55.昔話をしましょう。
居間に入ると、お義母様はカウチの上で暖炉の火を眺めていた。
先ほどまではきっちりとまとめられていた髪を下ろして右肩で緩く結んでいる。
私が部屋に入ると、お義母様はこちらを向いてふんわりと笑い、目だけで隣のカウチを勧めてくれた。
私が席に着くと、カナンはお茶を手早く用意して、音も無く部屋を辞した。
「疲れてはいないの?」
「はい。とても眠れそうにないので。」
「それも、そうね。」
それだけお互いの目を見て話すと、私たちは暖炉の火を眺めた。
「何から、話しましょうか。」
「どうして、お一人で山奥に住まわれているのかを…。」
「アデルバートやカナンの事からでなくていいの?」
「はい。」
「そうねぇ…。」
長い話をしていいかしらと前置きしてお義母様はお茶を一口含んでから話し始めた。
「私とアデルバートの父親、ジェラルドはお見合い結婚だったの。
結婚した時私は16歳、彼は25歳で初めはジェラルドが怖かったわ。
肖像画を見た事あるでしょう?
涼やか…といえば聞こえは良いけれど、冷たく見える目をしているでしょう?
アデルバートもそうだけれども、彼の目はうすい灰色だったから、余計かしら。
それに、武人という言葉が良く似合う体つきをしていた。
声も低くて大きかったわね。
ラファエルは昔から国境を守る家だったから仕方ないんだけれども、その事情を知っていても、私は怖かったの。
実家は文官の多い家系だったからかしら?
慣れてなかったのよ。
でも、彼はとても優しい人だった。
はじめこそギクシャクしたけれど、私が彼を愛するのに時間はかからなかった。
そして、すぐにアデルバートの兄のセシルバートが生まれた。
戦争にまでは成らなかったけれど、隣国との情勢が不安定な時だったからジェラルドはなかなか家に居られなかったけれど、その分、私たちは深く愛し合ったわ。
国境が落ち着きを取り戻して、アデルバートが生まれる頃には、セシルバートはもう10歳だった。
その頃は、何も欠けることなく全てを手に入れて、両手いっぱいの幸せに浮かれていられた。
アデルバートが成人して家を出ると、ジェラルドはセシルバートに家督を譲った。
そして私たちはこの家を作った。
最初は夏のバカンスで使うために作ったのよ。
若いセシルバートに全てをまかせっきりにはできないもの。
でも、あまり近くに居過ぎてセシルが成長しないといけないからと私たちはこの家で過ごすことが多くなっていった。
さすがに冬は屋敷に戻ったかしら…でも、私たちは2人で居たかったのよ。
結婚してすぐにセシルバートが生まれて、彼は大事な仕事があって…若い頃は2人でゆっくりする時間なんかちっとも無かったのだから。
ある意味新婚生活のやり直しをしたのね。
ジェラルドとはじめて喧嘩をしたのも、この屋敷に居るときよ。
今思うとびっくりするけれども事実よ。
私たちは結婚して25年程、喧嘩せずにいられるほどしか共にすごしてなかったのね。
喧嘩のほろ苦さも、仲直りの甘美さも、昼寝の穏やかさも、夜更かししてゆっくりと飲むお酒の味もこの屋敷で知ったわ。
ジェラルドは身の回りのことは一通りなんでもできたから、私も覚えた。
料理もその時ね。
初めて作った塩辛いだけのスープを彼は四苦八苦しながら飲んでくれて…お料理上手になろうと心に決めたものよ。
そんな満ち足りた生活が5年も続いた頃、ジェラルドが狩りに行って落馬してね。
あっけなく死んじゃったのよ。
私はなんだか信じられなくて、この家に居たら彼が帰ってくるんじゃないかって。
…わかっていたのよ。
彼の手や頬がとても冷たいのも確認したのだし。
お葬式もしたのだし。
それでも、この家から離れる事ができなかったの。
それが、私がここに住み続けている理由。
セシルバートもティファニーも屋敷に戻って来いと何度も誘ってくれたけれどね。」
「ティファニー?」
「セシルバートの奥さんよ。幼馴染でね。アデルバートも懐いていたわ。たぶん、あの子の初恋はティファニーだったんじゃないかしら?ティファニーはセシルに夢中だったから、アデルの事なんて弟くらいにしか思ってなかっただろうけれども。」
私はやっと記憶の中のティファニーの名前を呼び起こす事ができた。
すでに亡くなってしまっているアデルの義姉。
ニーナが呟いた名前は彼女のものだったのかと合点がいく。
「ニーナに、アデルの束縛はティファニー様の事があったからと言われて、ずっと気になっていたんです。」
「…なるほどね。そうかもしれないわね。楽しい話ではないけれどいい?」
そう聞かれて私はゆっくりと頷いた。
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