02.青葉色の残り香
彼女は名をシンディーレイラ・セレスティアと言うらしい。ミドルネームを持つのは珍しいと思うが、クランドール伯爵といえば前妻が他国の出で、しかも亡くなっている事を思い出し口をつぐんだ。せっかくの夜会なのだから憂うことなく楽しんで欲しい。それに出会ってすぐに選ぶべき話題ではない。
彼女を連れて広い会場をゆっくりと進む。温かな色合いのシャンデリアが彼女の肌を滑らかに照らす。途中何人かの友人や知り合いに声をかけられた。私が女連れなのが珍しいのが半分、彼女が気になるのが半分。挨拶もそこそこに切り上げようとするのだけれど、どいつもこいつもなかなか会話を終わらせようとしない。あまつさえ、彼女をダンスに誘っている。今は私がエスコート役なのだから、少なくとも私と踊り終わってからか、私に話を通してから誘うのがエチケットのはずだろう。驚くべきことに、あのルドルフまでもが彼女を誘った。遊び人ではあるが、人の女には手を出さないと言うのが信条ではなかったのか。思わず誘い文句が飛び出してしまったといった風情ではあるが、友人の無礼に眉間にシワを寄せて抗議した。しかし、びっくりするほどあっけなく、あっさりと断られている姿を見て溜飲が下がる。
「ごめんなさい。父を探さなくてはいけないんですの。」
小首を傾げてそう微笑まれては名残惜しさもひとしおだろう。そんな男達の心の内は想像もしないのか、彼女は無邪気なものだ。何人かに誘われて断ってを繰り返して慣れたのか、その後の誘いに対して、彼女は戸惑いもなく挨拶でも交わすかの様に軽やかに断わっていた。あんまりにも無邪気にあっさりと断る姿が場慣れしても見える。
「夜会は何度目ですか?」
「初めてです。」
半分はやっぱりなと思い、もう半分でその割に堂々としていると感心する。少し連れ立って歩いただけなのに、初めの、只の可愛いだけの少女という印象はもう既に残っていない。今まで周りにはいなかったタイプの女の子に見えた。どこがどう違うのかはっきりとは言えないけれど。
もう少し仲良くなりたいという思いが湧いた。この少女がどんな女性に成るのか見てみたいと。そこまで考えて、これは少女趣味の始まりだろうかと気づいて気持ちが沈む。心の中で誰に宛てるでもなく言い訳を考えていると、不意に彼女が立ち止まった。我に返って彼女を見ると父ですと告げられる。これでお別れかと残念に思ってしまった。その瞬間、もう少女趣味でもしょうがないかとどこかで開き直った。気になるだけなら無害だし。行動を起こさなければいいのだし。その思考が既に問題を含んでそうなことは完璧に無視する。
父親の元にたどり着いたはいいが、少し様子がおかしい。彼女がここに居てはいけないとでも言うような伯爵の雰囲気に頭の中に疑問符が湧いた。彼女も何故かそれまでの飄々とした無邪気さを隠して、何だかやたらと甘えた声を出している。人の家族関係に首を突っ込むつもりはないが…妙な空気は居心地が悪い。どうしたのだろうと考えながら親子のやり取りを見ていると、シンディーレイラが丁寧に礼を言って伯爵の後ろに隠れた。彼女の手が離れる瞬間、名残惜しくて引き止めてしまいそうだった。そんな自分を自制して、伯爵に向き直る。彼は警戒心をむき出しにしながらも礼を言った。クランドール伯爵と言えば、城の要職に就く切れ者と聞いている。こんなに素直に感情を出すような人では無いはずだ。そんな人柄では城では1日と持たない。しかし、今夜はなぜか娘の姿が彼から平静さを奪ったようだ。
「可愛らしい娘さんですね。(秘蔵っ子が居たんですね。)」
「まだまだわがままな子どもで困っているんだ。(こんな子どもに手を出すなよ。)」
「今日がデビューだと伺いました。(あんたがちゃんとエスコートしてやらないからだよ。)」
「娘をもつと心配ばかり増えるよ。(あぁ、悪い虫には気を付けるよ。お前も近づくなよ。)」
「彼女なら引く手あまたでしょうね。殿下のお目に止まってもおかしくない。(殿下に差し出すつもりですか?)」
「まさか、ご冗談を。(有り得ない。)」
「ご謙遜を。彼女は立派なレディですよ。(いや、有り得ない話ではないでしょう?)」
「……。」
「まさか、連れて来るつもりはなかったんですか?」
急に黙ってしまった伯爵に、私も含みを持った話し方を引っ込めた。変わりに若干声を潜めて尋ねると伯爵は小さく頷く。
「非常にまずいと思いますよ。殿下の好みは…」
「わかっている。」
唸るように呟いた伯爵にやはり今夜シンディーレイラを夜会に連れてくるつもりはなかったのだと確信した。彼は自分の娘が殿下の好みのタイプだと分かっていて、娘を隠したかったらしい。親の許しも得ないでどうやって夜会に現れたのかは分からないが、シンディーレイラは割とお転婆な性格なのかもしれない。見た目の儚い印象からは想像もできない行動力だ。焦る気持ちを隠せもせず、どうやって娘を守ろうかと考え続けている伯爵に私は一つ提案をした。
「私が彼女と恋人のフリをしましょう。」
「……。」
「これまでの様子から言って、殿下も仲のいい恋人がいる娘を召上げたりはなさらないようですから。」
私の提案にクランドール伯爵はしぶしぶ頷いた。隣では妖艶な後妻が呆れたように彼を眺めている。そこにはなんだか労わりのような優しさのようなものも含まれていて、一時噂されていたような酷い夫婦関係ではないのだと思った。
「今日だけだ。」
伯爵はそう言って娘を託してくれた。その瞬間の苦々しい顔で、彼の娘への深すぎる愛情が伺えた。仮だとしても、恋人など認めたく無いというのがありありと浮かんでいる。もしかしたら、今夜の夜会だけでなく、社交界から遠ざけたいのかもしれない。貴族の中には娘を出世の道具のように扱う輩も多い。それに比べれば多少子離れが出来ないくらい可愛いものだが…その恋人(役)としてはあまりの殺気に冷や汗が滲む。伯爵ににらまれながら再度シンディーレイラの前に立ち、
「こうしてお会いしたのも何かの縁、一曲お相手…」
と言い掛けた瞬間。
ウィルフレッド殿下の入場が告げられた。予定よりずいぶんと早い。しまったなと思いながらも、最敬礼で迎えるしかなかった。できた事と言えば、少し彼女を隠すように立ち位置を変える事ぐらいだ。
人一人分の距離。きっとダンスをしていたなら埋っていたはずの距離。たったそれだけ近づきそびれたばっかりに、目の前で彼女を攫われた。いや、そうでないのかもしれない。たとえダンスの後で恋人同士のように寄り添っていたとしても、彼女を殿下に奪われることは決まっていたのかもしれない。殿下だけが彼女を離さないのではない、彼女も殿下に寄り添う事を好ましく感じているだろうと見て取れた。クランドール伯爵は何とか殿下と娘を離そうともがいていたが、もちろん、どうする事も出来なかった。私は呆然とそれを見守った。青葉の香りはもう私の元は届かない。




