20.象牙色の薬
山小屋に入ると、普段から使われているらしい雰囲気があった。山道が近くにあるのかもしれない。唯一置かれている木でできた素っ気無い棚の上段に毛布と飲みかけの酒が、下段に籠と縄が置いてある。棚の脇には少量の薪が有るが、火種は無い。
「濡れたもの脱いで。毛布にくるまって。外で待ってるから用意ができたら声をかけて。」
私はティアにそういって出て行こうとしたが、彼女はすぐさま顔を横に振った。
「待って、アデルバート。あなたも早く体を乾かした方がいいわ。夏とはいえ風邪をひいてしまうわ。私は構わないから…そうね、背中あわせで着替えましょう。お互いに合図するまで、振り返らなければいいのよ。」
彼女の提案は衝撃だった。何の拷問だと尋ねたい。しかし、警戒心の欠片もないこの様子がそのまま私への信頼感かと思えば何も言えなかった。安心している彼女にわざわざ余計な事を言って警戒心を植えつける必要は無い。私は小さなため息をついてドアの前に立って服を脱ぎ始めた。雨の夜に誰が来るはずもないが、もし来た時にティアを隠す事が出来るだろう。服を脱ぎ始めると程なく背後でも衣擦れの音が聞こえた。私はそっと後ろを確認する。ティアは小屋の反対側の端で私に背を向けてマントを脱いでいた。彼女が向こうを向いている間に急いで服を脱いだ。肩の傷がどんな状態か分からないが、彼女に見せるわけにはいかない。不安がらせてもいけないし、責任を感じたりしたらかわいそうだ。肩を動かすと激痛が背中を走った。一応動かせたのだから、骨は折れていないと思うのだが、痛むのを無視して歩いてきたからか、痛みが更に増した気がする。服を脱ぐ為に動かすと呻き声が出そうになるので、奥歯を食いしばって耐える。全てを脱いでから脱いだ服で適当に体を拭くと、毛布に包まった。それが終わってもう一度背後を振り向いて、私の目は縫いとめられてしまった。ティアは一糸纏わぬ姿で体を拭いていた。闇に浮かぶ象牙色の肌に蜂蜜色の髪が張り付いている。いけないと思うのに、私の目は彼女の華奢な肩やスラリと伸びた足や小ぶりの尻や滑らかに括れた腰を舐めるように見つめてしまう。ティアがバサリと毛布をかぶって美しい身体が隠されてから、やっと私は我に返り慌てて彼女に背を向けた。
「できたわ。」
「私も終わった。」
そう声を掛け合って、ゆっくりと振り返ると、毛布をかぶっただけのティアと目が合う。毛布が隠さない白く細い首に目を奪われて居ると、ティアは場違いな笑い声をあげた。私の姿が可笑しいらしい。ドギマギと胸を高鳴らせているのは私だけらしい事に憮然としていると、彼女は軽い調子で謝って、私に近づいてきた。私の心臓は鼓動を早くする。そんな私を知ってか知らずか、ティアは私の手を取った。背中に走る痛みがなければ、冷静でいられたか怪しい。
「アデル…いえ、アデルバート様。ありがとうございました。」
彼女が私をアデルと呼んでいたことに、言い直されて初めて気づいた。その気安い親密さが心地いい。ティアは面と向かって丁寧に礼を言った。私が微笑を返すと、彼女はもう一度微笑みを見せてから、一瞬で真顔を作る。
「でも…これから先、無茶はなさらないでください。貴方が私を心配してくださるように、私もアデルバート様の無事を祈っているのです。」
そう真剣に言われてなんとも言えない喜びが沸いてくる。彼女は私の気持ちを煽るのが上手い。いつも、絶妙のタイミングで期待させるような事を言うのだ。きっとまた、肩透かしをくらうのだと分かっていても、学習しない私の心は彼女のくれる言葉に浮き立つ。浮き立った気持ちを誤魔化したくて私は彼女の言葉に応える事はしない。変わりに一つリクエストをする。
「…アデル。」
「はい?」
「アデルでいい。」
私の言葉にティアはにっこりと微笑んで頷いき、握っていた手をそそくさと離した。その様子が照れているように見えて、私はおやっと思う。ほんの少し甘やかな空気が2人の間に流れた気がした。
そのままお互い照れている訳にもいかず、私は濡れた服を絞るために外に出た。傷のある肩を出来るだけ動かさずに絞るのに少々手間がかかったが、なんとかなった。ついでに雨にぬれた服で少しだけ肩を冷やす。冷やすと痛みが薄れる気がした。私が中に戻ると、ティアは小屋の中に縄を張っていた。彼女の状況判断の的確さに舌を巻く。私の持ち帰った服をそこに干していく。その慣れた手つきに思わず、
「手馴れているんだな。」
と声が漏れてしまった。ティアはフフフと笑った。私はティアが服を干している間に、籠を使ってぬれた靴を干した。大した違いは無いかもしれないが、その辺に転がしておくよりは乾きが早いかもしれない。
一通りの始末をすると、私達が歩き回って濡れてしまった床を避けて、比較的乾いた所に2人で座った。私が酒のビンを持って座るとティアは不思議そうに覗き込んでくる。
「それは?」
「酒だ。そこの棚に置いてあった。」
そういいながら、私は瓶に口をつけた。度数の強い酒が喉を焼いて降りていく。あまり飲まない方がいいかもしれないとも思うが、肩の痛みを酒でごまかせないかと期待した。呆れたような様子のティアに酒を勧めると、彼女は案外素直にそれを受け取った。
「いただきます。」
そういって瓶に口をつける。勧めてみたはいいものの、度数が高い酒が口に合うのかと心配する私をよそに、彼女はむせる事も無く割と美味そうに飲み込んだ。飲み込む瞬間キュっと眉を寄せる表情がなんとも色っぽく見えて慌てて視線を外す。そんな私をよそに、彼女は2人の間にハンカチを広げた。そこにはたくさんの木の実があった。
「これ、食べれるのよ。嫌でなければどうぞ。」
そういってから彼女はその中のオレンジ色の木の実を摘まんで口に放り込んだ。先ほど摘んでいたのはこれだったのかと合点がいく。私は彼女を真似て一つ口に入れてみる。私の食べた赤い木の実は甘酸っぱい味がした。果汁が多いものらしく、瑞々しい。
「うまいな。」
そういうとティアはやんわり微笑んだ。酸味が強いもの、甘味が強いもの、少し渋みがあるもの、いろんな木の実を食べながら二人で交互に酒を飲んだ。腹の足しにはならないけれど、口寂しさを紛らわすには良い慰めになった。ポツリポツリと会話をする。今日はいつもと違いティアが饒舌で私が聞き役だった。彼女の幼き日の思い出話は何とも温かでユーモアに満ちていた。穏やかな時間のおかげか、酒に酔ったからか、肩の痛みは次第に気にならなくなってきた。痛みはあるのだけれど、痛みに振り回されたり気をとられたりする事は無い…不思議な感覚だった。
外は完全に日が落ちたらしく、室内は真っ暗だ。ただ、ティアの真っ白な肌と金色の髪は闇のなかでも浮き上がってみえる。小さな顔を支える首筋や、毛布の裾から時折覗く細い足首や、果物を摘む為に伸びるしなやかな腕が闇のなかでも目を引いた。ティアが動くたびに揺れる髪はゆったりと肌を隠そうとするが、隠し切れていない。その中途半端さが無性に私の心を波立たせる。それを誤魔化す為に酒をあおっていると、いつの間にか一瓶空けてしまった。酔いからか身体がぼんやり熱い。そんな私とは裏腹にティアは自分の腕を擦ってはフルフルと震えるている。私が様子をうかがうと、うっすらと笑って大丈夫だというのだけれど、無駄な肉どころか必要な肉も無さそうな体つきの彼女はもしかしたら私よりも寒さが堪えるのかもしれない。しばらく様子を窺うが、ティアの震えは治まらない。このままでは身体に障るかもしれないと思って、私は意を決して彼女を抱き込んだ。
「アデル?」
「私も、寒くてね。」
少し慌てる彼女を無視して毛布ごとすっぽりと抱き締める。寒さを理由にするとティアは納得したのかじっとしている。彼女は毛布越しにも分かるくらい冷えている。出来るだけ自分の体温を伝えられる様にしっかりと抱き込む。
「少し、マシだと思わないか?」
「…えぇ、そうね。」
そう尋ねると、彼女も頷いた。私は密かにホッとする。毛布一枚越しにティアを抱き締めていても、思っていたより冷静でいられた。肩の怪我が痛むせいか、酒のせいか、状況のせいか、何だかよく分からないが、あまり現実味が無い。ティアも強ばっていたのは最初だけで、次第に身を預けてくる様になった。ほどなくして、身の置場が定まったのかティアは身動ぎをしなくなった。私の目の前では金色の髪がぼんやりと光っていた。私は思わずその髪にそっと顔を寄せた。ティアからはいつもの青葉の匂いがする。
ふとティアとはじめて会った夜会を思い出す。全ての始まりはこの青葉の香だった。そして一瞬で私の心を奪ったのは蜂蜜色の髪だった。私は彼女に何の印象も与えられなかったけれど、彼女は私に衝撃を与えたのだ。
「君の髪は、闇の中でも明るいな。」
「何を唐突に?」
戸惑うティアに構わず一方的に話を進めた。思い出して欲しくなったのだ、あの日の私達の出会いを。
「君と初めて出会った時も、この髪に見惚れたんだ。」
「初めて?」
「そう。君はまだ15歳だった。」
「15歳?」
「あぁ、君のはじめての夜会だと記憶している。」
戸惑うティアと問答のようなやりとりをする。私を覚えて居ないかと聞こうとした時、ティアがやっぱりと呟いた。
「やっぱり?」
「あなた、レインフォード子爵ね。」
ティアの言葉に、私は満足感に満たされる。
「気づいていたのか?」
「初めて屋敷であなたを見た時は分からなかった。でも、思い出したのよ。緑色の冷たく見える目をした男性だった。」
からかうようにそう言って、振り返ったティアはいたずらっ子のような表情をしている。そこにいつもの遠慮は無い。この旅は知らぬうちに私たちの距離を近づけてくれたのかもしれない。
「ひどいな。」
私は大げさに落ち込んだような素振りをする。ティアはつんと澄まして、
「冷たく見えるのは知っているでしょう?」
と追撃してくる。私は苦笑を返すしかない。しかし次の瞬間、ティアは私の頬にそっと手を置いた。
「でも、本当は冷たい人ではないと、私は知ることができた。」
「ティア。」
私は彼女の言動にひどく感動した。彼女は得意気に笑うと、私をみつめて続きをねだった。
「続き?」
「髪に見惚れて声をかけたら15歳の女の子だったんでしょう?当時20歳を超えていたあなたが相手にするとは思えないけれど…まさか、そういう趣味が?」
「いい加減にしないと怒るよ?」
尚も私をからかおうとする彼女に不機嫌な振りをして仕返しをする。目を細めて見つめると小さく肩をすくめて謝った。
「…ごめんなさい。」
しかし口元は微笑みをたたえていて、私が本気でないことは十分にばれている。そしてこちらを見つめる瞳で、好奇心をもって続きを催促していた。私は彼女のおねだりに逆らえない。ぽつりぽつりと出会いの瞬間から今までの事を話し出す。一目惚れだった事を当時は私自身なかなか認められなかったのだが、こうして口に出して話してみると、何を抗おうとしていたのだろうと呆れてしまう。出会った瞬間から、私はティアを特別な感情を持って見てきたのだ。ティアは時々小さな相槌をうちながら、何も言わずに私の話を聞いている。いよいよ、カナンの事を話してしまおうかと思った時、ふと気づくとティアはうつらうつらと船を漕いでいた。
「ティア?寝たの?」
私の問いかけにティアは返事もできないようで、代わりに私の胸に額をこすりつけるようにして顔をうずめた。私はその緩慢な動きをほほえましい思いで見守る。
「仕方ないな…これからが良い所なのに。私が君を手に入れる為に何をしたか知りたくないの?」
からかうような口調で呟くと、ティアはぎゅっと擦り寄ってくる。それがまた今度と言っているように感じて、思わず微笑んだ。
「おやすみ」
宥めるようにそういって、彼女を抱えなおすと、小さな額に触れるだけのキスを落とす。このくらいなら彼女も許してくれるだろう。そう思っていると、ティアが胸に埋めていた顔を上げた。目は閉じられたままで、顎を上げる。なんだかキスを強請っているみたいだとからかおうと思って、言葉を紡ぐ前に私は彼女の唇に唇を重ねていた。自分の行動に慌てるけれど、触れ合うだけのキスの後にはティアは既に寝息を立てていた。
「人の気も知らないで…。」
私はそう呟くと長い夜を思ってため息をつく。けれど、と思う。けれど、腕の中のぬくもりにキスの許しは貰ったのだ。朝を迎える迄に、触れるだけのキスを降らして象牙色の肌を埋めつくしてしまおう。そのくらいの楽しみがあっても良いじゃないかと自分に言い聞かせる。その楽しみはきっとズキズキと存在を主張する傷を無かった事にしてくれる。とても有効な薬に違いないから。
アデルさんこうして見るとかなり色んな我慢してるんですね。
既に熱で朦朧としているんですが、本人もティアも気づいてません。
かなり痛いはずなのに、ティアと触れ合う喜びが勝つんですから、彼も相当惚れこんでますね(笑)……都合よくってすいません。




