17.茜色の日常
ぶつくさと文句を言いながらダンテスは見事な手腕で視察の準備を整えた。視察先への連絡から宿の手配、護衛隊の編成に、積み荷の準備…短い期間でよくやってくれたと思う。ただの執事にしておくには勿体ない身のこなしをしていると思った事があったけれど、なるほど、ただの陰者にしておくのも勿体ない人材なのだと確信した。
一番難航したのは連れていく侍女の選定だ。私はてっきりカナンが来るだろうと思っていたのだが、ティアが休暇を取らせたいと言ったのだ。確かにカナンには長く休暇をやっていない。彼女は今も私の指令を忠実に守って、侍女の振りをしながらティアの護衛をしてくれている。なんとなくだが、私の指令という以上に、カナンがティアを気に入っていてあまり離れたがらない様な印象だ。侯爵家に来てからほとんどはじめての遠出なのだから、カナンとしたら何が何でもついていきたかっただろうが、ティアは休暇をとるように頑として譲らなかった。どう説得されたのか、カナンは視察と同じ日程で休暇をとることを了承した。カナンが同行しないことになって、ダンテスはアグリを同行侍女に指定した。幼い頃から奉公に来ていて私の遊び相手も勤めていたアグリであれば、他の侍女より私の暴走を止められるだろうという考えが透けて見える。あまりの信用の無さに腹立たしくもあるが、それまでの自分の自制の効かなさを思えば仕方ないとも思えた。
私だけであれば、片手で足りる護衛をティアの為に3倍にして、いつもよりも大所帯な視察団はのんびりと旅を開始した。視察が決まってから練習をしたらしいが、ティアは元から乗馬の心得があったようで、安定した走りを見せている。最初はティアの為にとゆっくり人が歩くような早さで進んでいたのだが、半日もせずにティアがもう少し早くしたらいいのにと言い出した。
「もう、じれったくて。ゆっくり過ぎては馬もかわいそうです。」
そう言われて恐る恐るスピードを上げてみたが、ティアは余裕を持ってついて来た。
「乗馬が、上手いんだね。」
並んで走りながらそういうと、彼女は照れたように笑った。
「小さい頃にみっちりと、父が教えてくれたんです。」
馬での遠出は久しぶりだと青空と若葉の下で気持ち良さそうに目を細める様子を見て、連れてきて良かったと心から思った。
1日彼女の様子を見て、予定していた以外にも寄る場所をいくつか増やすことにした。ダンテスが厳選して組んだ予定だけでは10日どころか1週間もかからず屋敷に戻る事になりそうだった。私の知る貴族のご令嬢達ならば、喜びそうも無い場所ばかりの旅だが、ティアは屋敷に居るときよりも生き生きして見えた。街道整備の現場では作業員に茶を振る舞い、孤児院では孤児達と一緒になって走り回り、農村で頑固者の年寄りから辛辣な言葉を言われても困ったように笑い飛ばし、ある町で婦人方に囲まれては私にも内緒の話で盛り上がり、兵士の宿舎に泊まった時などアグリが止めるのも聞かずに厨房で配膳を手伝っていた。彼女がそんな風にするから、護衛たちも自然と人々の些細な仕事を手伝うようになり、いつもより視察団と領民との距離が近くなった。私に対しても取り繕った雰囲気は無く、率直な意見や、現場の生の声を拾うことができた。領主になって初めて、領民の普段通りの生活に近いものを見ることが出来たような気がする。別に特段愛想が良い訳でもない、極めて温和な雰囲気があるわけでもない、ティアが自然体でいるだけで…いや、あまりにも自然に領民と関わるからこそ、いつもの視察では見れない物を見せてもらえたのかもしれない。飄々とした雰囲気ながらも、なぜかすんなりと土地の人達に馴染んでしまうティアを私はとても誇らしく思う。侯爵家に成ったとはとは言え、結局は辺境の領主なのだ。格式ばった見栄の張り合いを王都で繰り広げるつもりは無いし、必要も無い。そんな我が家だからこそ、ティアのような女性が来てくれて良かったのだと思う。最初から彼女の内面を良く知っていたわけでは無いが、強く惹かれたのは、何かしら感じていたからかもしれない。外見からは想像もできない、逞しさとか、こだわりの無さとか…。思っていた以上にお転婆な所は少し心配ではあるが、それもきっと彼女の良さと紙一重なのだ。家の中で帰りを待つだけの存在であるべきなどとは思わない。
そこまで考えて、あぁそうかと納得する。私は私と並び立ってくれる女性が欲しかったのだ。兄亡き後、いや成人して家を出てから、ずっと一人で全てを決断してきた。それがあまり性に合わないのだ。認めまいともがいてきたが、認めてしまえばなんてことは無かった。私も多くの貴族男性とは少し違う考え方を身につけてしまっているらしい。妻に…ティアに、共に考えて欲しいのだ。領主としてどうあるべきか、領地と領民をどう導くべきか。だから、彼女に並び立ってもらうためにも、私達は対等の立場で無いといけないのだ。私の思いのままに彼女を組み敷いたりしなくて良かったと思う。ダンテスはこんな事まで考えて、私に3ヶ月待てといったのだろうか。少なくとも3ヶ月共に暮らせば私は彼女の存在の重要性に気づくだろうし、ティアの方でも覚悟が決まるかある種の情がわくかもしれないと。だとしたら、我が家の執事は優秀すぎる。しかし、簡単に彼女の寝室に行けるような旅先に居るタイミングでこんな事に気づいてしまうとは…良いのか悪いのか…。結局はっきりした事は、私はまだまだ彼女に手は出せないということだ。私はできれば彼女に私を受け入れてもらいたいのだ。侯爵夫人としての義務感ではなくて、一人の女性として私を選んでもらいたい。…道のりは長い。
「アデルバード様?」
物思いにふけっていたらティアがこちらを見て不思議そうな顔をしていた。いけない、いけない。今夜はこの旅初めての野宿だった。ここは領地中央よりやや南に有る比較的険しい山の中で、日程上どうしても避けられず野宿となった。野宿と聞いて、眉間に皺を寄せるアグリをよそにティアは小さく歓声を上げていた。今もアグリと共に、夕食になるスープの下ごしらえをしている。腰に大判のスカーフをエプロンのように結んでいる姿が可愛い。
「奥様、ですからお手伝いは不要にございます。」
「いいじゃない。別に誰が見ている訳でないのだから。」
「アデル様も止めてください。」
「いいじゃないか。たまにはこういうのも。ほら、豆の筋取りが終わったぞ。」
「じゃあ、次はジャガイモの皮をむきましょうか。」
「アデル様っ!!奥様!」
私とティアとアグリのやり取りを見ながら、護衛の中で食事係となった者達は極力関わらないように息を潜めていた。アグリの怒りのとばっちりを受けてはたまらないのだろう。彼女はニーナの後釜と目されていて、屋敷の中では結構な権力者だ。テントを張ったり、薪を集めたりしているもの達はその様子を遠巻きに見ながら、小さく笑っている。私は戦争中や、視察中に兵士達に混じって食事の準備や細々とした作業もやる事が多いので慣れているのだが、屋敷に居る事の多いアグリは主は黙ってじっとふんぞり返っていろとでも言いたそうだ。こんな場所でじっとしている方が苦痛だろうと思うのだが。ティアは慣れた手つきで料理をしていた。ナイフ捌きもなかなかのもので、手に傷でも作ったらとハラハラしているアグリをよそに次々と具材を一口大に切っていく。
「奥様はお料理された事があるんですか?」
小さくなっていた護衛の一人がその手つきを見て不思議そうに言う。確かに、料理の上手い貴族の令嬢なんて見たこと無いだろう。庶民では料理の上手い女性はもてはやされるが、貴族の中では料理など下々の仕事だとされている。料理された物を食べて生き、腕のいいシェフを囲う事がステータスとなりながら、料理という行為自体は見下す…貴族の社会ではそういう矛盾がたくさんあった。しかし、余計な事を口にする護衛を私とアグリが睨みつける。尋ねた護衛は2人の出す怒りの視線にビクリと肩を震わせた。
「あるのよ。変わった家でね。お料理もさせてもらえたのよ。」
しかし、ティアはのんびりした口調でそう言って護衛に向かって微笑んだ。私は視線をティアに向ける。
「得意料理はミートパイとね、バナナと蜂蜜のケーキよ。」
「へ、へぇ~。食べてみたいです。」
「そう?じゃあ、今度作ろうかしら。」
護衛の調子に乗った言葉を受けて、ティアは私に目を向ける。言葉は無いが許可を求めている事は明白だった。
「いけませんっ!今日は特別なのです。屋敷で料理など…」
目を吊り上げてそういうアグリはニーナに良く似ているなぁと思いつつ、私はティアの手料理を想像する。うん、悪くない。
「私にも食べさせてくれるのであれば、かまわないよ。」
「アデル様!」
「まぁ、アデルバート様もお召し上がりになりますの?まかない料理みたいなものですのよ?」
私の返事に、アグリはほとんど怒鳴るように声をあげ、ティアは目を丸くして驚いた。妻の手料理を他の男に振舞って、夫が食べない道理は無い。
「もちろん。私に食べさせてくれないのなら、作ってはいけません。」
「…わかりました。」
ティアは少し恥ずかしそうに頷くと、護衛に向き直って許可が下りたからきっとそのうち作ってあげると約束していた。喜ぶ護衛と、怒るアグリと、だんだんと良い匂いになってくる鍋と、柔らかな風に揺れる木々と、ゆっくりと沈む夕日と…私の目には愛すべきものばかりが映っている。今は旅の途中で日常とは言えないのだけれど、目の前の光景に私はどうしても日常という言葉を当てはめたかった。ようやく守りたいものがみえた自分を幸せに思う。




