閑話:主様の奥様②
トイ(初登場の料理人)→アグリと*で視点変わります。
今日の厨房は朝から戦場のようです。いつもはアデルバート様お一人分しか作らないのに、今日は新しい奥様と奥様の護衛を勤めて下さった騎士様の分も作るのです。しかも、人数が多い割りに、長旅をされてきた奥様達にゆっくりとお召し上がり頂く為、着席形式のコース料理を用意します。コックの立場で言いますと、立食形式に比べると着席形式の方が大変です。料理人の腕がよりはっきりと出るのですから。
食事のタイミングを見ながら温かい物は温かく、冷たい物は冷たくお出しする…というのはもちろん、多様な器や盛り付けの美しさで目でも楽しんでいたくよう工夫をする必要もあります。味付けも食べる順番や食べあわせを考えて微妙な調整が必要でしょう。さらに、1ヶ月程前から練りに練った献立も食材の状態や仕入れ状況によって微妙に修正が必要なのです。いつもは優しい料理長も今日は大きな声で檄を飛ばしています。
「こら、トイ。ぼさっとすんな。」
先輩に怒られてしまいました。すいません。いろいろと勿体つけて話しましたが、僕はまだ下働きの身でした。今、先輩と一緒に厨房の隅で下ごしらえをしています。慌てて手元に視線を戻します。
じゃがいもの皮剥きなんて、ぼーっとしてても真剣にやっても余り早さは変わりません。これが終われば次はマメの殻剥きです。その次は今日使う大量の食器を磨かなくてはなりません。そうしたら、飲み物を冷やす為の氷を砕いて、卵を割って、オーブンに火を入れて、サラダ用の葉野菜をちぎり、メレンゲを作ります。そこまでできたら、魚を捌きます。お客様に出す晩餐の魚を捌くのは初めてです。今日の為にずっと練習してきたのです。まかないに魚料理が多くなって先輩から肉を食わせろと文句を言われても、負けずに魚を捌く練習をし続けました。なので、それが今日の僕の一大イベントです。その後はどんどん汚れる調理器具を洗い続ける予定です。先輩方に指示されてミントをちぎったり、食器を並べたり、釜戸の火の番をしたりもするかもしれません。長い1日を思って皮剥きくらいぼーっとしたくなるのが人情ってもんだと思いませんか。
唐突に大きな手が僕の頭をガシッと掴みました。顔を上げると料理長でした。
「皮剥きで愛情を込められない奴はいつまでたっても2流だぞ。」
そう言うとニッコリと微笑んで厨房の中心に戻って行きました。僕の目の前にはどっさりと人参が乗ったたらいが増えています。僕は皮剥きを再開します。今日来られる奥様が僕の剥いたじゃがいもで作ったポタージュを飲んでにっこりと笑って下さるのを想像しながら。まだ顔も知らない奥様の想像をするのは少し難しいのですけれど。
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晩餐の支度を始める時間になり奥様の部屋を訪れると奥様はゆったりとソファに座ってらっしゃいました。長く主の居なかった夫人専用の部屋も新しい主を迎えて何だか生き生きとしています。新しく作り替えられた為…というよりは、空気が人一人分の体温で常時温められる為でしょうか。その僅かな温もりで部屋は息を吹き返すのです。
私達と入れ替わりで後宮から連れて来た侍女-カナンと言ったでしょうか-が部屋を辞すると、奥様は少し不安そうに身動ぎされました。気付かない振りをして浴室にお連れし入浴のお手伝いをします。これからは私達にも慣れて頂かなくてはなりません。アデル様が侯爵と成られた今、奥様は侯爵夫人としての装いが必要です。侍女一人だけでは間に合いわないことも有りますから。
ミルクを混ぜバラを浮かべたお風呂からは優しく甘い香が漂っています。晩餐会の前ですので、控えめな香に調節しています。奥様は初めてみた時から線の細い方だと思いましたが、お召し物を脱がれると更に華奢な体つきに見えます。触れてみると意外に筋肉質なのですが、幾分肉付きが薄いのです。もう少し丸みを帯びて頂いた方がいいかもしれません。しなやかな手足も滑らかな首筋も美しいのですが、一番目を引くのはその美しい御髪です。薄暗い浴室の中でも光を集めて金色に輝きます。オレンジがかった金髪は湯を含むと色を濃くしてより存在感を増すようです。丁寧に洗って香油に浸すとつるりと指をすり抜ける滑らかさに丁寧にケアされてきた事が伺えます。カナンはとてもすばらしい腕の持ち主のようですね。
後宮の姫であったのに、奥様は侍女にかしずかれるのに慣れてらっしゃらない様子でした。貴族のお嬢様といえば、使用人などその辺の石ころと同じ…といった雰囲気の方が多いのですが、肌を晒す事を恥ずかしそうにされたり、侍女の行動一つ一つにお礼を仰られたりします。その物慣れない感じが私には何とも好ましく映りました。他の侍女達も同じ様に感じているだろう事がなんとなく伝わってきます。侯爵夫人として外ではもう少し威張って頂いたほうがいいのでしょうが、生活をお世話する私達としては優しい奥様の方がお仕えし易いですから。
旅の疲れが取れるように少しマッサージを交えつつ入浴を終えると、衣装室にて髪を乾かし体を休めて頂いている間に、クローゼットよりドレスが準備されました。奥様の瞳と同じ色のドレスです。新しいドレスは他にも数着ありますが、本日はこれより他に選択肢はありません。アデル様が生地を選びデザインを考えお作りになったのですから。喜ばしいことに奥様もドレスを気に入って下さったようで、食い入るように見つめておられます。十分に休憩されてのち、コルセットから着付けがはじまります。既に細い腰はコルセットで締めようがありません。普通ならば2人掛かりで行う重労働なのですが、一人であっさりと締まってしまいました。あっと言う間にドレスを纏われて、奥様は鏡に写った姿を不思議そうに御覧になっています。
「…似合うわね。」
思わずといった風の奥様の呟きに、直ぐ様肯定を返します。とてもお似合いで、アデル様の意外なセンスの良さに心の中は賞賛の嵐です。本当ならば言葉を尽くして褒め称えたいのですが、奥様がびっくりされてしまわないように簡単な言葉で同意しました。鏡越しに奥様と目がうと言葉の変わりに微笑みます。
「髪はタイトにまとめましょう。襟元のデザインが映えそうよ。」
奥様のはじめてのご指示に気持ちが浮き立つのを感じます。指示ひとつをとっても人によって様々な特徴があります。指示がコロコロ変わる人、1から10まで指示したい人、何を言いたいのか分からない人…適切な指示を出して下さる主様というのはそれだけで素晴らしいのです。奥様のご指示のような、要点がまとまっていて且つこちらの裁量に任せる部分が残っている指示を頂けるのは従者としてとても嬉しい事なのです。そういった意味で先ほどのご指示は完璧だと感じました。私はドレスのデザインが映え、また、奥様に似合う髪形に結うべく腕を振るいます。
「アクセサリーは…。」
「こちらにご用意がございます。」
髪結いの途中でメイがイヤリングを運んできました。彼女は私と共に奥様付きの侍女になります。ポヤっとした見かけをしていますが、仕事は丁寧ですし、良く気が利きます。勤務年数は少ないのですが、奥様と年が近いこともあって大抜擢されました。人当たりのよさも彼女の美点で、すでにカナンとも協力して、作業をうまく分担している気配があります。奥様はイヤリングを見て、目を大きく見開かれます。左右でデザインの違うイヤリングにはアデル様の瞳と同じ色の石が埋め込まれています。
「これも、侯爵様が?」
「はい。ドレスと合わせて作らせておられました。」
「キレイだわ。」
奥様がにっこりと微笑まれると衣装室に可憐な花が咲いたような気がしました。部屋に居る者の表情も自然とほころびます。
「気に入っていただけたのなら旦那様にお伝え下さいませ。」
化粧を施していたニーナがそう言うと、奥様はコクリと頷かれました。そうこうしているうちに、髪が結いと化粧が終わり、アクセサリーを着け、靴を履いて準備は完了です。最後に全員で奥様をぐるっと見ておかしなところが無いかチェックします。もちろん、おかしなところなど欠片も無く、楚々とした美女が鏡の前で佇んでいます。あまりの美しさに鏡が奥様を閉じ込めてしまうのではないかと危惧するくらい。
私達は自信をもって奥様をアデル様の元にお連れしました。あの惚けた顔。アデル様の間抜け面に私とメイとカナンは顔を見合わせて頷きあいました。




