歪む日常①
――――閑かな夜。
鴉雀無声。閑寂。無風。
自動車やバイク、鴉、雀に渡る騒音器が一切存在せず、ただただ、静謐だけが存在している。
街灯は無く、煌々と輝く月の光だけが道を照らす中、一人の男がいた。
黒色の髪に黒い瞳。
その男は、黒衣に身を包ませ、独り歩いていた。
傾危之士、青天霹靂――――そんな言葉を脳裏に生じさせるような男。
その男の存在は危険だ。
その男の存在は災いだ。
その男の存在は凶鬼だ。
一言で表すならば単純に――――
――――――不吉な男。
男は歩いていく、無人の道を。
その歩みに、静寂の夜に怯えた様子は無く、ただ歩いていく。
――――――然れど刹那一念、次の瞬間。
彼は歩みを止め、公園のベンチに座る一人の少女を見ていた。
何故、こののような時間に、このような場所で、という疑問は一切湧かず、彼にあるのはただ一つの恣意。
「――――――――――」
なにか、呟いた様な気がした。
そして、指を鳴らした
――――――見つけた。
声ではなく、脳髄から漏れる嗤い。
標的を見つけた、と貌を歪ませる。
裏切るなよ、と貌を歪ませる。
役に立て、と貌を歪ませる。
しかしそのような男の魂胆などまるで存在せぬかのように、ただ虚空を凝視する少女。
虚空――――――何も存在せぬ空間。いや、何も存在せぬが故にすべてが存在するのか。
少なくとも、彼女にとっては――――
懐古、望郷、郷愁…………想起される。在りし日々が。
悲哀、憂愁、哀哭…………去来する。今は亡き“あの人”が。
そう、追憶しているのだ。過去の思い出を。幸せだった日々を。
彼女にとって、現在は在留所に過ぎないのだ。過去こそが彼女の望む理想郷なのだ。
――――――――なのに、それなのに。
どうして今、“この少年”の顔が浮かんだのだろう。私は“あの人”を想起していたのに。
――――わからない。わからない、けど。
いや、もしかして彼はわたしを――彼のお陰で私は――――――
暗雲は晴れない。晴れてはいない。
けど、暗雲に綻びが見えた。世界は広くなっているような気がした。
これは……喜んでいいだろうか。
これは……私は、もう……
少女の中での葛藤。過去か未来か。歩くべきなのか歩かないべきか。
――――どう、すれ、ば。
然れどその軋轢など不意介――――何故なら男には知る由も無く、知っていたところで、くだらぬと一蹴するだろう。
心中で欲望、渇望、愉望、渦巻く魔が再び笑う。
笑う――――――笑う。
それは、まるで凶兆のようで――――
それは、まるで非現実による侵食の兆候のようで――――
それは、まるで人の幸を奪う魔の妖気のようで――――
――――――閑かな夜に魔の膨張する気配があった。