52.お初にお目にかかります。
「主?」
「はい。詳しくは中で説明させていただきますので。」
そういわれて玄関を示されるが、私は足がすくんで動かない。
彼女は私の従者ではなかったのか?
もしくは、アデルの従者ではなかったのか?
とてもまずい人を信頼していたのかもしれない。
しかし、突然首をもたげた不安を私は理性で押さえつける。
日暮れの雪に埋もれた森の中で感情のままに行動しては生きていられない。
だんだんと冷たさを増す外気に、これ以上さらされているのは耐えられそうに無い。
どんなつもりでも、すぐに殺されるような事は無いはずだ。
そこまで考えて、カナンの声が鼓膜に触れる。
「奥様、お体に障りますゆえ。」
その声は労わりと温もりをたくさん含んでいて、私はハッとして彼女を見た。
いつも無表情なその瞳に、少しの不安と寂しさが滲み出ているように感じる。
私は彼女に小さく頷くと目の前の玄関に向かった。
何より、一度信じると決めたのだ。
大丈夫、彼女は私を害さない。
コンコン、コココ、コンコココン。
カナンが独特のリズムで扉を叩くと、中から落ち着いた男性の声が聞こえる。
「カナンです。シンディーレイラ様をお連れしました。」
カナンの声に扉が開いた。
私はカナンの名が偽名ではなさそうな事がとても嬉しい。
こんな場所でこんな状況で暢気だなと自分で自分が可笑しくなる。
見た目よりも重い音を立てて開いた扉の奥には壮年の背の高い男性が立っていた。
小さな家は彼には少し窮屈そうに見える。
「ようこそ、いらっしゃいました。こちらへどうぞ。」
にこりともしない男のけれど穏やかな口調に促されて、私はカナンの主の家に足を踏み入れる。
入れ違いに言葉も無く少年が一人表へ出て行く。
閉まるドアの隙間から、犬ぞりを引いてくれていた犬達の頭を嬉しそうになでるのが見えた。
外から見るよりも、中は広いようだ。
玄関を入って小さなホールがあり、いくつものドアが見える。
そのうち一番手前のドアをくぐると、居間のようだった。
「こちらで、おまちください。」
そういって男はカナンと私をその部屋に残して出て行った。
「私も、お茶を入れてまいります。」
カナンは私をソファに座らせると、荷物を私の脇に置き、続きになっている小さなキッチンに向かった。
程なくして、小さなノックが聞こえてくる。
他人の家の居間で、私がノックに答えていいのかしら?と迷っていると小さくドアが開いて先ほどの男の声でよろしいでしょうかと聞かれ、慌てて答える。
「あ、はい。」
ドアが開くと、一人の女性がそこに立っていた。
格好こそ庶民のような簡素なワンピースだが、凛とした立ち姿が美しく身分の高さを思わせた。
白いものが混じる、かつては美しかっただろう黒髪を耳の後ろで小さくまとめている。
緑色の瞳は私を映して穏やかに輝き、目じりのしわを深めて微笑んでいる。
「ようやく会えたわね。」
張のある声にそういわれて、私は反射的に淑女の礼をとった。
「お初にお目にかかります。シンディーレイラ・S・ラファエルと申します。」
私の挨拶に頷いて彼女も完璧な淑女の礼をとる。
「会えて嬉しいわ。はじめまして、パトリシア・ラファエル、あなたの姑よ。」
唖然とする私の目の前で、緑色の瞳が面白そうに輝いた。




