06.紅色の行軍
式典から数ヶ月経つと、至るところで戦争に向けての準備がはじまった。金儲けを企む商人、名を上げようと集まりはじめる傭兵、家財をまとめて南に避難する者、故郷を守ろうと兵士に志願する者、それぞれがそれぞれの立場で動きはじめると「戦争」という言葉が避け様のない未来として実感を持って迫ってくる。私は自軍を固め敵を蹴散らす算段をしながら、どうしても戦争を起こさないで済む方法を模索せずには居られない。そんな自分が臆病者の様な気がして、ふと弱音を漏らすとダンテスは首を横に振った。
「ジェラルド様もそうでした。」
そういう彼の表情は驚く程柔らかい。その日は珍しく父の思い出話に花が咲いた。父が亡くなってからはじめての事だ。私の記憶の中の父はとても大きくて威厳に満ちた人物だけれども、ダンテスの語る父はそれよりも人間味にあふれていて親近感を持つ。今は私を主と呼んでくれるけれども、彼の中で父は特別だったのかもしれないと思う。ダンテスの話の中で父は生き生きと人生を楽しむ魅力に溢れた人物だったから。もし彼が生きていたならば、私も父についてダンテスと同じように感じる事ができたのだろうか。それともやはり親と子は親と子でダンテスの見た父を私は見ることができなかっただろうか。酒を勧める私にダンテスは珍しく応じてくれた。普段は絶対に主従の垣根を越えた振る舞いはしないのに。彼もきっと父の死によって傷ついていたのだろう。忘れようとすればするほど浮き彫りになる傷は、けれども、そこにあることを認めると癒え始めるのかもしれない。私にもダンテスにもきっと故人を偲ぶ時間が必要だったのだ。忙しさにかまけてここまできてしまったのか、思い出話ができる気持ちが整ったのが今だったのか。父の話は自然と兄の思い出話も連れてくる。私にとって10歳離れた兄は何でもできる英雄だった。優しく導いてくれる師匠だった。そしてなかなか勝つ事ができない好敵手だった。ダンテスの語る兄はやんちゃで元気なただの子どもで、私の知っている兄とはとても重ならなかった。ふと、母にもこんな時間が必要なのだと思った。私は彼女の前で父と兄の話を完璧に避けていたから。母が居たら、ダンテスの話になんと返すだろうか。すぐにでも会いに行きたい気持ちになったが、状況が許さない。すでに母には領地の南の教会に避難してもらっている。本当は王都の屋敷に行って貰いたかったのだが、彼女は領地から離れることを頑なに拒んだのだ。この状況が解決したら、きっと母を屋敷に呼んでゆっくりと昔語りをしようと決める。ともかく、父や兄が守ってきた土地を今度は私が守らねばならない。
ダンテスの報告から約1年で、隣国が仕掛けてきた。宣戦布告から攻撃開始まで通常ならば王の名で書状のやり取りをするはずなのだが、相手はその手順を踏まなかった。国家間にある慣習という名のルールを無視したその開戦の仕方は国の品位や信用を地に落としたとして、周辺各国で後世まで語り継がれることになるのだが、それもこちらが防げばこそだ。戦っている間はそんな文句を言っている余裕は無いし、言ったところで相手に届かない。敵は砦と共に卑怯という謗りも砕いて無かったことにしようという勢いだ。戦勝国に不名誉な事実は歴史に残されてこなかったのだから、勝てば良いと北の国は考えたのかもしれない。もし、準備が不十分であれば砦は陥落し、我が国は領土の一部を失い、北の国の歴史的な愚行を後世に残すことは出来なかったかもしれない。しかし、私達は敵の奇襲を砦で防いで国土を守り、戦での北の国の所業を周辺各国に知らしめることができた。1年も前からこの日に向けて、密やかに砦の補強をしたり、兵士の数を増やしたり、実践的な訓練を積んだりと、できる限りの準備をしていた成果が出た。それに加えて陰者からの情報で敵の戦法を事前に知ることができていたのだ。そのおかげで、唐突な開戦であったにもかかわらず兵士に混乱はなく、こちらの犠牲は最小限に押さえることができた。あっさりと砦を落としてその勢いのまま国境線を塗り替える算段をしていた敵国は、砦の強固さと私達の粘り強い守りに攻めあぐね、兵を引かざるを得なかった。
恥も外聞もかなぐり捨てての奇襲作戦が失敗に終わり、しかも敵兵の被害は甚大だった。そのまま軍を引くのではないかとも思われたが、北の国は撤退しなかった。何やらこの戦争は王家の後継者争いが関係して起こったらしく、後継者としての正当性に箔をつけるため、どうしても戦果が欲しかったようだ。結局、数日に渡って敵軍と砦の防衛軍とで睨み合いが続く。向こうは攻める隙をうかがってる様だが、圧倒的少数で砦を守るラファエル家の私兵に隙などあろうはずもない。兵糧も十分に用意していた。睨み合いが長引けば多少の綻びも有ったかもしれないが、そうこうしているうちに近隣の領地からの応援軍が駆けつけ、さらに数日後にはウィルフレッド殿下の率いた王国軍も合流した。白銀の鎧に深紅のマントを翻した殿下率いる王国軍の一糸乱れぬ行軍がこれほど心強く感じるのだと初めて知った。
こちらが数でも圧倒したことを理解してやっと敵軍は諦めたらしい。王国軍の合流後すぐに、後退戦を仕掛けてきた。その判断は遅すぎるように思われるが、通例であればわが国は逃げる敵を追って北の国に入ることはしないはずなので、敵軍にはこのタイミングでも逃げ切れるだろうという認識があった言える。我が国の軍がそろうまで粘っても問題なく撤退できるだろうと。それは結果的に甘かったと言える。ウィルフレッド殿下は敵軍の撤退を許さず、敵軍を壊滅させるべく王国軍と応援軍を率いたのだ。どこかのんびりと撤退をしていた敵軍は慌てて後退戦の陣形を整えていたが綻びだらけだった。殿下はなんとか逃げのびた敵軍の本隊を追って山を越え、北の国の領地侵入し、敵国の国境沿いの砦を陥落した。その際、敵軍を率いていた北の国の第2王子を捕える事に成功したらしい。
私は連日の砦での攻防戦による兵の疲弊を理由に壊滅作戦には参加しなかった。敵の侵攻を防いだ時点で十分な戦果はあげているし、私兵をわざわざ危険にさらす必要はないと思ったのだ。身勝手と謗りを受けても、ラファエル家の―顔見知りの―兵を一人でも多く家族の元に返したかった。
北の国は第2王子の再三の援軍要請に応えず、砦陥落と同時に白旗を振ったという。今回の戦争は第2王子が勝手に始めた事だと言う事だというのが、北の国の言い分らしい。本当の所はトカゲの尻尾切りに過ぎないだろうが。私は砦で後方支援の指揮をとっていて勝利の知らせを聞いた。沸き上がる歓声の中で安堵のため息をもらす。戦争などするものでは無い。勝利を掴んだところで残るものなど僅かな安堵くらいだ。
殿下はその後の戦後処理で賠償金を用意させ、属領化に近い条件で講和条約を結ぶことに成功した。噂によると第2王子の扱いや賠償金額に関しての話し合いはかなり難航したようだ。確かに、戦後処理は比較的長い時間をかけて行われていた。ラファエル領や北の砦は王城からの使者などがひっきりなしに出入りしてなかなか落ち着かなかった。しかし、これで長く続いた北の隣国との対立は一応の解決をみせたといえる。程なく途絶えていた国交も始まった。国交が始まると、ラファエル領は交易の中間点として栄え始める。北の国境に平穏が戻ったことを私は素直に喜ぼうと思う。国境を守る領主としてはこれ以上の報酬は無い。
この戦争の戦果によってウィルフレッド殿下は王の資質を内外に知らしめることになった。戦争終結後すぐに王位に就かれることになるのだが、若い王の誕生に否やを唱えるものは無かった。以前はウィルフレッド殿下の王としての資質について様々言う者がいたのだが、この戦争が否定的な意見を蹴散らしたらしい。結局、隣国の内乱がわが国に安寧をもたらしたと結論付けるのは皮肉が過ぎるだろうか。
歴史は苦手で…すいません。




