまえを除いてな。憤慨もしたが、まあ、捻じ伏せるというのも悪くはないだろう――――」

 おまえを殺した後は、また、一方的な殺戮と喰辱にもどるがな、と。

「おまえ――――――殺戮はそんなに愉しいのか?」

「ああ、勿論だ。命を弄ぶ感覚。思うがままに喰い破る興奮。不成鬼程度であの興奮なのだ。人間相手なら――――ああ、この世の最たる興奮と聞く絶頂(オルガスム)にも劣らぬと思うぞ!!」

 愉しみだ、愉しみだ、と繰り返すバイラヴァ。


――――――やっぱり、こいつは斃さなくちゃいけない。


 さっきの氷杭、氷壁といい,こいつは力を隠し持っていた。まだ、他の属性とやらを使ってくる可能性だってある。今までのように接近戦だけで戦うというわけじゃない。

 あいつには遠距離武器の氷杭、防御の氷壁。それに比べて、こっちは拳一つ。

……正直言って勝機は薄い。

――――でも、だ。

 こいつを野放しにしたら、こいつは殺戮を繰り返す。そんなことは許せない。

 もし、こいつに栞や阪木、白瀬、俺の知り合いが襲われたら――――――――

 ふざけるな。腸が煮えくり返る。

 ああ、不利だろうと、この勝負、引くわけにはいかない。

「おまえの望みは叶わねえよ、バイラヴァ」

「ほう、何故だ?」

 わからん、と疑問の表情を呈してくる。 

「ここでおまえが――――――やられるからだよ!」

 疾駆――――――そして胸へと拳を――――

「ワンパターンだな―――――――届かんよ」

 氷壁に阻まれる。

「この――――――っっ」

 側面に回りこみ、再び拳を奔らせる。

「甘いぞ」

 再び阻まれる。

「この氷壁は全方位に展開することが出来る。故に死角は存在せん」

「くそ――――――――――がっ!」

 バイラヴァの上をとり、拳を放つが。

「通らんといったはずだがな」

 冷笑。

「こん、の――――――!!」

 もっと、もっとだ。もっと咒力を奔らせるんだ。こんな氷壁を撃ち貫くほどの――――!!


「え、――――――――」


 力をこめた瞬間だった。

「そ、んな――――――」

 馬鹿な。

「ず――――あああっっ!」

拳が砕け、る――――――――!?

 痛い痛い痛い――――――――!

 なんだなんだ、なんなんだこの痛みは――――――!?

 拳が螺旋状にひしゃげるような感覚。

 内界から崩壊するような感覚。

 そして、骨という骨が、神経という神経が、肉という肉が、砕け落ちるような感覚。

 そこには、赤い血と泡が踊っている。

 なんで、どうして、何故なんだ。今から殴り貫こうっていうのに、なんで。

「それがおまえの限界だよ」

 嘲嗤う声。

「さっき言った五大咒術のように、個人には咒術の扱いに得手、不得手がある。故に、限界以上を引き出そうとしたら、ほとんどの確率で自壊する。つまり、だ。おまえにこの氷壁は壊せんということだな」

 嘲弄の声。そ、んな――

「では、いくぞ――――」

 呆然としている俺に放たれる俊腕。

「く、そっ――――――っっ」

 後ろに跳躍し、かわす――――

「後ろに飛んでよいのかな?」

――――が、着地時の硬直に、優に三十を超える氷杭が放たれる。

「が――――――――――っっ!!」

 避ける術も無く、せいぜい、十字で受けることしかできない。その結果、腕に突き刺さる氷杭。

「つまらんなあ」

 取るに足らん、と落胆する貌。

「こうも弱いと話にならん」

 興ざめといった貌。

「これで終わりとするか――――――死ね」

 バイラヴァは急駛――――次いで貫手。

「――――――!」

 避ける――――否、避けることが出来なかった。

「づぁ――――」

 肉の抉られる痛みと同時に頭に奔る鋭い痛み。

「がっ――――」

 そのまま、胃の辺りを貫き――――脇の辺りを掴まれた、と思った瞬間には、既に壁に叩きつけられていた。

「――――――がはっっ!!」

頭からいったせいか、首の骨が折れ、その目の先には臓物と血と骨の混ざり合う赤一面の紅。

 しかし、その孔も次第に塞がれていく。


――――く、そ。体は再生するのに、あたま、が。


 痛みが徐々に撥ね上がってくる。

 これはストレスからきているのか。

 これ以上は戦うなと脳が命令しているのか。

 戦いたくないと無意識に思っているのか。

 頭がずきん、ずきん、と痛む。頭中の縫合されている部分を無理やりこじ開けられ、頭が孔だらけになっているのに、それが塞がり、再び頭がこじ開けられる。その繰り返しが何度も何度も何度も何度も。


 づっ――――――――ああああっ!!


 死ぬ、の、か――――――――

 このまま、あいつに、心臓を貫かれて。何も出来ずに。

 俺が死んだら、誰があいつを斃すんだ。斃さなきゃ、あいつは殺し続けるぞ。栞を、阪木を、白瀬を、俺の大切な人たちを。そして――――――――雪村を。

 皆、死んじ、まう。俺の、大切な人たちが。俺の、陽だまりが。動けよ。斃せよ。こんなこと、してる、場合じゃない、だろ。

 体は、再生されているのに、く、そ。

 銃創――――鋭い痛みが微かに息をしている頭を殺し、喰らい、犯していく。

 もう――――――戻れ、ないの、か。

 俺の大好きな日常、に、は。

「その調子を見るともう動かんと思うが――――やっておくか」

「――――ッッ!!」

 次いで両脚に氷杭が放たれた――――くそ、もう、立つ事すら、も。

「死ね――――――――」

 大きな氷杭が創造されて、いく。さっきよりも、鋭利な。さっきよりも、堅固な。さっきよりも、巨大な。

 あれが心臓に、突き刺さる、のか。

 糞、何も出来ない、のか。

「――――――――――っっ!」

 瞼を、開いておくことさえ、辛い。もう、だ、め――――――――だ。

 俺の、視界は、ブラックアウト、した。

 次の瞬間には、この心臓に氷杭が投擲、され、心の臓腑を穿つ、だ、ろう。

――――――――来、ない。

 頭に奔る痛みが俺の生、を示してい、る。

――――――――――まだ、来、ない。

 心、の臓腑の鼓動が示してい、る。

――――――――――――――――――――――――――――――あ、れ。

「こ、の! 止めろ!」

 声が聞こえる。

「糞、今になって意識を取り戻すとはなっ!」

「止めて、ください……!」

 争い合う声が聞こえる。

「ええい黙れ! 我がこの体の宿主だっ!! 貴様など残留思念にすぎんっ!!!」

「黙り、ま、せん………………!!」

 この声は…………

「止めろっ!! これ以上はっ!!!」

「私と貴方は死ぬべきなんです…………!!」

 この声は……………………

「これほどに巨大な氷杭を自身に放つなど、巫山戯ておる!! 死んでしまうのだぞ!!!」

「それで…………いいんです…………!!」

 死ぬ…………?…………

「私と貴方は殺戮を行いました…………!! だから、死ななきゃいけないんです…………!!」

 死ななきゃいけない…………?

「ふざけるなっ!! 我がこのような所で死んでたまるか!! 更なる殺戮を!! 更なる陵辱を!! ああそうだ、死にきれるか!!」

「ふ、ざけ、ないでください………!! 命は尊いんです…………!! 私達なんかが消していいわけないんです…………!!」

 モノの命は尊い…………?

「綺麗ごとを!! 我に逆らうだけ無駄に疲弊するとわかっておらんのか!?」

「無駄じゃ、無いです…………!! 私の脳を一撃で殺すような氷杭を創って、それを放てば、私たちは死ねます…………!!」

「ふ、ふざけておるのか!? 死を望むだと!!    理解できぬ!! おまえは狂っておる!!」

「人を殺すのは罪です…………。そんなことは当たり前なんです…………!!」

 人を殺すのは罪…………

「ま、ずい――――――――このままでは――――――――!!」

 …………だったら、だったら。

「――――――――だったら、おまえがおまえを殺すのも罪なんじゃ、ないのか…………?」

 瞼をゆっくりと開きながら、呟く。頭痛は依然として続いている。続いている、が…………こんなこと、してる場合じゃ、ない。    

 雪村は死ぬつもりだ。あの巨杭を自身の頭へ放って。

「そ、んなこと…………させるか、よ」

 あいつ…………なんの為に俺が戦ってるのかわからねえのか。勝手な願いだけど、俺はおまえに元に戻って欲しいから戦っているんだ。だから、だから…………

「だから……死なせ、ねえぞ、雪村」

 全身にロゴスを奔らせる ――――――左肩、右手、右腕、左腕、右腹部、左腹部、鳩尾、右脚、左脚を穿った凡そ十の氷杭を押し出す――――――――見事に、血の噴出とともに全身から氷杭を抜くことに成功。

「つ、ぎは――――――――――」

 意識を更に集中させる。まだ頭痛の治まらぬ頭をフル稼働させる。俺が狙うは相手を気絶させる一点――――頭だ。

 頭を揺らして気絶させる。鳩尾を貫くなどと、甘い考えは捨てろ。今、必要なのは意識を失わせるほどの豪力だ。

 しかし、問題は力加減だ。力を入れ過ぎれば頭を貫き、脳を破壊してしまう可能性がある。だが、弱すぎれば、大したダメージを与えられず、気絶させるなんて無理だろう。

「ま……った、く」

 随分なご注文だ、我ながら。

 だが、やるしかない。やらなきゃ、あいつは死ぬ。死ぬんだ。もう二度と話すこともできない。

 そんなのは嫌だ。嫌なんだ。こんな状況でも………………希望は捨てたくない。…………捨てたくないんだ。

 さっきまでは諦めかけてた。でも、いざあいつが死ぬつもりだって聞いちまったら、寝てられるかよ。やっぱり俺は還りたいんだ。あの大好きな日常に。何よりも尊いあの陽だまりに。

 だから俺は――――

「はあ、はあ、は――――――」

 好機は一度きり。一撃で決める。

 放つは雷にして鋼。初にして終。序にして急。そんな一撃必斃をアイツに叩き込む。

 疾る、疾る、疾る――――――

 雷、雷、雷。

 放つ、放つ、放つ――――――

 鋼、鋼、鋼。


――――イメージは整った。


 身を沈め、脚が砕け散ってしまうほどに強く地を蹴り、疾走する――――!

「ナ、ニ――――――!?」

 バイラヴァが驚愕の瞳でこちらを見る。だが構いはしない。

 雷にして鋼――――俺はそれを叩き込めば良いだけだ――!

「――死、ネ――――――!」

 呪詛と共に放たれる氷杭。

「――――――づっああああああああああああっっっっ!」

 痛い痛い痛い――――――!

 放たれる瞬間しか見えなかった。

 そう、閃光に貫かれた、と錯覚してしまうほどに迅かった。

 右頭部――――――眼球を抉り、頬を穿ち、氷杭は飛んでいったのだろう。

 痛い痛い痛い痛い――――――!!

 今日喰らった攻撃で一番、痛い。

 崩れ落ちてしまいたい、身を投げ出してしまいたい――――――

 どうにかなってしまいそうなほどに痛い。

 痛みしか感じられなくなったのか、と思ってしまうほどに痛い。

――――――――だ、けど。

 この好機を見逃すわけにはいかない――――――――!!

「お――――おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっっっっ!!」

 堕落を亡せ! 顛落を殲せ! 腐敗を退廃を貪汚を腐朽を腐蝕を腐乱を全て全て全て――滅ぼし尽くせ!!

 バイラヴァは目の前だ! 

 開放は目の前だ! 

 放て放て放て! 今こそ今こそ今こそ――――――――!

「お――――――らあぁぁぁっっっ!!!」

 バイラヴァの頭目掛けて拳を奔らせる!!


「ガァッッ――――――――――アアアハッッッ!!!」


 一厘の誤差無く放ったと確信できる一撃はバイラヴァを容赦なく吹き飛ばす。

 

――――――や、った、か。


「あ、や、ば――――――」

 勢いを殺しきれず、どんと、転倒してしまう俺。

「はあ、はあ、はあ――――」

 アイ、ツは――――――

 あの手応え、おそらく失神だけで済ませられたはずだ。

「でも、一応、確認しとかねえと……」

 鉛のように重い体を持ち上げ、ゆっくりと立ち上が、る。

 そしてバイラヴァに近づき、胸に耳を当てる――――――――

「ていうかこれって、別にセクハラじゃないよな……?」

 なんて馬鹿なことを考えながら、鼓動を確認する――――よし、心臓は動いてるな。

 今は、ただ気を失っているだけ。おそらくは、鬼の自然治癒によって回復するはずだ。

 だから、問題はここから。

 バイラヴァを取り除かないと雪村は自由になれない…………だろう。

 でも、どうやって取り除けばいいんだ。俺が“咒鬼”とかいう存在って知っただけで、何ができるんだとかも良くわかっちゃいない。

――――――――ああ、くそ。

 思い付かん。このままじゃ駄目なのに。このままじゃあ……………………!!

――――刹那、穿たれる感覚。 

 さ、殺気――――――!?

「な、――――」


――――ナニカ来る――――――!!


「――――――っっっづぅぅぅ!!」

 背後から迫る鋭いナニカを十字で防御する。

 これは、日本刀?

「――――――――!」

 振り向いた瞬間、苛立った声と共に再び刀が放たれる。

「く、そ――――――――」

 縦、横、と一拍子で放たれる刀をなんとか防ぎきる、が――――――

 

――――――轟、という風切り音と共に発生した刺突。剽悍にして石火の死突が再び頭部に放たれる――!!


「こ、んの――――――――!!!」

 倒れ落ちたと言って良いほどに体を沈ませると同時に、拳を放つ――――――が。


「遅い…………ですね」


 俺の拳は奴の空いていた手によって握られていた。

「づっっっ――――――――!!!」

 腕を切り落とされ、再び、あの死突が襲いかかる――――――――!!!

「お――――――おおおおおっっっっっ!!!」

 雪村の体を抱え、後ろに無我夢中で跳躍する!!!

 その結果、脚の腱が一気に引きちぎれるような音がした。

「づ――――――――――ぁ、はあ、はあ、はあ、は…………」

 なん、とか回避できた。でも、これ、以上は――――――

…………きつい。正直きつい。連戦なんて想像してなかった。

「はあ、はあ、はあ、はあ、は――――――――――――」

 でも、ここまで来、て、敗けてたま、る、か。

 諦観を亡せ。棄却を殲せ。放棄を遺棄を委棄を断念を諦念を思切を絶望を全て全て全て―― 

――――殲滅しろ……………………!!! 

 ここまでこうしてきた。戦ってきた。諦めなかった。

 ああ、そうだ、絶望なんて…………諦観なんてしてやるもんか…………!!

 その意思を双眸に宿す。眼前の敵を刺し穿つ勢いで睥睨する。


「え――――――」


 そこには思わぬやつがいて。

「お、まえ――――――――」

 間抜けな声を漏らすことしか出来なくて。

 

「な、かつ――――――――――――な、のか?」


 ただ問いかけることしか出来なかった――――――

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