閑話:差し出された手のひら。
辺りを見回すと深い森の中で、私は一人だった。
必死に歩くのだけれども、なかなか前に進まない。
ただの雑草や小さな石に足をとられてしまうのだ。
人影を見つけた気がして走るが、見間違いなのか見失ってしまったのか。
短い息の音が耳元で煩い。
全身が心臓になったかのようにバクバクと揺れている。
それでも必死で走っていたけれど、木の根に躓いて転んでしまった。
起き上がって手についた土を払って驚いた。
子どもの手のように小さい。
ふと足を見てみても、子どもの短い足だった。
こんなのでは到底帰れない。
そう思うと、視界が滲んだ。
私は泣き喚く。
途端にいくつもの大人の手が私に向かって差し出された。
見知らぬ人が気づいてくれた。
けれど、小さい私はその手を取らない。
知らない大人が怖くて、更に泣いた。
声が枯れる。
それでも泣き続ける。
しばらくすると、ふと目の前が明るくなった。
「どうしたの?」と優しい声がする。
泥だらけの手のひらを見せると温かい手が泥を落としてくれる。
「あらら、ころんじゃったのね。」
そう言って笑われると、途端に涙が引っ込んだ。
目の前では太陽のような髪をした線の細い女が笑っている。
「おかあさま」
呼ぶとふんわりと頭を撫でられた。
周りに居たはずのたくさんの人はいつの間にか居なくなっていた。
母は頭を撫でながら「だめじゃない」と微笑んだ。
「一人で森の中に行ってはダメと言ったでしょう?」
母の言葉にシュンとして謝る。
「助けてくれる人達がいたでしょう?」
だって、知らない人だもの。
怖かったのだもの。
「本当に?怖い人達だったのかしら?」
母は私を抱き上げて、瞳を見つめて問いかけた。
分からない。
どんな人だったか、分からない。
「そうね。でも、なんでも一人では出来ないわ。」
確かに、一人で森は抜けられそうに無い。
「私は助けてあげられそうに無いわ。」
どうして?
「おかあさまが側に居てくれればいいのに!」
私は思わず叫んだけれど、母はふんわりと微笑むばかり。
「私が居なくてもあなたは独りになったりしてないわ。」
母の髪が途端にまばゆく光りだす。
私は目を開けていられなくなった。
母の姿が見れないのは不安だ。
私は必死で手を伸ばす。
「なんでも一人で出来てしまうことが、いい事だとは限らないのよ。」
けれど、声は聞こえても、母は手を握ってはくれない。
光がはじけて闇が訪れる。
目を開くと真っ暗な森の中に居た。
私が泣くとまた、いくつもの手が差し出される。
私はひとしきり泣いた後、もう母は現れないと納得して、差し出された手を見る。
一番近くにあった大きな手をつかむと母の手より暖かい。
私はぎゅっと握り締めて夜の森を歩き始めた。




