6.12時には解けません。
初めての夜会で、初めての恋だった。きっと私じゃ釣り合わない…そう思うと胸がキリキリした。この瞬間ほど姉達の意地悪を忌々しく思ったことはない。いくら飾りたてても、艶のない髪や、日に当たって荒れた肌は取り繕い様が無い。急に自分がみすぼらしく感じられる。あの太陽のような輝く金色の青年には、もっと女神の様な神々しく美しい女性が似合うだろう。
息すら忘れて殿下を見つめながら、心の中では諦める準備をしていた。叶わぬ恋に酔いしれる程、貴族の娘は無謀ではいられない。殿下の事は淡い憧れとして処理しよう。傷が浅いうちに。呼吸を忘れていたことに気が付き、ゆっくり深呼吸をするとすこし気分が落ち着いた。挨拶が終わり、乾杯が終わると、私は目を閉じてももう一度深呼吸をする。一目惚れなんて柄にもない。
気を引き締めてから目を開けると、令嬢達に囲まれて見えなくなっていたはずの殿下と目が合う。落ち着けたはずの気持ちがまた慌しく動きだした。気持ちの高鳴りが痛いほどで、目を逸らしたくなったその時に殿下がふと微笑んだ。花が咲くような変化に釘付けになる。私の視線は縫い止められてしまった。周囲の音が遠くに聞こえるような気がする。静かなパーティー会場に殿下の足音だけが響いているようだった。何の前触れもなく無造作に歩き出した殿下を護衛が慌てて追い掛ける。数居るご令嬢達をかきわけてこちらに近寄ってくる。私も殿下に道を譲るべく数歩下がった。父や継母が小声で何か言っているが、自分の心音がうるさくて何を言われているのか分からない。
頭をたれた私の前で、殿下の靴が止まる。
「踊りませんか」
聞こえたセリフに驚き顔を上げると金髪の天使がほほえんでいた。驚きで固まって返事が出来ない私をみて、もう一度誘いの言葉が紡がれる。甘い甘い声が耳に届く。
「喜んで。」
私は何も考えられないまま返事をし、差出された手をとった。
初めてのダンスを父と…とか、レインフォード子爵に誘われていたのにとか、そういう考えは全く浮かんで来なかった。ここだけの話、思い出したのは半年後の事だった。結局夜会で一度も父と踊れなかった事をすごく後悔するのだが、この時の私は知る由もない。
ただ殿下とのダンスは夢の様で、手に腰に触れられるだけで心が跳ねた。時折微笑まれると時間をわすれた。どれだけ踊っても疲れなかった。途中で悔しそうな今にも倒れそうなほど顔を赤らめた姉様達やご令嬢達が、険しい視線を投げつけていることに気付いたが全く気にならなかった。殿下はその夜、私としか踊らなかった。踊り疲れて休憩するのにも常に私を傍らに置き、時折私を見つめては微笑んだ。私はその特別扱いに有頂天になり、彼に今自分ができる最高の微笑みを送り続けた。
長いような短い様な舞踏会も終わりを迎え、殿下の退場の時間になる。私は舞い上がった気持ちをどうにかこうにか押さえつけると、殿下にお礼と別れの挨拶をした。
「本日は…殿下にお声をかけていただき、夢のようでございました。一生の思い出になりました。」
私が微笑みかけると、殿下がすこし首を傾け私の頬をなでた。
「思い出にしてしまうの?私の可愛い人。」
「えっ…?」
意味が分からず戸惑う私に、殿下は優しく微笑みかける。
「何も心配することは無いよ。私のそばにいてくれるね。」
そう微笑みかけてくる瞳は海と空の境目の色をしていた。
そしてその夜から私は城の住人となった。父は一度連れて帰ると主張したけれど、警備の関係とかで帰ることはできなかった。私に警備が必要な理由がわからなかったが、マゼンダが「女の嫉妬は怖いのよ」とポツリとつぶやいた。城の離宮にひとり過ごす内に、殿下と結婚することになっていることを教えてもらった。驚きよりも喜びよりも、腑に落ちたというのが感想だった。
「だから警備が必要だったのね」
と漏らした私の色彩の無い感想に、教えてくれた侍女はがっかりしていた。
そして程なくあっさりと殿下と結婚した。派手な披露宴などは無く、膨大な量の書類に言われるがままにサインをしただけだったが、それさえもどこか神聖な儀式のように感じた。あっという間の出来事で熱に浮かされていた私はただただ殿下の甘い言葉に酔いしれていた。