閑話:伝心の方法
引き続きカナン視点です。
後宮に入られて半年が過ぎる頃には、シンディーレイラ様の様子はすっかり変わっていました。殿下の御渡が有っても、以前のように浮かれた様子はありません。念入りに楽しそうにされていた準備も最近では淡々とこなされています。殿下の前でも幸せそうに微笑んだりはされず、うっすらとした笑みを張りつけてやり過ごしていらっしゃるように感じます。その空気を感じ取ってか、殿下からのプレゼントや御渡りは少し増えましたが、それもお嬢様の気持ちを元に戻すような効果は無いようです。
ある日の昼下がり、殿下から今夜御渡りが有るという連絡を受け取った直後の事です。シンディーレイラ様が体調を崩されました。腹痛を訴える苦しそうなお嬢様の様子にすぐさま医師が呼ばれました。昼食後間もないことでしたので、多くの侍女達が毒を疑ったのです。私はというと、他の侍女たちと同じように慌てたように見せながらも、どこかのんびりとした気持ちでその騒動を見守っていました。私には仮病なのだと直ぐに分かったからです。しかし、私以外にそれと気付いた侍女はいません。意外と演技派のお嬢様に心の中で賞賛を送ります。
医師の診察によって毒でない事が分かり皆がほっとしたのもつかの間、原因不明の腹痛ということで、皆首をひねっています。医師は仮病を疑いつつも、仮病を使う理由が分からない為なんとも言えないと言うところでしょうか。時々仮病を使って殿下や周りの気を引こうとする姫が居ますが、今でも十分に殿下の気を引き、たくさんの侍女に囲まれているシンディーレイラ様がそんな事をする必要はありません。ましてや今日は殿下の御渡りが予定されているのですから、後宮の常識からすると仮病などありえないのです。後宮の医師は腕は良いのかもしれませんが、残念ながら感情の移ろいや男女の機微には疎い様です。医師に見てもらって少し気分が軽くなったという演技なのでしょうか…先ほどより落ち着いた様子のお嬢様が、医師に問いかけます。
「本当に、毒ではありませんの?」
「はい。」
「ならば、原因は何なのです?」
「はっきりした事は分かりませんが、食あたりか…お腹を冷やされたりはしませんでしたか?」
「朝食も昼食も生ものはいただいておりませんわ。果物もいつもと変わらぬ味でしたし…お腹が冷えるような事も無いと思います。私の侍女は優秀ですから。」
お嬢様の言葉に昨夜と今朝の着替えを手伝った侍女の顔が青ざめます。主の体調不良の原因と認められれば、なんらかの処罰の対象になるかもしれません。
「お心当たりが無いとなると、原因を探るのは難しい…。」
「それでは困りますの!」
原因は分からなくとも、お嬢様の様子から大事ではないと判断し、しばらく安静で済む話だと高を括っていた医師をお嬢様が一喝します。
「今夜は殿下の御渡りがある予定です。ただの腹痛と侮って、伝染病などだったらどうするのですか!」
お嬢様の言葉に周りにいた皆がハッとしました。ただの側室の腹痛だと思っていた事態が、王太子殿下の死亡に繋がってしまうという劇的な物語が一瞬で頭の中を駆け抜けたことでしょう。その物語の中では初診をした医師は処刑され、周りにいた侍女たちも職務怠慢で何らかの罰を受けるのです。残念ながらそんな大げさなと笑う人間は一人も居ませんでした。それほど、お嬢様の演技はすばらしく危機的でした。なんて人の感情を操るのが上手いのでしょう…私はこのか弱く見えるお嬢様の大胆さに心奪われます。したたかな女性は嫌いではありません。主として不適切だったら…と言ったアデルバート様のセリフを思い出します。不適切どころか、興味深くってなりません。私がお嬢様に対してこんな風に好意を持つかもしれないと、アデルバート様は予想されていたのでしょうか。
みなの顔色が一様に青ざめたのを見とって、お嬢様は猫なで声でささやきます。
「とても残念だけれども、症状が出なくなって数日様子をみるか、原因が分かるまでは殿下とお会いするのは控えたほうが良いのかしら…。」
「…はい。」
医師が頷くと、周りにいた侍女たちもつられて頷きます。それを認めてお嬢様はさも残念そうに顔をしかめてから分かりましたと呟きました。
「すぐに殿下へご連絡をお願いできる?」
上目遣いに泣き出しそうなのを堪えて作った小さな微笑みを添えられて、そう命じられたお嬢様付きの筆頭侍女は慈愛に満ちた表情で頷き、踵を返します。
「心当たりが無いだけで、ただの食あたりかも知れないけれど…もし流行り病であれば皆にも迷惑をかけてしまうわ。私は寝室に篭るから、皆あまり近づかないでね。何かあればベルを鳴らします。」
お嬢様の言葉に皆の顔には同情の表情が浮かぶけれども、首から下は一刻も早く寝室から出ようと動きます。あまりに正直な反応にお嬢様の瞳の奥にも苦笑が浮かんでいます。侍女達と同時に退室した医師は整腸作用のある薬を処方して意気揚々と帰りました。きっと頭の中では国を救った名医の物語がクライマックスを迎えているのでしょう。彼の英断が称賛される日は永遠に来ませんので、頭の中でくらい好きに妄想していればいいと思います。
目立つ行動は控えているので、私も皆と同じように神妙な顔つきで一度退室しました。戻ってきた筆頭侍女から殿下の御渡りは無くなったことが伝えられると皆残念そうに顔を歪めながらもほっとしています。処方された薬を見せると、筆頭侍女の指示ですぐにお茶の準備がされました。しかし、皆が寝室に入るのを嫌がります。押し付けあいの中に上手く潜り込み、私にお茶運びの役目が回るように立ち回りました。これで、当分の間、私はお嬢様のお世話係と成ることでしょう。今後彼女に張りつく為にもお気に入りの侍女に成らねばなりません。今回の事は私にとってもチャンスです。
「あら、カナン。」
「お茶をお持ちしました。」
「寝室に入るのは嫌でしょう?」
「いえ。お薬もございます。直ぐに服用頂くようにとのことでした。」
「…そう。」
私はまずお水と薬をお嬢様に渡します。一瞬戸惑ってから薬を受け取るお嬢様に声を落としてこう耳打ちをしました。
「ただの整腸剤ですので、飲まれても問題有りません。」
その言葉にお嬢様は目を見開かれます。
「…気づいていたの?」
「何をでしょう?」
「もう、いじわるね。」
「お嬢様はご病気ですよ。病名は『殿下に会いたくない病』でしょうか?」
私がにやりと笑って呟くと、お嬢様もニヤリと笑われました。その笑顔は朗らかとは言えませんが、瞳にはいつもの輝きが戻っていて、私はなんだか嬉しくなります。返事の変わりにお嬢様は粉薬を飲みました。私はその間にお茶をカップに注ぐと口直しの果物も添えて手渡しました。
体調不良を理由に殿下のお渡を断った手前、お嬢様は1週間ほど寝室に籠もられました。1週間経つと私にうつらない事から伝染病では無いと判断が下されましたが、念のためということでさらにもう1週間、部屋の外には出られませんでした。伝染病ではないと判断されてすぐに寝室から出て過ごされた日に殿下から御渡の打診がありましたが、それも断ってしまわれました。本来ならばお褥すべりなど、妊娠中か年老いてからしか認められないのですが、今回は医師の診断も有って異例の事態です。シンディーレイラ様はそれを気にする素振りも無く、私の持ち込んだ本を読んだり、刺繍をして過ごしてらっしゃいます。
丸2週間が過ぎた日の午後、今夜、殿下の御渡が有ると筆頭侍女が満面の笑みで報告すると、お嬢様はにこやかに微笑んでうなずかれました。殿下を迎える準備の為にあれやこれやと侍女達に準備を命じられると部屋は私とお嬢様の2人だけとなります。
「もう体調不良は使えないわね。」
お嬢様はそう悔しそうに呟いて思案顔をされます。2週間合わなければ他に行くと思ったのにと小さな呟きが聞こえて私は思わず笑ってしまいました。男性は獣なのです。特に殿下の様な望むものを手に入れることに慣れた男性は。逃げれば逃げるほど追わずにはいられなくなるのでしょう。最近の素っ気ない態度やお褥すべりは殿下のお気持ちを離すには逆効果です。
私はお嬢様に耳打ちします。今夜の御渡はあるいはチャンスかもしれませんと。




