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伏矢ノ紅④

「――――ぁ」

 瞼が開く――――目を、醒ました。

「お、れ――――」

 何をした、なんてことは考えるまでも無い。理由なんて考えるまでも無い。

「は、は――――」

 

 だって――――俺の右手には血で汚れた赤い刀が握られていたから。


「ぁ、は――――」

 炳焉とした事実が目から胸へ、手から胸へと流れ込んでくるから。

「ぁ、ぁ――――」

 だから――考えるまでも無かったんだ。

「ぁ――――!」

 俺はウーヌスを殺したんだ――――

「ぁ、はあ、あ、あは、は――――」

 乱れ始めるこ、きゅう。

 ずきんと痛みを感じてしまうほどの迅さで地に膝を着き、定まらない視線で必死に赤い刀を凝視する。

「はあ、は、ああ、はぁ、あ――――」

 俺が殺したんだ。

「はあは、はあ、はあ、は――――」

 ウーヌスを。

「はあ、はあ、はあ、はあ――――」

 他でもない。誰でもない、俺が。

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ――――――!」

 俺は奪ったんだ――命を――――!

「く――――そ」

 殺しは駄目だ、殺しは駄目だ、と言い聞かせていたじゃないか。

「く――――そ」

 殺したい、殺したい、と思っても、殺しは駄目だと知っていたじゃないか。

「く――――そ――――!」

 空に吼える。

 命の失われる瞬間を俺は既に、知っていたじゃないか――――!

「くそ、くそ、くそ――」

 再び吼える。

 悪人が相手でも、極悪人が相手でも――

「くそッッッッッッ!」

 何度も、何度も、吼える。

 俺は殺しを――――正当化できない。

 ああ、俺は弱いんだ。命を奪う勇気ってものを持っていないんだ。

 だから憎き怨敵を殺した後でも嗤うことが出来ないんだ。自身の行為に責任を持てない弱者なんだ。今もこうして情けなく吼え続けているんだ。

「でも、それでも――――」

 母さんが死んだ時――――思ったんだ。

 死は悲しい、と。

 それは大好きだった母さんが死んでしまったというのも勿論あるけど――――それとは別に心に刻み込まれたんだ。

「だから――――」

 俺は――――こうしてればいいんだ。

「ずっとこうしていればいいんだ――――」

 失ったものに、ただ苦しんで苦しんで苦しんで―――――


「桐島君――――」


 ふわり、と包み込まれる感覚。

「……雪村?」             

 後ろから、抱きしめられてるの、か?

「…………はい」

 ゆっくりと染み込む声。ああ、この声は雪村。

「桐島君……ありがとうございます」

 雪村の感謝の声。ああ、そうか――俺は雪村を救えたのか。

「どう、いたしま、して」

 それ、だけは、誇れる、だ、ろうか。

「桐島君…………」

 俺の名前を呼んだ後、ぐっと拳が握られるような音がして

「桐島君、フェスティバルの計画は、順調、で、すか?」

 ぎこちなくも頑張って振り絞られているような声。

「フェスティバルって……?」

 そんなもの、あったっ、け。

「桐島君が、よく、言ってたんじゃ、ないんですか。私のバースデイフェスティバルを開く、開くって」

……ああ、そういえば。

「ああ……順調さ」

 後は栞の滅茶苦茶美味いと言っていたケーキを買ってくるだけだ。それを俺と、栞と、阪木と、中津と、白瀬と――そしてお前の六人で分けて食うんだ。

「そうそう……いいもん、くれてやるよ」

 お前の欲しがってたあの不気味なナマズのヌイグルミ。

「いいもの、ですか…………楽しみに、してますね」

 言葉通り、楽しみを含んだような声。

「騒ぐ…………そう、ですよね。ご近所の方々から苦情が多発するぐらいに。飲んで、食べて、終わって欲しくないって、いつまでもこうしていたいって、思って、しまう、ぐらいに」

――――ああ、そうだ。

「私が主役、なんですよね。私、その、中心とかは苦手なんですけど、頑張って、みます、ね」

――――ああ、そうだった。

「…………お前、踊れ」

「――――――え?」

――――そう、だよな。

「踊るんだよ。フォークでもコサックでも何でも良い。何でも良いから俺らの前で踊ってみせてくれ」

 ゆっくりと胸前にあった雪村の手を解いて、振り返って、そう言う。

「……ど、どうしてですか?」

「うーん、踊ってるお前が見てみたいから?」

「……わ、わかりました」

「――――はっ」

 その言葉に俺は

「はははははははははっっっっっ!」

 思わず哄笑、してしまった。

「ど、どうして笑うんですかっ。私が断腸の思いで意を決したというのにっっ」

「わ、悪い、悪い」       

 ただ、雪村が必死に励まそうとしてくれている嬉しさがあって。そしてただ、励まされているだけの俺の滑稽さがあって――思わず笑ってしまった。

 雪村だって――――俺と同じように“殺し”を犯しているのに。

 それでも――――俺を励まそうと頑張ってくれている。

 頑張っているんだ――だったら俺も、くよくよなんかしてられない――――

「あり、がとな――――雪村」

 手をぽんと頭に――――

「――――ありゃ」

 無言で弾かれた。

「はは――――」

 これぞ日常。俺の大好きな日々。

「そうだよな――――」

 失われたものもあるけど、俺は得たものもあるじゃないか。護れたものもあるじゃないか。 

「っと、それよりも――――」

 雪村に一つ言っておかなければ。

「なあ雪村――――俺、お前の過去について知ったよ」

「――――え?」

 呆然と俺を見る雪村。

「ウーヌスの記憶転移で――――お前の過去を知ったよ」

 母さんが亡くなった後、ずっと苦しんでたお前のことを。

「――――そう、ですか」

 昏い表情に沈む。

「私――――――最低でしょう」

 重い、呟き。

「お母さんのことが大好きだったのに、忘れてしまいたいと思う自分がいます。好きだった、ずっとそばにいたかった ――――――そう、思ってたのに、逃げてしまいたい自分がいます。叶わない願いをいつまでも抱くなんて、つらい、だけ、だっ、て――――――」

 声は徐々に震えていく。 

「わ、私――――――いつも迷ってるんです。決断できない、軟弱ものなんです。中途半端な意思しか持ってないから、失敗ばかり――――――」

 震えはただ増していく。

「バイラヴァを完全に止めることはできませんでした。結局、人間の代わりにグールが殺害対象に変わっただけでした。いつまでもお母さんのことをひきずっています。にもかかわらず桐島君とも上手く接することができていません――――――最低、最低です……!」

 その声には涙かまじったような悲しい声。

「なあ雪村――――俺も同じなんだ」

 見ていられなかった。

「――――は、い?」

 自分を責め続ける友達の姿は見ていられなかった。

「いや、同じだったというべきかな。俺もな、過去(むかし)現在(いま)で迷ってた――――ある出来事を契機にこういう感じになったんだけどな」

 だから思わず、抱きしめていた。

「ある、出来事……?」

 頭を胸に、押し付けるように抱く。少しでも雪村を安心させてやりたいから。

「ああ。気づかされたんだよ――――とある同居人にな」

 日々は――楽しいって、単純なことを。

「気が付けば、笑ってた――――」

 母さんの死から終わりを知ったのに。

「いつか終わるとしても、それでも――」

 閉じこもるのはいやだって――――

「俺はこの日常を生きて行きたいって――」

 大好きな奴らと一緒に居たいって――

「――――そう、思ってたんだ」

 母さんのことは忘れられない、忘れない。

 でも、俺は大好きな奴らと生きていく。

 俺はウーヌスを殺したことを――――殺したことを、忘れられない、忘れない。

 命を奪った――――そこからの傷は痛くて痛くて仕方が無い、けど。

――――だけど、さっきみたいに、ただ立ち止まるのはやめる。

 俺は生きてるんだから――傷を抱えながらも、前へ歩いていけるんだ。

 だから俺は――――生きていく。

 自分のこととか全然わかんないことだらけだけど、この日常が好きだから――――生きていく。

「母さんが好きだったから、忘れられなかったんだろ――――――」

 それは同じだから。 

「バイラヴァを抑えつけるのに、必死だったんだろ――――――」

 迷っていた俺と同じ姿だったから。

「母親が好きで忘れられなかったけど――――やっぱりそれは、母親が大好きな子供の感情として、誇れるものなんじゃないか――――――」

 それに――――――

「バイラヴァを完全には抑えつけられなかったけど――――――人間を殺さずに済んだのは、良かったんじゃないか――――――」

 お前はさっき、必死に励ましてくれたから――――――

「過去は過去。現在は現在――――――切り離せないし、切り離しちゃいけないから――――――」

 今度は俺が励ましてやりたい――――――

「苦しみながらも、傷を負いながらも――――――現在を生きていこう――――――」

 生きていれば悲しみもあるけど――――――喜びだって、幸せだってあるんだから。

「だから、だ。お前が――お前も、こう思ってくれるのなら、フェスに、来ないか」

 その日々は楽しいって、俺が保証するから。

 ゆっくりと雪村を離してやる。

「…………楽しいん、ですか?」

「――――ああ」

「突然、突然、終わりはやってくるのに――――――それでも、それでも、一緒に居たいって、思えるん、ですか?」

「ああ――――――本当に、本当に、楽しいんだ」

 そんなことは、忘れてしまうほどに。思い出せば笑っている。楽しい、楽しいんだ。

 心は自然と温まり、このぬくもりは幸福だと、生きてる証だと感じさせる。

「……」

 瞳を閉じている。

「…………」

 瞳を閉じて、いろんな葛藤と戦ってるんだろう。

「――――――!」

 ゆっくりと、ゆっくりと眼を開け――――――

「私――――――また迷ってしまうかもしれません」

「……」

過去(むかし)のことを思い出して、泣いてしまうかもしれません」

「……」

「いっぱい迷惑――――かけてしまうかもしれません」

「……」

「そんな私でも、こんな、私でも、一緒に居たい、です――――――!」

「……おう、一緒に居よう」

 お前は勇気を出してくれた、なら今度は一方通行じゃない。

「迷ったりして立ち止まったら、抱えてでも連れてってやるよ――――――」

 その声には決意が感じられた。迷って、迷って、迷い続けて、それでも――――――生きていきたいと、思ってくれたんだろう。

 だったらこんな情けない俺でも、弱い俺でも、彼女の助けになってやりたい。

「そんじゃあとりあえず、今日の所は家に帰るとするか――――」

 彼女の決意は俺に届いた――――――なら、最高のフェスティバルにしてやらないと。

「じゃあ、また明日、な」

 別れの挨拶を――――――再会を期待する挨拶をした。

「…………」

 少しの沈黙の後――――

「はい、また、明日――――」


 その声は確かに明日を悲観しない響きがあった。    

 その微笑みは――――――俺の目に焼きついた。

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