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03.幸せ色の思い出

人の生死についての記述がありますので、お嫌いな方はご注意下さい。

結局、最後まで殿下の側で幸せそうに笑う彼女を見守って帰路に着く。さっさと帰る予定だったのに、これなら兄夫婦の屋敷に行った方がましだったと苦笑がもれた。とろけるような笑顔が頭から離れない。きっとすぐに彼女は側室になるのだろう。もう、私の手の届かない所へ行ってしまったのだ。ため息をつくくらいしか出来なかった。少女趣味に足を突っ込む覚悟をした瞬間に振られるとはどんな喜劇なのだろうか。もう、無かった事にしてしまいたい。

しかし、シンディーレイラの笑顔ばかりがチラつく。きっと、彼女のあの咲き誇るような笑顔は失われてしまう。殿下は彼女もすぐに飽きてしまうのだろうから。それに、近いうちに隣国から正妃がやってくるはずだ。数ヶ月前に正式に婚約が発表されていたが…婚約中に側室を増やすなんて外交問題になったりしないのだろうか。それとも今の後宮の無秩序な栄え方を知っていて結婚と決めたのだから、もう側室の一人や二人増えたところで気にするところではないのだろうか。

いや、そんなことよりも。後宮の中の彼女をクランドール伯爵はどのくらい守れるのだろうか?いくら城で職を得ていると言っても、やはり、影響力というのとは別物だ。権力にさほど頓着してこなかった彼が、娘を進んで後宮に入れるような腹黒古狸達と渡り合っていける想像が出来ない。そもそも、後宮で、シンディーレイラは無事で居られるのだろうか?殿下の寵愛が有る内はまだいいが、それが去ってしまったら?毒の知識はあるのか?警戒心というものを持っているのか?宿に帰って身支度を整えてもらいながらも悶々と考えた。その時、ふと、父からもらった従者の顔が頭をよぎる。彼女は隠者の心得があるのでは無かっただろうか。

「カナンをここへ。」

夜着にガウンを羽織って、宿の居間で待つ事数分、私の持つ数少ない隠者の一人がメイドのお仕着せを着て現れた。

「夜分にすまない。」

私はそう謝ってから、カナンに隠者としての仕事を命じる。彼女は一切表情の無い様子で私の話を聞いてから、小さく了承の言葉を発した。


カナンに命じたのはシンディーレイラの警護。何の為にシンディーレイラを守るのか私には説明出来なかった。彼女はこぼれ落ちる水の様に何の違和感もなく痛みも伴わずにするりと私の手の中を通りすぎて行ったにすぎない。手に入れたいと強く思う訳ではない…と思う。なのに何故だか彼女が害されるかもしれないと思うといてもたってもいられなくなる。私の見えない場所でもいいから、彼女は無事で朗らかに軽やかに過ごしていないといけないのだ。妹など居ないが、もし居たらこんな気持ちになるのだろうか。きっと自己満足の世界なのだろう。こんなことに付き合わせてカナンには申し訳無い。だから…という訳ではないが、指示を出すときに一つ条件を加えた。もし、シンディーレイラを主として不適切だと感じたらすぐ帰ってくるようにと。いや、これも自分で終わらせられそうに無いからと、カナンにその役目を負わせたにすぎないのだろう。幼いシンディーレイラに主の資質を求める方が酷なのだ。きっとカナンはそのうち帰ってくるだろう。他力本願この上ないがそうでもしないといつまでも彼女に捕らわれそうだった。


シンディーレイラの元にカナンを送り込む手筈を整えて間もなく。冬に入りかけのある晴れた日。



兄が亡くなった。




冬支度の前にと慌てて行なった視察先での事故だった。鉱山での落石…時々起こるその事故はなぜ幸せの真っ只中にいた兄を選んで巻き込んだのだろうか。兄以外に犠牲者は居ない。それが奇跡としか言いようの無いくらい、大きな事故だった。それを幸いと捕らえるのは私の領主の後継者としての良識だろうか。家族としてはそこに幸いの文字は見出せない。決して表には出せないが。どうして兄だったのかと思わずには居られない。せめて他にも犠牲者がいれば、不運だったという言葉がもう少し素直に受け入れられたのだろうか。


泣き叫んで兄にすがり着く母をなんとか宥めすかして棺から離すと、兄の入った棺はやけに丁寧に蓋を閉められて教会の外に運び出されていった。父の眠るすぐ隣に兄を葬る。早すぎる眠りは悲しみを通り越して痛みをもたらす。父も事故で急になくなったが、その時とはまた違う喪失感に蝕まれる。

ティファニーは訃報を聞いて倒れ、かけつけた医者に安静を言い渡されたけれど、周りが止めるのも聞かず葬儀に参列した。黒いドレスをまとった彼女は息をする事さえ…いや、瞬きさえ重労働かと思えるほどに衰弱している。母とは対照的に、ただ静かに静かに棺を見つめ、ポロポロと絶え間なく涙を流していた。真っ白な顔に表情は無く、涙を流す珍しい人形の様なその姿に地を這って漂うような狂気を感じる。


ティファニーは兄の葬儀が終わった直後にまた倒れた。その日から、冬の終わりに亡くなるまで、彼女は一度もベッドから起き上がれなかった。

お腹の子が居るうちはまだなんとか立ち直ろうとか、元気にならなければ…という意思を感じられたが、子どもが死産となってからは水さえろくに摂らず、泣き疲れて眠ってうなされて起きてまた泣くという繰り返しの日々を送っていた。母や私の言葉は全く届かなかった。伯爵家を継いで、雑務に追われながらも彼女の元に通ったが、私は彼女に一欠片の活力を与える事もできなかった。小さい頃から側に仕えている嫁ぐ時に連れてきた侍女も必死になって看病していたが効果は見られず、ティファニーは日に日に衰弱していった。雪の中を見舞いに訪れた友人達も、実父や実母でさえも、彼女の悲しみを和らげる事が出来ない。一歩一歩確実に死に近づいていく彼女を誰も止めることが出来なかった。

皆の必死の説得や看病もむなしく、お腹の子を道連れにして兄の元へと逝ってしまった。



ティファニーの葬儀が済むと母はまた森の家に籠もった。私は母の側に居てやりたかったが、そうもいかなかった。兄亡き後、受け継いだ伯爵家をほったらかしには出来ない。

ティファニーの看病をしている間、滞りがちだった仕事が山積みだった。寝る間も惜しんで兄のやりかけていた仕事を手当たり次第に処理していく。雪で埋まるラファエル領では冬には大きな動きが無いのが幸いだった。ヨルダンの助けもあって、混乱したのは私の頭の中だけで済んだ。


一通り状況が落ち着く頃、ふと気付くと春はとっくに過ぎていた。毎年と変わらぬ風情の領地の中で伯爵家の屋敷だけがやけに静かだ。静かさが身に染みて、忙しさに忘れていたはずの痛みを呼び起こす。仕事を理由にして、母に何のフォローも出来なかった自分が情けない。夫を失った悲しみがやっと癒え始めたと思ったら、息子と義娘と孫をほとんど同時に失ったのだ。残った唯一の家族としてはもう少し側に居て、母の気持ちに寄り添うべきだったかもしれない。

母を見に行くと、少しやつれた様子で出迎えてくれた。母の従者が入れてくれたハーブティーを啜りながら、ポツポツと言葉を交わした。窓の外は濃い緑色をしていて、自然の息遣いが力強く私を圧倒した。

「屋敷に戻らないの?」

「私の家はここと決めたのよ。」

「…そうか。」

共に暮らすべきだと強くは言えなかった。屋敷には思い出が多すぎて、兄どころか父の死さえもなかなか風化してくれない。それに、母を思いやるような振りをしながら、私の中に縋りたい気持ちがあった。母を癒したいという気持ちもあるが、肉親と共に過ごして、私も癒されたいし甘えたかった。それを素直に言うには私は大人すぎたし、そんな私の心の内を慮る余裕はまだ母にはうまれていなかった。縋る当てが外れて、寂しさと安堵が胸を駆け巡る。兄の死よりこちら、自分の気持ちがなんだか複雑で、もてあましてしがちだ。時々様子を見に来ると約束して一人屋敷に戻った。


夕闇に染まる屋敷の廊下では幼い私と兄が追いかけっこをしているし、ふと窓の外を見やれば兄とお腹の大きなティファニーが腕を組んで微笑みあっているし、2人が通り過ぎたすぐ脇では父に剣の稽古をしてもらっている兄を頬を薔薇色に染めて見つめている幼いティファニーと私がいる。目を閉じなくても浮かぶ幻影を首を振って振り払い執務室のドアを明けると、机で資料とにらみ合っている父と、書棚で調べものをしている兄が同時にこちらを向いて微笑んだ。

瞬きと共に消える幻影にさえ縋りつきたいと思っている自分に辟易する。私がこれほどまでに彼らの影を感じるのだ…母を無理に連れて帰らなくて良かったと声に出して呟いた。そうでもしないと屋敷の生み出す幸福な思い出という名の幻影から逃れられそうになかった。


気を取り直して机に向かうと、いくつかの書類に紛れてカナンの定期連絡が有った。兄が亡くなってからの数ヶ月、定期連絡に目を通して居なかった。私は久しぶりにカナンからの手紙にナイフを入れた。私がバタバタとしているうちに、殿下は正妃を迎えていた。それと同時に彼女へのお渡りが減っているようだ。彼女は比較的穏やかにそれを受け入れ後宮でひっそりと暮らしているらしかった。時を同じくして、シンディーレイラへの嫌がらせが始まったようだ。他愛ないものから悪質なものまで…しかし、どの嫌がらせも古典的で、カナンに対処出来ないような事は無い。私は初恋に見捨てられても逃げることもできない少女が、悪意に晒されて途方に暮れる様子を想像して居たたまれなくなった。私は久しぶりにカナンへ指示書を出すことにした。きっと陰者伝いに知っているだろうが兄夫婦の事と母の現状も伝えてやるべきだろう。カナンは父から紹介された陰者だが、なんとなく母に懐いていたように思うから。ざっと現状を伝える内容を暗号を使ってしたためる。カナン以外の人間の目に止まっても、ラファエル家の出来事だとは悟られないように。それに指示を追加する。嫌がらせ等はシンディーレイラに気付かれないように処理して、彼女に要らぬ気苦労や不快感を与えないようにと念を押した。後宮から連れ出す事は出来ないが、せめて彼女には平穏な日々を過ごして欲しかった。


その後は仕事の合間を見て、カナンとのやり取りでシンディーレイラの様子を窺い知る。当初の目論見は外れて、カナンは一向に帰って来そうに無い。彼女の日常を気にかけるだけの不毛な時間は、けれど、私にとっては憩いだった。きっと現実から逃れたかったのだ。時々は生身の女を求める事も有ったが、あまりにも生々しい温もりに返って自分が冷たいと実感させられてしまう。肉体が触れ合う分、その心が寄り添っていないのだと浮き彫りになる。

それに比べてシンディーレイラには手の届かない気安さが有った。私からの一方通行なのも気が楽だ。私達の関係には期待も誤解も入り込む余地が無い。架空の人物の様な距離感の少女に心を砕いていると、温もりが自分の中から沸き上がってくるような気持ちに成れた。

これは恋やましてや愛等といった上等な感情ではない。外から見れば不毛な恋に溺れる情けない男くらいに見えるかもしれない。しかしその内側では執着や依存というような口当たりの悪い感情が人目を忍んではびこっている。私はそれを十分に意識し理解しながらも彼女への感情を野放しにした。彼女と私の間には頑丈な檻が存在する。私がいくら牙を剥いたって、爪を研いだって、彼女に触れる事は出来ないのだ。その事に安心して、私はシンディーレイラへの気持ちに枷を架ける事無く、むしろ大切に育みつづけた。

アデルが病んでます。

ストーカーのようですが…実害は全く無いということで許してください。^^;

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