回る日常①
暗雲が広がっている。無風の大地の上を。
黒い天蓋が広がっている。寂れた世界の上を。
―――――――――狭い世界。
私独りだけしか入れない。他人が入り込むことなんて出来ない。
手を伸ばせば、壁にぶつかってしまいそう。
上を向けば、今にも黒雲にぶつかってしまいそう。
―――――――――止まっている世界。
だからこそ、今にも雨が降ってきそうなのに降ってこない。
だからこそ、“あの人”を想起する以外、私にはなにも出来ない。
そう、そのはず。そのはずな、のに――――――――――
少年の顔。見たことのある顔。
少年の顔。クラスメートの顔。
何度か話したことがある…………その程度の関係。
なのに……………………
……どうしてそこに、あなたは…………
返ってくるはずの無い問いを。
……わからない。わからない。
自分で考えても、答えは出ない。わからない、わからない…………
……………………止そう。
こんなこと考えたって意味が無い。そう、こんなこと、考えたって無駄なんだ。無駄に決まってる……………………
******
「すまない、阪木」
別れは唐突で。
「てめえ、まっ――――――――――」
反駁は届かなくて。
「もう終わりだ阪木ッッ!!
悪魔は刹那で。
「ちょっ、俺は――――――――――」
反論は意味を成さなくて。
「言い訳無用ッッ!!
空凶りて掌、穿つ。
「ひっ――――――――――」
掌の迫る恐怖に呻く。
「ひっ、ひひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!!」
阪木、精一杯対抗――――――――――
「黙れ人外ッッ!!!」
体育教師先生の恫喝により阪木撃沈。……しょっぼい。
阪木の被っていた馬の頭の被り物が投げ捨てられ、阪木はそのまま担がれ、運ばれていった。
阪木―――――――――――俺は助かった。だから安心しろよ、阪木。
六月の初夏。体育館倉庫裏。四時間目の途中。
体育教師先生からの二時間の逃亡の末、ようやく俺は安息を得た。
何故追われていたのかというと、まあ、学生には色々とあるのだ。
馬の頭の被り物をつけながら中庭で授業サボってまったりとしてたら、偶然体育教師先生に見つかって追い回された果てに、心友が身を挺して生贄になってくれた――――なんて色々が。
連れて行かれた俺の心友は阪木一郎。カッターシャツを着ずにいつも私物の黒のタンクトップを装着しているのが特徴。
俺は桐島喜助。芸人を目指しているわけではないが、ギャグにこだわりを持つ、普通の高校二年生。
俺たちはまあ、いつもこんな感じなのだ。偶に授業をサボったりする普通の生徒に過ぎない。
友人を嵌めたり、陥れたり、謀ったりするのが娯楽の一つであったりするのだ。
落ちた馬ヘッドは回収させてもらう、俺の私物だからな。同時に馬ヘッドを脱ぎ、体育館倉庫裏に置いてあるロッカーに二つの馬ヘッドを入れる。
よし、ほどほどに面白かったし、腹も減ったし、教室に帰るとするか――――
******
教室に戻ってきた。
さて、どうするかな。
パンは持ってきてあるから、買いに行く必要は無い。ならば……
「ゆきむーら、飯、一緒に食おうぜ」
俺が声をかけたのはクラスメートの雪村衣鈴。ちょっと前から話すようになった友達の一人だ。銀の髪に、青い瞳の女子。
「………………」
「ゆーきむら、無視するなよ」
「…………………………」
「無視するなって」
「…………………………………………」
「無視するな無視するな無視するな無視するな無視するな無視するな無視するな無視するな無視するな無視するな――――――――」
「…………どうしたんですか?」
迷惑そうな表情。
「一緒に飯、食――――――――」
「お断りします」
そう一蹴して、弁当を黙々と食べ始める雪村。
「そ、そんなこと言うなって」
「お断りします」
「俺の第二ボ――――――」
「お断りします」
…………最後まで聞いてくれたって良いじゃないか。
「な……何故だ?」
「……わからないんですか」
「…………俺、なんかしたっけ?」
身に覚えが無いぞ。ああ、全く。
「お弁当…………」
お弁当……? もしかして。
「弁当を作ってきて欲しかったのか? 俺に」
「どんな勘違いをしてるんですか……」
呆れたような顔。他には……
「弁当を買って来いってことなのか? 俺はパシリなのか?」
「……本当に覚えてないんですね」
「あ、ああ。すまんが、教えてくれ」
「……昨日の昼食の時間を覚えていますか?」
「ああ、覚えてる。一緒に飯、食ったよな」
「はい。そこで、あなたがしたことです」
そこで俺がしたこと……。
「おまえの弁当にカレーをぶっかけたとか?」
「違います」
「弁当中にわさびをばら撒いたとか?」
「違います」
「とりあえず、飯にしようぜ」
「話を逸らさないでください」
「とりあえず、この惣菜パンの具と弁当の中身を交換しよう」
「……それです」
「え……」
「あなたは昨日も同じようにそう提案してきました。そして、そうしていく間に」
「間に……?」
「いつのまにか、私のお弁当はブロッコリーで埋め尽くされていました」
ブロッコリーで埋め尽くされた弁当。緑一色。想像してみる。
…………おえ、まずそ。
とても食いたいとは思えない弁当。
「悪い。今すぐ吐き出すから、ちょっと待ってくれ」
「やめてください」
「吐き出した後は、一緒に飯食おうな」
「……吐き出さないでください。……別に構いませんよ、一緒に昼食をとるくらいは」
「オッケー。じゃ、吐き出すわ」
「……さようなら。他のところで食べることにします」
「ごめんごめんごめん。悪乗りはもう止める」
席について飯を食い始める。
「……」
「…………」
無言の食事。
……うお、まずぃ。
この味だけは中々慣れてくれない。
ブロッコリー100%の惣菜パンに嫌気が差して雪村の方へと目を向ける。
雪村の弁当は、女の子らしさってものがなんとなく感じる気がする。
野菜や肉や魚などがバランスよく揃った弁当。ふむ……。
「なあ、これっておまえが作ってるのか?」
「はい」
「非常にうまそうだなあ」
「…………?」
「明日から、俺に弁当を作ってこい、作ってこい、作ってこい」
洗脳のように繰り返す。
「……つまらない冗談ですね」
「お父さんは悲しいぞっっ!!」
「…………………………」
無視された。…………俺のギャグって面白くないのかなあ。
「アイムソーリー、雪村」
「……………………………………」
「ごめん、雪村」
「……わかってもらえれば良いです」
「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん――――――」
「…………本当にわかっているんでしょうか……」
そうして再び、無言の食事に戻る。
……おえ、まず。
はあ……この惣菜パン、本当にブロッコリーしか入ってないんだよなあ……酷い惣菜パンもあったもんだ。だからいっつも売れ残っちまうんだろう。
……まあ、こんなパンでも食わなきゃ、腹は満たされないってのがつらいところだよな。
なんて高校生なら誰でも考えるようなことを悲観しながらも、ブロッコリーを食う。
******
六時間目の授業は数学。数学は苦手なので真面目に聞くとするか。
五分後。まだ真面目。
十分後。エロ小説を読み始める。
十五分後。難解な漢字を辞書で調べながら読み進める。
二十分後。隣の席で真面目に授業を受けている奴に渡す。
二十五分後。……………………。
三十分後。………………………………。
******
キーンコーンカーンコーン。
六時間目終了を告げるチャイムが鳴る。
「起きてっ……喜助」
誰かが俺を揺さぶっている。
「起きてよ……喜助!」
しかし、眠いから起きたくない。
「起きないと、さっき渡された……え、エッチな本、皆に見せちゃうよ」
やりたきゃ、やればいいじゃねえか。
「うう……起きてよ喜助っ」
これ、俺が起きるまでずっと続くんだろうな。
「……うるせえなあ」
仕方なく起きる。
「うるさくなんかないよっ。喜助がこんなもの渡すから悪いんだよっ」
眼前に居るのは壱ノ谷栞――――一応俺の義姉、色々と事情はあって苗字は違うのだが。
雪村、阪木、白瀬、桐島、壱ノ谷――――――名前を並べてみる。
「なーんかおまえだけすんげえ名前だよな」
「わけわかんないこと言わないでっ」
いや、なんか名前が荘厳じゃん。
「んで、こんなものって何だよ?」
「女の人が男の人と……って何言わせてるの!」
「ああそれか。……まあ聞け、俺の話を。この本の意図を」
「どういう意図があるんだよ!?」
「まずこの本は全人類の読み物、エロ小説だ」
「全人類に失礼だよ……」
「そして、これにはエロ写真が無い……つまりはだ」
「つまり……?」
「これは文章だけで、エロスを感じなければならない」
「……?」
「想像力の大事さを知ってほしかったんだよ、お前に」
「こんなものなんかで、想像力つけたくないよ!」
「でも、お前にはこれの内容が頭に浮かんだんだろ。凄えなあ。俺にはいまいち何が起こってるのか、わからなかったよ」
「そんなことで感心しないでよ!」
「つーか、もう帰るわ。阪木に返しといて」
「自分で返しなよっ!」
鞄をつかみ立ち上がる。
――――――――ぎゅるるるるるるる。
あん? 腹の虫の音か。
「腹減った、何か持ってない?」
「バナナなら一本あるけど」
「んじゃ、それくれ」
栞が鞄から出したバナナを食い始める。
もぐもぐ。
「聖水オレンジない?」
「そんなジュースないよっ。オレンジジュースならあるけど」
「んじゃ、それくれ」
栞が鞄から出したオレンジジュースを飲み始める。
「お前の鞄からは何でもでてくるなあ」
「喜助に持っとけって言われたんだよっ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだよ! まったく、もう……」
ふーむ、記憶に無いな。
「そうだ。これやるよ、水鉄砲」
「いらないよっ」
「何でだよ?」
「そこ理由訊く所かな……?」
「急に水鉄砲撃ちたくなった時に無いと不便だぞ」
「ならないよっ」
「暴漢対策になるぞ」
「ちょっとは役に立つかも……って勝手にいれようとしないでっ」
「いいじゃん別に。家族じゃん、俺たち」
「こんな場面で言わなきゃ、素直に嬉しいんだけどなあ……」
もう、と疲れた表情。
「まあいいよ。喜助、帰ろっ」
「悪いがそれはできない」
「何か用事でもあるの?」
「ああ。それはな……エロ本を買いにいくからだ」
「どういう用事だよ!?」
「お前も一緒に来るか?」
「行かないよ!」
「喜ぶと思ったのに……」
「喜ぶわけ無いよっ!!」
「まあ冗談なんだけどな」
「冗談なの!?」
リアクション面白いなあ、こいつは。
「ちょっとクラスの奴と話す用があるからさ。廊下で待っててくれないか?」
「今度は冗談じゃないよね?」
「ああ、マジだ」
「わかったよ」
納得したのか、栞は教室を出る。
さて……
「よっ、お前も一緒に帰ろうぜ」
雪村に声をかける。
「……お断りします」
「そっか。じゃあ一緒に帰ろうっ」
「文脈がめちゃくちゃです」
「一緒に帰ったら楽しいって」
「楽しくないです」
「なんで? プロレスラーも力士もいるぜ」
「私がプロレスラーや力士が好きみたいに言わないでください」
「嫌いなのか?」
「いえ別に。……というか何でこんな話をしなくちゃいけないんですか?」
「青春だ」
「…………はあ」
「一緒に青春しようぜ!」
「……これが青春というものなんですか?」
「ああ、友達と一緒に駄弁りながら帰る……青春っぽくないか?」
「……そうですか」
「じゃ、一緒に帰ろうぜ」
「……すみません。今日はちょっと用事があるので」
「そうか、じゃあ一緒に帰ろう!!」
「…………人の話、聞いてますか?」
「聞いてる、聞いてる」
一緒には帰れない、か。
――――――――仕方が無い。
「また明日、な」
少し寂しいが、引き下がる。
「……はい」
んじゃま、栞のところに戻るかっ、て――――――。
「どうかしたのか、雪村?」
俺の方をじっと見つめて。
「桐島君。その、誘っていただけたのは――――――です。ごめんなさい」
「…………? ああ、また明日」
今度こそ教室を出る。
「雪村さんと何話してたの?」
鬼の形相の栞が話しかけてきた。
「わけわかんないナレーションしないのっ」
胸への貫手――――次いで、感触を愉しむように何度も心臓を揉みしだく。
「私って喜助の中で何者なの…………」
「別に気にするな。日々を愉快にする妄想の一種だ。…………んでまあ、話してたことってのは、大したことじゃねえよ」
「変なこと言って、困惑させたりしてないよね?」
「違う。俺はいたって真面目だ」
――――ガラガラ。
ドアの開く音。雪村が教室から出ていった。廊下を歩いていき、その姿はやがて角で消えた。
「雪村さん……いつも独りで帰ってるけど、独りが好きなのかな?」
「………………さあ」
そんなことは、俺にはわからない。
「帰ろうぜ」
…………にしても、あいつ最後に何て言ったんだろう。
俺たちは夕暮れ時の学校を後にした。
******
夕日に照らされた帰り道を歩く。本屋があったり、飯屋があったりする程度の特に面白みの無い道を。
「……」 じーっ。
「喜助?」
「…………」 じーーっ。
「喜助っ」
「………………」 じーーーっ。
「喜助っ、喜助っ、喜助っ」
「……うるせえなあ、なんだよ?」
「なんだよ、じゃないよっ。どこ凝視してるのっ?」
「おまえの胸」
「なんで、見てるんだよっ!?」
「いやー、触ったら驚くかなーって」
「驚くに決まってるよっ!」
「はははははははは」
「そこ、笑うところじゃないよう……もう」
いつも通りの話をしながら家路に着く。
普通の家だ。俺と栞と宗介さんの三人が住む家。
「たったたたたた、ただいま」
「……? ただいま~」
疑問の表情を呈しながらも続く栞。
しかし、返事は無い。仕事中なのだろう。
「そういえばお父さん、締め切りが近いって言ってた。忙しいんだね、きっと」
栞と俺の親父さん…………宗介さんは小説家だ。いや……らしい。実際に執筆の現場に立ち会ったことは無いが結構売れている小説家らしい。
「晩御飯、何が良い?」
「肉パフェ」
「喜助に聞いたのが間違いだったよ」
無駄だった、と台所へ向かう栞。
大抵、この家の家事は栞によって行われる。
宗介さんの奥さん――――――――栞の母さんは既に亡くなっているからだ。
写真を見たことがなければ、栞や宗介さんから話を聞いたこともない。
「ぁ……ふあああ」
……なんか眠くなってきた、寝よ。
階段を上がり、二階の自室に入る。
俺の部屋はゲーム機やら漫画やら雑誌やら馬ヘッドやらが置いてある平凡な部屋。
カッターシャツのまま、ベットに飛び込む。眠りに落ちるまで、数分も必要としなかった。
******
目を覚ますと既に時刻は十時になっていた。
リビングへと向かうと、そこには栞が。
「晩飯まだ?」
「晩飯まだ? じゃないよっ」
「ああ、まだなの。じゃあ、もう一眠りしてくるわ」
「そんな訳無いでしょっ。もう十時だよっ」
「よーし、食うぞ」
「もう、時間も遅いからこれでも食べてなよ」
そう言って、バナナを一本差し出してきた。
「他になんか無えの?」
「家に帰ってきてから、ただ爆睡してた人はバナナ一本で十分だよっ」
「仕方ねえじゃん。眠いんだから」
「授業中、寝てたりしてるのに」
「今度からは気をつけてえなあ」
バナナを一本口に入れた後、オレンジジュースを飲む。
「おやすみ、喜助」
「おう」
栞は自室へと戻っていった。
さて、テレビでも見るとするか。
つまらないドラマやニュースを朧気に眺める――――――――なんてことはせず、こたつに潜り込む。
……なんか眠くなってきたなあ。部屋に戻んのめんどくさいし、こたつの中で寝るか。
あいつは、朝、俺を起しにくるから、俺の部屋に来る。まず、ベッドに俺がいないことに驚く。クローゼット、机の下、ベッドの下、本棚の裏、押入れの中、ヌイグルミの中、とかを探すだろう。そして、どこにもいないからパニックになる。その一方で、俺は惰眠を貪るわけだ。……完璧だな。
よーし、なら、寝るぞ。明日こそ栞打倒の日になるに違いない。