64.「めでたし、めでたし。」じゃ終れない。
「ティア…。」
月を見ながらお茶を飲んでいると、アデルが寝室のドアを開けて、情けない声を出す。
私はその声を無視して、もう一口お茶を飲むとまん丸の月を見つめた。
月明かりは雪に散らばって、明るさを増している。
なぜか物音を立てないようにアデルが忍び足で寝室に入ってくる。
彼は私の腰掛けるカウチの側まで来ると、跪いて手を取った。
「ティア、すまない。機嫌を直して?」
「……。」
私はチラリと彼を見た。
握られた手がほんのりと温かく、それがとても気持ち良い。
「私はティファニー様の様にお淑やかでは無いわ。」
「そうだね、彼女は木登りはしないし、馬に乗るのも上手くは無かった。」
「私はティファニー様の様に守られてばかりでは嫌なの。」
「そうだね。彼女は家出なんて出来ないし…沢山の侍女に傅かれるのに慣れていた。」
「私はティファニー様の様に弱々しいばかりの女では無いのよ。」
「そうだね。君は森の中で見事に生き抜いたし、今回も侯爵夫人として采配を振るってくれたらしいね。」
「ねぇ、……わたしではダメなの?」
私は彼の手をそっと握り返した。
今まで聞いた事のないほど、情けない自分の声に辟易する。
アデルはなんとも言えない顔をして、私をそっと抱きしめてくれる。
「いや、君でなければダメなんだ。すまない。」
私は彼の言葉にほっとして、頭を肩に預けた。
意地を張ってこわばっていた体から力が抜けていく。
「あなたのティアになりたいのよ。」
「私のティアは君だけだよ。私が愛しているのは君だけだ。」
「でも、ティファニー様を重ねて見ていたわ。」
「それは…っ、面目ない。言い訳をしても?」
「えぇ。」
私は彼の言い訳に耳を傾けた。
確かに初恋はティファニー様だった事。
でも、セシルバート様と結婚する頃にはその思いも無くなって居た事。
私の妊娠が分かった時、ティファニー様の事を思い出して女性は弱いものだと思い、焦った事。
何気ない瞬間に私や子どもに何かあったらと想像してしまって、恐怖していた事。
お義母様に言われるまで、私とティファニー様が似ているなんて思っても無かった事。
置き去りにしてきた彼の思いをようやく聞く事が出来た。
アデルの言葉を聴くと、波立っていた心の中が凪いでいき、ストンと胸に落ちるものがある。
信じてくれる?とたずねられて、私は、はいと返事をした。
アデルはありがとうと消え入りそうな声を出して、私を抱きしめる腕に力を込めた。
「一人で怖い思いをしていたのね。」
「勝手に…な。」
「いいえ。ごめんなさい。あなたの気持ちも考えないで勝手をしたのは私だわ。」
「いや、そんなことは…。」
「もっと早く話し合えばよかったのよね。」
「…あぁ、そうだな。」
お互い勝手に勝手を重ねて、深みにはまってしまっていた。
これからは話し合いを大事にしよう。
お互い思い込みの激しいところがあるみたいだから。
それでも、きっと耳を傾ければ、理解できることも増えていく。
「あなたが知っているよりも、強い女も居るのよ。」
「あぁ、でも、君以上に強い女性は、なかなか見つからないかもしれない。」
「まぁ、それどういう意…ん?」
「どうした?」
初めての感触に私はそっとお腹に手を宛てる。
「どうした!どこかおかしいのか?」
途端に慌て始めるアデルに苦笑する。
「違うわ。今、蹴ったのよ。」
「へ?」
私はアデルの手を取って、自分のお腹にあてさせた。
「赤ちゃんが、お腹を蹴ったように感じたの。喧嘩するなって事かしらね。」
私は静かな声でささやいた。
アデルも口を閉じて手の平に意識を集中している。
「あ、ほら、今。」
「え?本当に?」
「そうよ。わからない?」
「ん…?あ、今?」
「そうそう。」
私が頷くと、アデルがひどく感動した様子で目を輝かせる。
体をずらすとお腹にそっと耳を当てて、手のひらでやさしくさする。
「元気なんだな。」
そう呟いた声が少し震えているようだけれど、私は知らない振りをする。
「そうよ、みんな元気よ。」
アデルの髪を梳きながら、窓の外を見上げると、大きな月が眩しいほどに輝いていた。
******
冬はゆっくり時を重ねる。
永遠と続きそうな寒さの中、けれど確実に季節は進んでいく。
ふと気づいた時には外気が優しさを含んで、溶けた雪の下から新しい芽が覗いているのだ。
庭に花が咲いて、空の色が濃くなり始めたある日、屋敷に産声が響く。
元気な男の子が生まれた。
天に向かって腕を突き上げて泣く姿は、自分の誕生を世界に宣言しているかのようだ。
アデルが春の豊穣祭に出かけていた日で、陣痛が始まって程なくアデルに知らせを出したけれど、慌てた彼が戻ってくる頃には既にお産は終わっていた。
初産なのに驚くべき早さだと、手伝いに来ていた産婆さんに笑われた。
「きっと、心配性のお父さんを思って、そうしてくれたのよ。」
お産の軽かった私は冗談をいえる程元気だった。
アデルは最初そわそわと私の心配をしていたけれど、赤子を抱かされると途端に落ち着きを取り戻す。
もっと怖がるかと思っていたのに、意外と抱き方も上手く、そつが無い。
「あら、意外と上手ね。」
「人形で、練習された甲斐がありましたね。」
ニーナに事情をばらされて、アデルは少し顔を赤らめる。
「よけいな事は言わなくていい。」
アデルが低い声を出すと、途端に赤子が泣き出した。
慌てて小さく揺らして宥める。
「おぉ、すまんすまん。怒ったわけではないんだよ、セシルバートは良い子だね。」
「セシルバート?」
「あぁ、兄の名を、継いでもらいたいのだが、いいかい?」
「もちろんです。良い名前をありがとうございます。」
私はにっこりと微笑んだ。
「セシルバート。父様だぞぉ。」
「まぁ、アデルばかりずるいわ。セシル、母様よ。」
アデルが私の横にセシルバートを寝かせてくれる。
布団をかけられ落ち着いたセシルバートを一なでしてから、私の髪に指を絡める。
「ティア。ありがとう。」
「いいえ。これからよ。お父様。」
「あぁ、もちろん。」
皆が見守る中、アデルバートは私の額に唇をよせた。
その瞬間、居間の方からあわただしい気配がして、寝室のドアがあく。
「母さん!」
「産まれたって?」
飛び込んできたのは、お義母様だった。
満面の笑みを浮かべて、こちらに駆け寄ってくる。
「パトリシア様!ここはもうシンディーレイラ様の寝室なのですよ!」
「もう、固い事言わないで!それより孫を見せて頂戴。」
「面会は体の消毒をしてお願いしますよ!」
「あら、そうね。」
「パトリシア様!」
「ニーナ、あんまり騒いでは…」
「でも…。」
にぎやかさに何故か泣きたい位幸せを感じる。
きっと、これからもいろんな事が起こる。
良い事も悪い事も生きている限り続いていく。
人生は絵本みたいに都合よく「めでたし、めでたし。」じゃ終われないから。
でも、「めでたし、めでたし。」と言いたくなるような瞬間を切り取って、思い出を増やしていくんだろう。
愛する人たちと共に。
「まぁまぁ、可愛い。シンディーよくやったわね。お疲れ様。」
「ありがとうございます。」
「母さん、声が大きいよ…。」
「ふ、ふぎゃ~。」
「…ほら…。」
「あらあら、元気ね~。」
「良い子ね、よしよし。」
「ふぎゃ~。」




