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天弦町

彼女はよく、影を落とす。

夕方、バスを降りて地下鉄へ乗る時、そっと影が彼女から離れていく。それを目で追える事もあれば、気付かない時もあった。

離れていった影は必ず朝には戻ってきていたし、彼女は何となく、それが大事だとは思わなかった。不思議な事もあるなあと、ぼんやり考える程度だった。

けれどある日、影が戻ってこなくなった。それはちょうど、母が死んで一ヶ月過ぎた朝だった。

友人達からはのんびり屋と評されるゆたかも、さすがに焦って考えた。何故、私の影は消えてしまったのだろうかと。

まず、一番最初に消えたと気付いたのは火葬場だった。焼けた骨が横たわっているのを眺めている最中だった。彼女の影は、立川ゆたか本体の動きを無視して、入り口から出ていった。それを見ながら彼女は、驚くよりも先に疑った。全部夢なのではないかと考えた。

しかし、何て事はない。それは現実だった。

朝、目覚めても母の気配はなかった。リビングに横たわっていたのは、今にも根を張りそうな絶望だけだった。

そして、最後に影がいなくなったのを見たのは、地下鉄の駅に続いている階段へ向かっている時だった。いつも騒がしいその通りの音が、一斉に鳴り止んだ。まるで、時が止まったようだった。人の足音も、話し声も、宣伝カーの音が割れた音楽も、何もかもが一瞬彼女の耳から消えた。驚いて振り向くと、その瞬間に音は戻ってきた。

勘違いか、と恥ずかしくなり目を伏せる。そして気付いた。

また、彼女の影は消えていた。

こんな馬鹿げた話を相談する相手は、一人もいなかった。

唯一の家族である父親は、母親の死にすっかり落ち込んで、どこへ行っても黙って俯いている事が多くなった。支えを失って今にも崩れ落ちそうになっている父に、自分の父でいてもらう以上の事を、ゆたかは望めなかった。

父親とゆたかに血の繋がりはなく、彼は母の再婚相手だ。もう何年も一緒に過ごし、父が自分を本当の娘だと思っている事も知っていた。それでも、どうしても言えなかった。

友人にも言えなかった。

言ったら次の日からどうなるのかは目に見えていた。

母親を亡くして不安定になってしまった子扱いされるだろう。事実、久しぶりに登校した日は、友人達は皆、何を言っていいか分からないという顔をしていた。

きっと、母の死がなければ言えただろう。真面目に取り合ってもらえたかどうかは謎だが、今よりずっと気分は楽だったに違いない。

そういう訳で、ゆたかはこの事を誰にも相談しなかった。だからこの事はゆたか以外知らない。そして気付かれる事もなく、何か支障が出る訳でもなく、日々が過ぎていった。




影が完全に消えたあの日から三週間、母が死んで一ヶ月と三週間が過ぎた。

あと一週間でカレンダーは十一月に変わる。街は黄色と黒のハロウィンにちなんだカラーで溢れ、ショーウィンドウの中ではマネキンが早くも冬用のコートを着てポーズをとっている。

地下鉄の階段へと向かいながら、ゆたかはそんな街の様子を眺めた。

十一月になれば、クリスマスの準備が始まる。黄色と黒は赤と緑に変わり、冬の澄んだ空気によく似合うイルミネーションが輝くようになる。クリスマスソングが頻繁にかかり、マネキンはおそらくクリスマスデート用の真っ白なワンピースを着るだろう。

それが過ぎたら、正月の準備に皆が慌てだす。

良かった。ゆたかは何となくそう思った。

目まぐるしい時の流れの中に、確かに彼女は自分がいる事を感じていた。影は相変わらず戻らないけれど、彼女自身が決していなくなったわけではないのだ。

ゆたかは風に吹かれて頬に貼りついた髪を払い、改札口へと続く地下鉄入り口の階段を足早に降りた。


「まもなく、一番線に電車が参ります。黄色い線まで、お下がり下さい」


改札口にICカードをタッチさせるとすぐ、アナウンスがホームに響いた。電車が右手からホームへ入り、甲高い音と共に止まった。仕事帰りの人達の後ろに着いてそれに乗り込み、ゆたかは三人掛けの優先席の前のつり革に捉まった。

発車した電車の窓は真っ黒に染まる。まるで鈍い鏡のように、それは彼女の姿を映し出した。

疲れた、ひどい顔。

学校へ一歩足を踏み入れると、ゆたかはすべての感傷を置き去りにして、「いつもののんびり屋のゆたか」を演じる。日に日に濃くなっていく空虚感には、そうしなければ対抗出来なかった。

無理やり笑えば頬が疲れる。口だけで笑えば見抜かれる。だから彼女は心から楽しもうとする。楽しくも無い日常に、血眼で落とし所を見つける。

「いつもののんびり屋のゆたか」でなくなれるのは、地下鉄で一人黙ってぼんやりしている時だけだった。

いくつか駅を過ぎ、乗客は乗り込んだ時の三分の一に減っていた。そして、次に止まった駅で、その車両に乗っているのはゆたかだけになった。ちょうど帰宅ラッシュの時間だと言うのに、何とも珍しい。

ゆたかは目の前の椅子に腰掛け、鞄を膝に置いてふう、と息を吐いた。

走り出した電車は、一定のリズムで揺れている。それに体を任せながら、ゆたかはぼんやりと吊り広告を見上げた。並んでいるのは、ゴシップ誌の文字と写真だらけの広告と、就職サイトの広告だった。

大物女優の恋のお相手・気になる企業の完全データ・離婚危機!・好印象の就活メイク・俳優Kの隠された裏の顔………。

眺めていた広告の文字がぼやけていく。強い眠気に襲われたゆたかは、広告から案内板へと視線を移す。彼女が降りる駅まで、あと五駅分あった。


「ちょっと、寝ちゃおう」


人がいないのをいい事にそう呟き、彼女は目を閉じた。


「次は、池下。次は、池下」


池下なら大丈夫。まだ全然大丈夫。

彼女は目を閉じながら頷いて、そのまま眠りに沈んでいった。



* * * * * *




母親の死因は事故だった。

追い越し禁止の道路で、時速三十キロ以下で徐行していた軽自動車を、痺れを切らして追い越した乗用車に横断歩道で跳ねられた。自宅まであと二分程の距離だった。

その日のその時、ゆたかは学校で化学の小テストを受けていた。母に付き合ってもらった暗記問題が何とか全て答えられたので、今日はお礼にコンビニで母の好きなエクレアを買って帰ろう、そう考えている最中だった。

連絡を受けたのは、その授業が終わってすぐの事だった。教室の窓際で、友人とテストの答え合わせをしている時に、血相を変えて駆け込んできた担任が、その事実を告げた。

車に乗せられて病院へ急いだが、母の心臓は既に止まってしまっていた。見たのは、声も無くはたはたと涙を落として無表情に泣いている父の姿だった。

父は自分を見上げて、何かを言おうと口を開いたが、結局何も言わずにそのまま閉じた。父の顔は真っ青で、唇は血でも塗ったように赤かった。

四方を白に囲まれた病院の廊下で、ゆたかもまた、何も言えずに立ち尽くした。

それからの事は、あまりよく覚えていない。衝撃と、強烈な悲しさが胸に押し寄せただけで、後は彼女は冷静だった。

母がもうこの世にいないという事実を実感したのは、それからしばらくしてからだ。

ぽかりと、母がいた場所が現実から抜け落ちた。母はテストの暗記を付き合ってくれたなあと、ふと考えた時、やっと涙が出た。もうその事実は積み重ねる事が出来ないまま、突如として終わりを迎えてしまった。

次はない。二度と来ない。

これが失うという事かと、ゆたかもまた、父のように無言で涙だけ落としながら思った。




ふと、頬が温かいのに気付いた。どこからか、陽の光が差し込んでいる。それが頬に降り注いで、じんわりと温めているようだ。

そこまで考えて、ゆたかは気付く。この方面へ向かう地下鉄は、地上へは出ない筈だ。

はっとして目を開けると、予想通り、向かいの窓から陽の光が真っ直ぐに差し込んでいる。オレンジ色に染まったそれは、彼女の頬だけでなく上半身すべてを照らしていた。

眩しさに思わず目を細めて、辺りをきょろきょろと見れば、眠る前と同様、車内には誰もいなかった。


「あれ」


電車はいつの間にか止まっている。見れば、ドアも開いている。

まずい、乗り過ごした。ゆたかは膝からずり落ちそうになっていた鞄を掴んで立ち上がり、走って電車を降りた。

降りてすぐ、電車のドアは空気を吐き出すような音と共に閉まり、そっと走り出す。

どきどきと跳ねる胸を押さえ、ゆたかは鞄を肩にかけ、スカートの後ろ側の皺を伸ばした。そして駅の名前を確かめるために、駅のホームで看板を探す。


「天弦町」


そんな駅、この地下鉄線にあっただろうか?

寝起きではっきりしない頭でそう考え、ゆたかは腑に落ちないまま、駅員を探した。だが、駅員はおろか、電車を待っている人もいない。ホームには、ゆたか以外の人間がいなかった。


「まじかー。またひとり……」


ぶつぶつと独り言を言い、ゆたかは続いて反対側のホームの電光掲示板を見た。

そこに、『名古屋方面』の文字を見つける。視線を右へ辿っていくと、そこに表示されていたのは、『五十三時二十八分』という時刻だった。


「五十三時二十八分?」


ゆたかの脳から眠気が一気に吹き飛んだ。


「ご、五十三時って、どういうこと」


慌ててこちらのホームの電光掲示板を見る。そこには、『本日の運行は終了致しました』の文字が光っていた。

明らかにその駅は、と言うよりもその状況はおかしかった。夕方に地下鉄の運行が終了するはずがない。


「とりあえず、駅員さんを探そう。改札にはきっと、いるよね」


一縷の望みをかけて、ゆたかは足を進めた。ホームの中央辺りで、右手側に下へと続く階段が見えた。階段の突き当たりは左右に分かれている。左は二番ホーム行き、右は改札口と矢印と共に表示されている。

左を見ると、更に地下へと階段が続いており、広い間隔で天井に付いている蛍光灯が、接触不良でチカチカと点滅していた。階段がどこまで続いているのか、先は全く見えない。右も同じく下へ続いているが、階段は十段程度ですぐ終わり、突き当たりの壁に矢印で『精算は精算機でお願いします』との文字がある。

ゆたかは左の階段から逃げるように右手の階段を降りた。すると、向かって左側に古びた精算機が置かれていた。そして、向かって真っ直ぐに改札機が二つある。本来ならそこに、駅員室があるはずだ。

だが、階段を下りた先には、精算機と改札機以外には、何も無かった。薄汚れた壁にはポスターもなければ、時刻表も、料金表も貼り出されていない。そして、やはりホーム同様人の気配すらない。

ゆたかの足首辺りから背中に掛けて、恐怖という名の寒気が走った。

おかしい。いや、無人駅で利用者がいないという状況だと思えば、おかしい事はないのだ。だが、無視出来ない程の違和感が、この状況を恐ろしいと思わせている。彼女を急かすように、ピーンポーン、と間延びした音が駅に何度も鳴る。

ここはどこだ。わたしは一体どこへ来てしまった。

こめかみ辺りから、冷や汗が伝った。


「すみません。誰かいませんか」


心の中に次々と生まれる不安を打ち消すように、ゆたかは声を上げた。高い少女の声に空気だけが反応して震えた。

答える声も音も無い。そこにある不自然な静寂に背後から見つめられている気がして、弾かれるようにゆたかはICカードを改札機にタッチした。改札のバーが開くと同時に、ゆたかは走り出した。

ここにいてはならないと、頭の内側から警鐘が聞こえた気がした。逃げなければ。

ゆたかはそのまま、壁を楕円にくり抜いたような形の出口から飛び出した。その直後に彼女の視界に飛び込んできたのは、立ち並ぶビルと、コンクリートの道路、それからそこに散らばる大量の風船だった。


「ふうせん……」


風に揺れているそれが、ゆたかの足に当たってぽよんと跳ねる。


「風船?」


足を止めて辺りを見渡す。

白いタイルが貼られている駅の敷地、五メートル程先には狭い歩道へと続く横断歩道、薄汚れたガードレールと立ち並ぶ居酒屋。その向こうに見える五階建て程のビル、誰の車も停められていない二十四時間の駐車場。

その景色は、人気がない事と地面に風船が転がっている事以外は、至って特別な所のない、よく見る風景だった。

何故、こんな所に風船が?

彼女の立っている方へと等間隔にころころと流れてくるそれらは、皆揃って白色だった。視界のあちこちで、ゴムが鈍く夕陽のオレンジを反射している。次々と足へぶつかってくるそれを避けながら、ゆたかは横断歩道へ向かって歩き出した。


「誰かいませんか」


彼女の口から、蚊の鳴くような声が漏れた。

自分が、どういう状況にいるのか、整理が追いつかないでいる。その胸は不安に軋み、頭はこれ以上ない程に乱れていた。

誰でもいい。とにかく誰か、誰かいないだろうか。

ずんずんと進み、横断歩道に足を踏み入れる。風船は最初見た時より、量を増している。

ふと、横断歩道の先に影が見えた。

はっとして顔を上げ、彼女は今度こそ、固まってしまった。


「……、なに」


それはまさしく、影だった。

白い風船の間に立つ人の形をした真っ黒な影。目も鼻も口もない、性別の判断もつかないそれは、彼女の方を向いて、確かに立っていた。何故か、彼女にはそれが分かった。あの影は間違いなく、今自分を見つめている。


『ソトミだ』


影の腕が、ゆたかに向けられた。


『ソトミがいる』


囁くような声が聞こえた直後、その影を中心に、いくつも影が現われた。

小さい影、もっと大きな影、人の形すらしていない影。様々な形の影は湧き出るように現われ、全員がゆたかを見ていた。

向けられる視線に、悲鳴すら出なかった。喉が、ぎゅっと熱くなった。胸の奥から何かが込み上げてくる。

これは、一体何?

本日何度目か分からない問いかけを、ゆたかは頭の中で繰り返した。

いつもと同じように電車に乗った。いつの間にか眠ってしまって、知らない駅に着いてしまった。そこには誰もいなかった。駅を出たら風船が地面に大量に転がっていて、たくさんの影が立ち上がってこちらを見ている。

もしかしたら、夢なんじゃないかと、彼女は恐怖に喘ぎながら思った。本当は自分はまだ電車の中で眠っているんじゃないかと。

鼓膜を叩くように、鼓動の音がすぐ傍で響いている。夢だと思おうとしても、足を震わす恐ろしさはちっとも消えなかった。


「おねえさん」


突然、高い声と共に、彼女の右の腰辺りに、何か温かいものが触れた。続いて、強張っていた右掌に、固い毛布のような感触。

反射的にそちらへ顔を向けると、そこには、クリーム色のアルパカがいた。

ゆたかの腰に触れたのは、アルパカの肩で、掌に触れたのは、首元のたっぷりした毛だった。頭はちょうど彼女の肩程と同じ高さにあり、そのすぐ下の大きな黒目が彼女をじっと見ていた。


「おねえさん、生きてる?」


アルパカの口が開いた。どういう仕組みかは分からないが、アルパカからその声が聞こえる。

死んだ覚えのないゆたかは、口を開けたまま頷いた。

アルパカは二、三度瞬きし、長い首を傾げる。


「じゃあ、こっち」


すい、とアルパカは彼女の前へと出る。ふかふかの毛に覆われた足で、白い風船を蹴飛ばして歩き出した。

あ、と思ってその先を見やると、いつの間にかあの影は姿を消していた。

すっかり竦んでしまった足は、地面に縫い付けられたかのように動かない。柔らかそうな体を揺らして横断歩道を渡りきってしまったアルパカは、ガードレールの向こうで立ち止まり振り返った。


「おねえさん?」


アルパカの声は、まるで幼い子供のようだった。先程の影の出現と共に聞こえた、ねっとりとした冷たい囁き声とは違い、感情が入っているのを感じる。

問いかける声は、自分に向かっている。人はいなかったけれど、アルパカがいた。

まだ十分異常な状況なのだが、彼女はそれにずいぶん安心してしまって、気付けばほろりと涙を流していた。

びっくりしたようにアルパカが首を仰け反らせ、横断歩道を走って戻ってくる。

ぐいと顔を近づけて、左右に顔を揺らし、アルパカは言った。


「大丈夫だよ。ぼくが近くにいるから、さっきのは出てこないし。こんなとこ来ちゃってびっくりしてるかもしれないけど、ぼくはおねえさんに何もしないから、安心して」


アルパカは、ここがどこだか知っている。彼女が迷い込んでしまった事も察している。

アルパカの心配そうな声に、ゆたかは何度も頷いた。未だ頭は混乱していたが、目の前の毛むくじゃらの動物の登場によって、彼女の心は幾分か落ち着きを取り戻していた。

ぐっと力を込めて、足を持ち上げるようにして一歩踏み出すと、アルパカは何も言わずに彼女の隣に寄り添い、同じように歩き出した。

ゆっくりと横断歩道を渡りきり、狭い歩道をアルパカの後に続いて進んだ。

灯りの付いていないコンビニ、シャッターの閉まった店、昔ながらの喫茶店、狭い路地。歩道に面したそれらを過ぎた所で、アルパカは立ち止まった。


「ここだよ」


それは、彼女も見慣れたドーナツのチェーン店だった。明るい配色の看板は、それまで過ぎてきた店とは違い、灯りが付いている。

アルパカは器用に頭と前足でそのドアを押し開けた。彼女はとっさに手でそのドアを支える。ありがとう、と言って、アルパカがドアの向こうへと入っていく。彼女も後に続いて、そこへ足を踏み入れた。

途端、ふわりとお菓子のにおいが彼女の鼻に届いた。バターとはちみつと、こんがりと焼けるにおい。

顔を上げると、目の前にはショーケースが並んでいた。バットに並んでいるたくさんの種類のドーナツは、看板のチェーン店の商品とは、どこか違っていた。

その隣にはレジカウンターがあり、店の奥にはこじんまりとしたイートインスペースがあった。そのスペースに置かれているのは椅子ではなくソファばかりだった。そのソファも、そしてその前に置かれている机も、色や形はバラバラで、一切統一感はない。

店と言うよりは、中古家具屋のような雰囲気がする。彼女はそう思った。


「おねえさん」


ショーケースの隣、商品を注文するレジカウンターの方で、アルパカが彼女に呼びかける。そちらに顔を向けると、カウンターの奥から身を乗り出すようにして、一人の青年が彼女を見ていた。

明るい茶色の短い髪、はっきりとした二重の大きな目、卵型の輪郭。女性的な顔立ちだが、その首にははっきりと男性である証拠の喉仏があり、カウンターに置かれた手は女性のそれより大きく骨ばっていた。

人だ。ゆたかはそう思った。やっと人に会えた。

彼女の体から力が抜け、肩にかけていた鞄が床に滑り落ちた。

青年はそれを目で追ってから、彼女の顔に視線を戻し、片方の眉を器用に下げて、息を漏らすように笑った。


「いらっしゃいませ、お疲れ様」



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