08.金色の鍵
下賜が決まって正式に公表されると、領地の屋敷では上を下への大騒ぎになった。ニーナをはじめとする侍女たちが部屋の大掃除や模様替えなどを張り切って行ったのだ。元々執務室の隣を自室として使っていたのだが、私も部屋を移るらしい。当たり前のように夫婦の部屋を使う事に抵抗があったのだが、私の否やはニーナによって完全に黙殺された。
領主夫妻の部屋として作られている2階の一角は連日、職人が入っての大がかりな模様替えがされている。ダンテスがいうには壁紙やカーテンも全て入れ替える事になったらしい。それにあわせて調度品も変更される。下賜姫を迎える準備をして欲しいと言ったのは私だが、ここまで徹底的にするものなのだろうかと若干引いてしまった。示した予算がすこし多かったのだろうか…。まぁ、ティファニーの嫁入りの際に彼女の好みに合わせて作られたピンクが基調の可愛らしい部屋は少し落ち着かないし、シンディーレイラに合わせて、部屋を作り変える事に異論は無い。カナンからの報告でシンディーレイラの好みは多少分かっている。シンプルで落ち着きのある上品な部屋を作るように最低限の指示は出したしニーナに任せておけば、まず、大丈夫だろう。
部屋の改装と同時に、一通りのドレスや日用雑貨を揃えるように指示を出すと、ニーナは満足そうに微笑んだ。小さい時、母の誕生日に庭の花を摘んで送りたいと言った時と同じ顔をしている。こういう時、彼女にとって私は主であるのと同じぐらい小さな悪ガキのままなのだと感じる。礼を持って接してくれてはいるが、やはり彼女には頭の上がらない所が有る。
仕事を任された若い侍女達は歓声を上げて喜んだらしい。自分の物を選んでいるかのような熱心さで連日仕立て屋とあーでもないこーでもないと打ち合わせをしているようだ。私はドレスとそれにあわせたアクセサリーを1つずつ、自分の希望通りのものを作らせるとあとはすべて侍女達に任せることにした。ドレスくらいならともかく、夜着のサンプルを手にどれが好みかと詰め寄られては適わない。それに女性のものは女性の感性で選ぶ方が間違い無いだろうとも思う。私では最低限の必要な物も見逃してしまいそうだ。
私は今までシンディーレイラが着ているところを見たことが無い、体に沿ったシルエットのドレスを希望した。線が細く、すらりとした彼女に似合いそうだと思ったのだ。彼女の瞳の色に合わせて、光沢の有るブルーグレーの生地を選ぶ。それにあわせたアクセサリーを選ぶ際、宝石商がエメラルドを勧めてきた。
「パートナーの瞳や髪の色の石を使ったアクセサリーが流行っているんですよ。」
そう言われてみてみれば、目の前の石は確かに私の瞳のような濃い緑色をしている。一口でエメラルドと言っても、色の濃さや透明度など様々な物があるのだなぁと今更ながらに感心する。
「旦那様の色を身につけると、お守りのようで安心すると奥様方からも評判がいいんですよ。」
朗らかな声にそう言われて、私はそんなものかなと思う。結局言われるがままエメラルドの埋め込まれたシルバーのイヤリングの購入を決めた。自分の色を身に付けさせるなんて独占欲丸出しだなと、心の中で自嘲しながら。
正式な発表から2週間で、シンディーレイラはラファエル領に向けて出発した。大忙しで彼女を迎える準備をしながら、なんとなく屋敷が華やいだような気がした。ここ数年こんなに活気があったことはない。領地の入り口まで迎えにいかないのかとニーナが煩いので、王のつけた護衛にケチをつける事になってしまうよと諭した。彼女の到着を屋敷全体が今か今かと待ちわびている。長年結婚しなかった私がどんな形であろうと妻を娶る事になって、一番喜んだのはニーナかもしれない。乳母だった彼女は私がなかなか結婚しない事で自分を責めていた所がある。パトリシア様がお喜びになられますという彼女の方が喜びが爆発したかのような笑みを浮かべていた。侍女長がそんな様子だからか、使用人達はこの出来事を肯定的に捕らえているようだ。久々の祝い事だからかもしれない。使用人たちの浮き足立った雰囲気を尻目に、私はいつもと同じように仕事をこなして過ごしていた。しかし、あまり手につかない。いつに無く効率の悪い私に、ダンテスは何も言わずお茶を入れてくれるのだ。だんだんと彼女がこちらに近づいてくると、迎えに行きたい気持ちが膨らむ。彼女の旅は恙無く予定通りにすすんでいるのだか、それがやけにじれったい。その時になってやっと、私がこんな気持ちになることを見越して、ニーナは先に釘を刺したのかもしれないと思い至って、やはり乳母にはかなわないなと苦笑する。
彼女が到着するその日になって、ようやく部屋を見ることができた。私の部屋の壁は明るいアイボリーに張り替えられていた。シンディーレイラの部屋と同じ壁紙らしい。調度品は濃茶でまとめられ重厚な雰囲気に仕上がっている。私の好みに沿って、シンプルで使いやすそうな家具が整然と配置されていた。既に午前中にダンテスが指示をして私物を運び込んである。執務室は防犯の都合上元のままの部屋を使うから、服や日用品を動かすくらいで済んだ。
ドア一枚隔てて寝室で繋がっているシンディーレイラの部屋はアイボリーを基調とした落ち着いた部屋になっていた。壁だけでなくカーテンも調度品も生成りや象牙色をしている。華美な装飾などは押さえられていて上品な印象だ。真新しい壁紙やカーテンが光をはじいて部屋の中を明るくしている。部屋に飾られたミニバラが落ち着きの中に可愛らしさと彩を添えていた。一通り部屋の中を見て周り、特に不備などは無く自室に戻ろうと寝室のドアをくぐる時に、ふと気がついた。2つの寝室をつなぐドアには夫人側だけに華奢な金色の鍵がついているのだ。探したけれど私の方には無い。
「これは?」
私は共に部屋を見て回っていたダンテスに聞いてみる。
「鍵です。夫人のお部屋側からのみかけられます。」
「何のために?」
「最初は防犯の為だったようですよ。」
「最初は?…というと?」
「女性には、男性を受け入れられない気分の時が有る様で、その時にはその鍵が活躍したようです。」
「蹴破れば壊れてしまいそうな鍵だけれど…」
私の言葉にダンテスは苦笑した。
「非常時以外に、妻の寝室のドアを蹴破る夫は居ないとおもわれます。まぁ、今回は少し特殊ですので、しばらくはこちらの鍵をかけさせていただく予定です。」
「というと?」
「下賜ですから、王族の継承問題に関わらない為に、3ヶ月は寝室は別にしていただく予定でございます。」
冷静なその言葉が頭の中で響き渡る。ダンテスの言っている意味は理解できるもののどこかに理解したくないと駄々をこねる自分がいる。同じ屋根の下、しかもドア一枚隔てた部屋で寝起きして、3ヶ月も指一本触れるなという事らしい。そのことに全く頭がいってなかった自分を叱咤したくなるが、今更どうしようもない。私はふ~んと呟いて自室に戻った。
夜いそいそと彼女の寝室に向かう自分が、あの華奢な鍵に拒まれる図を想像して、その間抜けさにため息をついた。




