回る日常③
「はあ、はあ、はっ…………」
学校に到着。
三時四十分……ホームルームが終わって、二十分。もう、学校を出ちまってるかな。
とりあえず、教室へ向かう。そこには――――――――
「……遅いです」
これは少し、怒っている……ように見えるな。
雪村が怒っているなんて、不謹慎だが新鮮だな。
「わ、悪い。後輩と遊んでたら、いつのまにかこんな時間になってて」
「六時間目さぼってそんなことしてたんですか……」
「ああ、瞬間の気分に従って行動するからな、俺は。……それじゃあ、行こうか?
「……はい」
俺たちは教室を後にした。
******
夕暮れ時の商店街。燈色の光が降り注ぐ賑やかな場所。そこには――――――――
「くっそー、中々取れん」
ゲーセンのクレーンゲームで苦戦する俺がいた。
「……別に、いいですよ」
「でもさ、欲しくないのか、これ?」
そういって、景品の一つであるナマズのヌイグルミを指さす。
「でも、もうお金ないって言ってましたし。何より、そこまでしてもらう義理は」
お金とは俺の金のこと。なんと、ズボンの後ろのポケットに入っていたのだ…………先に気づけよ俺、とつっこみをいれたくなった。
「義理ならあるさ。焼き蕎麦ぱんのな」
それに、何よりも、雪村がショーウィンドウ越しにじっとナマズのヌイグルミを見つめていた。あまり物欲の無さそうな雪村が、だ。珍しい。
「でも、お金はありません」
「うぐっ……」
それをいわれると言い返すことができない。
「夕飯の準備が遅れては困りますし、急ぎましょう」
「ああ。悪いな、雪村。その……とってあげられなくて」
「……別に頼んだ覚えはありません。でも……しかったです」
「うん、何て言ったんだ?」
「……いえ、別になにも」
すたすたと歩いていく雪村。
「おいおい、待ってくれよ」
早足で追いつく。そして、スーパーへと入る。
*******
「――――――――――買い物終了か」
「……はい、終了です」
両手には買い物袋。大した量じゃないから重くは無い。
「あとは、帰るだけか」
この荷物もち楽しかった気がする。一人で来るときとは違うしな。
そうしてしばらく歩いていると
「おっ、かっこいい刀が」
店頭でおもちゃの安売りが行われていた。
「おもちゃ、好きそうですね」
「いや、そんなことは無いんだがなあ」
ていうか、俺っておもちゃ大好きっこに見えるのか。
「……この刀、鍔が無いな。柄が木」
なんだ……これ。
「刀……お好きなんですか?」
「いや別に。ゲームや漫画で見たことがあるレベルだよ」
意味もなく、刀を鞘から抜いたり差したりしてみる。
「よし。この刀を買ってあげよう」
「要らないです」
「暴漢に襲われたらどうするんだ」
「そんなおもちゃじゃ撃退できませんよ」
「なら、スタンガンを買ってあげよう」
「もっと要らないです」
……つれねえなあ。
……つれねえなあ。
「あれ、喜助と雪村さん?」
声のした方向に目をやると、学園一のスケバン、壱ノ谷栞がそこに立っていた。
「変なナレーションしないのっ」
「てか、おまえ、何でこんなとこにいんの?」
「ちょっと買い物にね」
そう嗤って、札束で俺を叩いてくる栞。
「だから、変なナレーションしないのっ。ていうか喜助、雪村さんと遊んでるの?」
「ああ、ちょっと……って、あ」
栞は今、金を持ってる。その金を後で返すってことで借りて、雪村に何かしてやればいいんじゃないか。恩を返すのは今がチャンスかもしれない。
「ちょっと栞……」
雪村から離れて栞と二人になる。
「どうしたの、喜助?」
「栞、金貸してくれ」
「何かあったの?」
「ああ……実はな」
雪村から受けた恩、今の状況について説明する。
「わかったよ。はい、二万円」
「……いや、二千円だけど」
「どうっ。今の喜助っぽくなかった?」
……いや、俺はそんなつまらないギャグは言わない。
「ていうか、お前も来ねえか? 一緒に遊ぼうぜ」
「うーん。一緒に行っていいのかなあ」
「いいじゃん別に。どうせフェスで顔、合わせるだろ」
「……やっぱり止めとくよ。夕食の準備、遅れちゃいやだし」
「じゃあ、仕方ねえか」
「フェスに来るときに、いっぱいお話しするよ」
「そっか。じゃあな」
「うん、あんまり遅くなっちゃ駄目だよ」
栞と別れ、雪村のところへ戻る。
「遊ぼうぜ、雪村」
「お断りします」
スタスタと歩いていく。
「な、何でだよ?」
「……夕飯の準備」
「ちょっとだけだからさっ」
「お断りします」
くっそー、どうすりゃ良いんだよ。
「めっちゃ辛いもん、おごってやっからっ」
辛いもん? 自分でも何を口走ってるのか、わからない。
「……辛いもの……。辛いもの……ですか……!」
……もしかして辛いもの好き?
「あ、ああ。この近くにすんげえ辛い料理屋があるんだ」
「……連れて行ってください……!!」
……………………もしかしなくても、辛いもの好きだ。
「じ、じゃあ、ついてきてくれ」
歩く。歩く。歩く。……よし、商店街の端にある“目的地”が見えてきたぞ。
「ここだ」
スパイシーインディアンαという看板。
「辛い料理ばっかの店なんだ」
特に辛かったのはラーメンだった気がする。
「早く入りましょう……!」
率先して店に入っていく雪村。
「お、おう……」
普段の雪村とギャップがありすぎる。
「早く早く早く…………!!」
テーブルへ猛進して行く雪村。ぎゃ、ギャップがすごい。
「で、何食う――――――――」
「このラーメンを一つお願いします」
――――――――は、はや。
「……何も食べないんですか?」
「え、えっとじゃあ、同じのもう一つっ」
「……いいんですか? これ、この店で一番辛い料理らしいですよ」
「むっ…………」
『おまえには無理だ』と言ってんのか。
「い、いいぜ。俺は学校一辛い物好きとして君臨しているんだ」
わけのわからないことを口走っている。でも退くわけにはいかない。
「αラーメンはナイアルネ」
「無いのかあるのか、どっちなんだっっ!!」
「アルアルネ(にやっ)」
αラーメン二つアルネ、と言って厨房へ戻っていく。
「ここ、本格インドの店だよな……?」
でもだったら何でさっきの人はチャイナ服を着てたんだ?
αなんて、料理名につけるか?
そして、テーブルには寿司屋においてあるガリがある。
他にもアルコールランプとか置いてるし。
おっと、シーサーも置いてやがる。ひぃ、あっちにはなまはげが踊ってやがるっ。
………………わけわからん。前、来たときはこんなもの無かったはずだ。
奇を衒った店だなあ…………なんて暢気なことを考えていた。
――――――――頼んだラーメンのことなど忘れて。
******
「か――――――――――――っ」
鼻腔をつく匂い。
「う――――――――――――っ」
舌を焼き尽くす辛酸。
「お――――――――――――っ」
喉を殲すが如きの極熱。
――――――――――――感想は一言。
「かっ、からひぃぃぃぃぃ!!!」
辛い、辛い!! なんだこれは!! 何を食っているんだ俺は!! 何をしているんだ俺は!!
わからない、わからない!! とりあえず、とりあえず、みず、ミズ、水、水ゥゥゥゥ!!
無我夢中で水へ手を伸ばし、口へ水を放り込む。
「………………いいんですかって、聞きましたのに」
「ずう、はあ、はあ――――――――こ、こんなに辛いとは思ってなかったんだよっ」
なんだよこれ。こんなの料理なんて呼べないぞ!
口直しに他のものを頼む金の余裕なんて無いから、これを食うしかないんだが。
それなのに……それなのに………………
「お、おまえ、平気なのか?」
「おいしいです」
そ、即答!! いつも、ワンテンポ遅れて返事が返ってくる雪村が!!
「お、同じの注文したんだよな?」
「はい、αラーメンです」
し、信じられん。これが真の辛いもの好きなのか。
「雪村、一つ提案があるんだが」
「…………はい」
「これ、食ってくれないか?」
「お断りします」
………………ですよねー。
「新しく、注文するのなら構いませんが」
「そ、そんなに気に入ったのかっ?」
「はい。おいしいです」
……わからない。その感想が。このラーメンの魅力が。
でも。でもだ。食べ続けることで魅力が理解できるのならば。そんなことがあり得るのならば。
「……前言撤回、食い尽くしてやる」
ああ、食いつくしてやる。金を出している以上、飯を残すなんて選択肢はナンセンスにもほどがある。出されたものは食う。こんな当然のこと、俺は忘れてしまっていたのか。
ありがとう、チャーシュウ。ありがとう、ラー油。ありがとう、メンマ。ありがとう…………全ての食材。
その感動の中、俺はラーメンを食べ続けた。
その結果――――――――――――
「……なんほか、食ひきっやったそ」
暑い、体が熱い。痛い、舌が痛い。よく食いきれたもんだ。
最後に、水で流し込む。……飯を食った後なのに、すごい重労働をした後みたいに疲れてる。
「よーし、んじゃ帰るか」
「…………お口、汚れてますよ」
「へ、ああ、これか」
手の甲で拭く。そうすると――――――
――――――――――――ふふっ。
「え――――――――――――っ」
笑い声が聞こえた気がする。小さな、微かな、聞き逃してしまうほどの。
笑っ、たのか――――――――――?
「…………子供、みたいですね。駄目ですよ、服で拭いちゃ」
「あ、ああ」
穏やかな顔をしている。いつもより、少し優しく見える顔。
わ、笑ったのか――――――――――
初めて見たように感じる雪村の顔。なんだかそれに俺は――――――
「って置いてくなよっ!!」
この野郎、ちょっと見惚れてた間に店を出て行くんじゃねえ!!
******
しばらく歩く内に道の別れ目に着く。
「俺、今日は家に帰りたくない」
俺の思う最高のいい声で言ってみた。ハスキーな声で。
「…………」
「帰りたくない」
「………………」
「帰りたくないんだ」
「……………………」
「………………なんかつっこんでくれよっ!」
「…………………………はあ」
ギャグをスルーするなんてひどいぞ。
「もう一回、いくぞ。…………今日は帰りたくない」
「………………そうですか」
「イヤソレツッコミジャナーイ」
「…………………………はあ」
「もう一回な。………………今日は帰りたくないんだ」
「…………………………………………」
「いやいや、対応の仕方がわかんないからって無視するなよっ!!」
ギャグにつっこみを入れてもらいのがこんなに悲しいなんて。
「解決策を提案するだけでいいんだ。良いな?」
「はあ………………」
「今日は家に帰りたいんだ」
「…………毎日、家には帰ってほうが良いですよ」
あっ、今度は俺が振り間違ってんじゃねえか。でも、まあ。
「及第点かな、ぎりぎり」
「なんで、貴方が偉そうなんですか」
「ギャグの師匠だから?」
「私、貴方にそんなこと師事してるつもり、ありません」
「そう、それだ。それがつっこみというものだ」
「…………はあ…………。そうですか」
「ああ、精進を怠るなよ」
なんだか少し、話やすくなった気がする。
ギャグの指南をしている内に道の分かれ目に着く。
「じゃあ。私、こっちなので」
「ああ。また明日。気をつけて帰れよ」
「はい」
そう言って、歩いていった。
…………うーん、何か面白くないな。
そう、もう少し面白おかしく…………あ、その手があったか。よし――――――尾行しよう。そうしよう。善は急げだ。
早歩きで雪村の一メートルほど後ろの位置へ。
鞄から取り出し、馬ヘッド装着。時折ひひぃぃん、ひひぃぃぃん、と唸りながら、ついて行く――――が。
「え――――――――?」
次の瞬間、馬ヘッドを外され、眼前には雪村の顔が。 何故ばれたんだ?
「何故ばれたんだ?」
口にも出してみる。
「……ばれないと思っていたんでしょうか?」
「当然」
じゃなきゃ変装なんてしない。
「これをあげ――――――」
かぶせようとして無言で弾かれる。
「ひひぃぃぃん、ひひぃぃぃんと言いたくなる――――――」
またも無言で弾かれる。
「………………」
すたすたと歩き、公園へと歩いていった。馬ヘッドを鞄につめ、俺も公園の中へ。
「……ふーむ」
変哲のない公園。木馬、ブランコ、鉄棒、自販機、ジャングルジム、砂場……普通の公園だな。
雪村は――――――っとベンチか。ベンチにすわ――――。
「…………そこ、座るのは駄目です」
隣を指して雪村はそう言った。
「……へ? なんで」
「……………………」
沈黙する雪村。訳ぐらい説明してくれても良いじゃないか。
「まっ、別に良いけど」
ぼーっと景色を眺める。
「……………………」
夕日。水彩画のような茜色の景色が広がっている。
「…………夕日……」
ぽつりと呟く雪村。
「なんだ、夕日がどうかしたのか?」
「……いえ。ただ、もう終わりなんだなって、そう、思っただけです」
「なんだ、終わって欲しくなかったのか?」
「……そう、なのかもしれません…………」
――――――――え?
「……な、なあ、今日は楽しかったか?」
「………………」
「はいなら右手を挙げる、いいえなら鼻でラーメンを食べる」
「…………ラーメンを食べます」
「ちょ、どんだけラーメン好きやねーん」
思わず、関西弁でツッコンでしもたやないかーい。
「……冗談です」
――――――ま、また微笑んだ。い、今がチャンス――――
「フ、フェスのこと、考えてくれたか?」
フェスとは雪村の誕生日フェスティバルの略称、俺主催の。
前から何度も誘っているがいい返事はもらえてない。
「………………」
「楽しいぞ」
「………………………………」
「みんなで馬鹿みたいに食って飲んで」
「……………………………………」
「近所から苦情が来るくらいに騒ぎまくって」
「………………………………………………」
「きっと忘れられない、楽しい、時間になるはずだ」
終わって欲しくない、と思ってしまうほどに。
「………………………………………………………………いいかも、しれませんね」
「――――――ほ、本当か!」
だ、だったら――――――
「まずはこの書類にサインをっっ!」
「……詐欺師ですか、あなたは」
あ、やべっ、嬉しくてつい、ギャグを披露しちまった。つーかナイスツッコミ。
「……そろそろ、家に帰ります」
立ち上がり、そう告げる雪村。
「おう。あっ、フェスは週末だからな」
「……はい。さようなら」
背を向け、歩いていった。
――――――――そういえば。
「なあ、どうしてここに寄ったんだーーーーーーー!」
少々、距離があるため、声が大きくなってしまった。
「それは、ここが――――――――だからです」
その声は小さかったためか、途切れ途切れでしか聞こえなかった。
そしてまた歩いていった。
「おーーーーーーーい!」
それはただ――――
「最高のフェスにしてやっからなーーーーーーーーー!」
ただ彼女の言葉に何故か哀しみを感じていたから。
「楽しみにしとけよーーーーーーー!」
彼女を励まそうと無意識に発していた。
「――――――――」
振り返った雪村の顔は驚愕で。
でも――――――――次の瞬間には微笑みに変わっていた。
「――――――――」
雪村が何か呟いた。
それは小さく、さっきのものとは比べ物にならないほどに小さく、言葉一つ聞き取ることは出来なかったけど。
――――――“また明日”。
そんな言葉が、いつもの“さようなら”とは違った言葉が、放たれた――――そんな気がした。