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12.青紫色の睡魔

仕事から帰ると、屋敷はシンと静まりかえっていた。日が落ちてからかなりの時間がたっている。使用人も大半が寝静まっているのだろう。もちろんティアも先に休んでいるはずだ。私を出迎えるのはダンテスだけ。コツコツと言う規則正しい足音がやけに響いて聞こえる。

ティアがやってきてからこちら、私は相変わらず忙しい日々を送っていた。戦後処理が終わって落ち着きつつある領地は、それまで停滞していた通常業務を処理しようと、あっちでもこっちでもてんやわんやだ。更に北の国との交易が開始され、ラファエル領はその中継地としての機能を求められている。鼻の利く商人などの往来は既に盛んでそれらを捌きながら、王都までの街道整備に途中の休憩所や宿場の建設にと人手がいくらあっても足りない。週に数回夕食を共にする時間をとる為に、その他の日はこんな時間の帰宅となる。廊下を歩きながら今日の申し送りを聞く。誰に聞かれても困らないような他愛ない話はこうして部屋につくまでに終わらせてしまうのだ。

「こちらはお目通しいただきたい郵便物にございます。」

部屋に入るとダンテスは持っていた書類を机の上に置いた。

「わかった。急ぎのものは無いな。先に湯浴みをしたい。」

「はい。浴室に用意がございます。」

「あぁ。他に何も無いのなら、もう休むといい。」

「承知いたしました。お休みなさいませ。」

ダンテスの退室を見届けることなく、すぐに浴室に向かうと私は自分で体を清める。疲れていて少しでも長く眠りたいと思うから、最近はカラスもびっくりの短い時間で湯浴みをすませている。夜着をはおり、ぬれた髪を拭きながら居間に戻ると、用意されていた果実水を飲みながら郵便物に目を通す。近隣の領地からの茶会やパーティーの招待状が数枚。仕事が詰まっていて時間が無い今は、社交の場などあまり出たくは無いけれど、人付き合いは重要だ。良い関係を築いておくと、回りまわって領地経営も楽になる…はずだ。日程や場所、内容はもちろん家柄や人柄、土地柄などを吟味し参加するものを決める。取捨選択しはじめてから、その中に見慣れぬ家紋を見つけた。見慣れないけれど一目でどこのものかは分かった。クランドール伯爵家の家紋だ。中を見るとティアの弟の誕生日パーティーの招待状だった。共に手紙も入っている。今年は10歳になる記念の年で大々的にやるらしい。これはティアも誘って行かなければと思う。


私があまりに忙しく見えるのか、ティアは結婚披露パーティーを興味がないから必要ないと断った。結婚式も近くの教会で親族さえ呼ばずに済ませてしまった。それでいいと彼女が言ったのだが、やはり家族くらいは呼ぶべきだったと後悔している。母の事も紹介する機会がなくズルズルと言えないままだ。そんなこんなで、下賜されてこの方、まだ家族に会わせてあげられていないのだ。急に後宮に入ってそれから5年も会えなかったのだ…積もる話もあるだろうに。

全ての招待状へ出欠の返事を書いてから、寝室に向かう。最近私の寝室には香が焚かれていてやわらかく甘い匂いが疲れを癒してくれる。なんといったか…青紫色の花の香りだ。あの日以来あのドアには近づいていない。忙しくて疲れているせいか異様に眠いのだ。居間ではそうでもないのだが、寝室に入るとベッドまでたどり着くのがやっとというくらい急に眠くなる。今日も私は今にもひっつきそうなまぶたをこすりながら、必死にベッドに倒れこむ。


ティアの寝室で暴走した次の朝。眠れなかった私の顔を見てダンテスは隠しもせずに大きなため息をついた。そして、どうか自制下さいませとめずらしく強い口調で言った。たった3ヶ月が我慢できないばっかりに、要らぬ諍いに巻き込まれてはなりませぬと。そんなことは十分にわかっている。わかっているけれどならばどうして鍵をかけ忘れたのかと聞くと彼は珍しく驚いた顔をしてなにやら侍女に確認をとった。

結局、ティアが鍵をかけないように指示したらしいという事が分かった。

「理由も無く旦那様を締め出すような事はしない方がいいと思うの。」

鍵を閉めようとした侍女に彼女はそう言ったらしい。貴族の家に嫁いで来た身としては正しい判断だし、責任感から出たのだろうその言葉は彼女らしいが、私は笑えない冗談を聞かされた気分になる。簡単に言うと「嘘だろう…」と頭を抱えたくなった。つまり3ヶ月の間、彼女と私を隔てるのは簡単に開くドアと私の理性だけということだ。正直、私の理性もあの金色の鍵と同じくらい役立たずなのだ。それなら3ヶ月の間、部屋を変えてくれてもいいだろうと言うとダンテスはそれまでの勢いをなくして同情のまなざしをよこし、「ニーナが…」といいかけて言葉を濁した。ニーナが家のしきたりだの慣習だのといってこだわる所は私やダンテスが何を言っても覆らない。そういう意味ではこの屋敷ではニーナが一番強い。男達は私も含めて彼女に頭が上がらない。そしてニーナには男の習性や性分なんか理解できないのだ。結局、寝室を変えることも出来なかった。

忙しい忙しいと愚痴ってはいるが、その忙しさのおかげで有る意味救われているのかもしれない。少なくとも、あの日以降、あのドアに近づく事もできないのだから。


翌朝、ティアに家族と会える事を伝えるよう、ダンテスに命じてから屋敷を出た。そして同じように夜中に帰るとダンテスが困った顔をして出迎えた。なんでも、義弟のパーティーに行く事をティアが渋ったらしい。

「会いたく無いと言ったのか?」

「はい。どうしても必要なら行くが、出来れば欠席したいとのことでした。」

私室でダンテスが話した内容に私も困ってしまう。喜んでくれると思ってたんだが…。

「返事は?」

「まだ送っておりません。」

「そうか、それなら欠席と書き直す。」

「はい。承知しました。」

ティアが行きたく無いのなら無理に行く必要はない。私もその分仕事が出来る。

「それにしても、どうして会いたく無いなどと…」

「弟君とはあまり接点が無いからとしか仰いませんでした。」

「私に遠慮したのだろうか?」

「いえ、そのようなご様子ではございませんでした。」

私とダンテスは共に小さく首を捻った。ティアに直接聞いてみればいいのだが、いかんせん今はもう夜中だ。

「明日、夕食時に間に合えば、尋ねてみることにする。ご苦労だった。」

「いえ、申し訳ございませんでした。」

何もダンテスが謝る事はないのだが、真面目な執事は深々と腰を折ってから部屋を辞した。


翌日の夕食時にティアに直接訳を尋ねても納得のいく答えは返ってこなかった。

「どうして行かなくていいんだい?」

「特に必要を感じませんので。」

「家族に会いたいとは思わないの?」

「はい。」

「どうして?」

「会って何をするのか全く思い浮かばないので。」

そう笑顔で即答されて私はそれ以上突っ込む事ができなかった。彼女は質問に簡潔に答えてくれるのだけれど、簡潔すぎて何を意図しているのかが分かりにくい。もしかしたらワザとそのような答え方をしているのかもしれない。私に遠慮をして行かないと言っているという訳でもなさそうだ。家族仲が悪いなんていう話は聞いて居ないのだが。

そういえば、初めて会った時も父上とティアのやり取りに違和感を覚えた事を思い出す。その後の出来事が衝撃的で、すっかり忘れてしまっていた。カナンを呼び出して実家との関わりについて聞いてみる。この屋敷の中でティアとの距離が一番近いのは今はまだカナンだ。カナンにも情報と言える程のものは無く、分かったことは時折父上と手紙のやり取りをしたくらいで、この5年間、実家との関わりと言えるものはそれ以外に無い。少し彼女の家族関係を探ってみるか…私は王都で暇している陰者に指令を送ることにした。



「どうしたものか…。」

「あれを使いますか…?」

「あれか…仕方あるまい。用量には気をつけるんだぞ。」

執事の憂いを帯びた声に黒髪の侍女は深く頷いた。奥様が屋敷に入られた最初の晩、予定が狂って主様と奥様の寝室を隔てる鍵をかけることができなかった。最初の晩から先触れも出さずに寝室を行き来することはないだろうととりあえずその晩はそのままにすることにした。けれど、それが甘い認識だった事は翌朝の主様を見れば一目で分かる事だった。今更寝室を離す事は出来ない。鍵もかけられない。主様の理性を頼りにするのはいささか不安が残る。かといって、主様と奥様には寝室を分けてもらわねばならない。それはラファエル家に仕える者として譲れない。主様とその家族を要らぬ諍いに巻き込ませない為の必須項目だ。


そこで、執事は陰の技術を使うことを決めた。昔から陰者の里に伝わる秘伝の睡眠導入剤。ある果実水を飲み、特別な薬剤を練りこんだ香を嗅ぐととたんに睡魔に襲われる。バラバラに使うと全く効果が無いのだが、共に使うと睡眠薬もびっくりの効果を表す。香りは寝室に似合いのラベンダー。ハニートラップを仕掛ける女陰者が情報を得つつ、体までは許さない為にもしくは無事に逃げるために使われることが多かった。この秘薬を主様に使う時がこようとは。

「仕方の無いことだ。」

執事は眉間の皺を一撫でして呟いた。体に害が無い様に細心の注意を払って使用すれば、逆に忙しい主様は深い眠りで疲れが取れるだろうと思われた。それでも主様に対して秘薬を使う罪が軽くなるとは言えないが。しかし、3ヶ月だ。3ヶ月なんとか主様の気持ちを宥めることができれば、あとは好きに寝室に篭ってもらっていい。あるいは…時が流れるうちに、一方通行に見える主様の気持ちに奥様も応える気になるかもしれない。そうなれば、秘薬を使った罪滅ぼしが出来たといえるのに。執事は何もかも上手くいくそんな未来を想像し、楽天的な自分を自嘲した。



*****

っということで、アデル薬盛られてますよ!(笑)

秘薬なんで、副作用とかは無いです。

あっという間に眠れる薬です。深く眠れるので翌朝スッキリです。(←都合がいい。)

そんなもんがあるなら、私も欲しい。

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[気になる点] ダンテスは、家令と以前名乗っててここでは執事ですが、人物紹介では、ダンテスは見かけず、ヨルダンが執事でした。その後ダンテスが家令であると名乗っているのを見つけて感想は削除したのですが、…
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