50.行きましょう。
アデルと顔を合わせるのが嫌で食欲がないと朝食を断ると、ニーナが部屋に果物やスープ、スコーンなどを運んできてくれた。
入れ替わりに、カナンはアグリに連れられて部屋を辞する。
軽食を素直に頂くと、ニーナはあからさまにほっとした。
きっと必ず食べさせるように言われたのだろう。
黙々と食事をする私に、ニーナは少し言いにくそうにカナンは本日お側には居られませんと言った。
私は口にパンを入れたまま、コクリとうなずいた。
そのまま食事を続けようとして、パンを飲み込んでからニーナに向き直る。
「明日には戻るの?」
「はい。今日だけ、別の仕事を申し付かったようです。」
きっと、部屋で謹慎でも言い渡されているのだろう。
了承の返事をすると、食事を再開する。
食欲不振を理由にしたものの、怒っていると腹が減る。
綺麗に食べ切った私を見てニーナはまとう空気を軽くした。
「ごちそうさま。」
「召し上がって頂けて良かったです。」
「心配かけてごめんなさい。少しアデルと顔を合わせ辛くて。」
食後のハーブティーを飲みながら私はニーナに困ったような表情を見せた。
「このところ、アデルは変だわ。心配してくれるのは嬉しいけれど、あまりに窮屈で…」
「奥様が心配なのです。旦那様も私達も。」
ニーナは私の目を見て、宥めるように言葉を紡ぐ。
「…どうしてあそこまで心配するのかしら?」
「それはティファニー様が…。」
と言い掛けて止めてしまった。
ティファニーと言う名前には聞き覚えがあった。
どこで聞いたのだろうか?
「いえ、あの…初めてのご懐妊ですからね、男親は何も出来無い分、心配するのですよ。」
ニーナは取り成す様にそう言うと食器を片付けに出ていった。
私は彼女の口から出たティファニーと言う人物について記憶を辿るが、なかなか思い出せないでいた。
しばらくぼーっと考え込んでいると、メイが恐る恐る声を掛けてくる。
着替えを勧められるが、ズボンが楽だからと断った。
「今日は1日部屋から出ないから、許して。」
「承知しました。」
うなずいてくれたメイにお礼を言う。
「では、本日はどうなさいますか?」
「久しぶりに、友人達に手紙を書くわ。」
メイは頷くと直ぐにペンと便箋を用意してくれる。
午前中に手紙を書きあげて、軽い昼食をとるとメイにその手紙を託した。
「すぐに、送れるように手配をしてもらうと助かるのだけれど?」
「早馬を出しましょうか?」
「いえ、そこまでは必要ないわ。」
遠方への手紙は家の早馬を出して届けるか、商隊にお金を払って頼む必要がある。
「お側を離れてもよろしいでしょか?」
「えぇ、朝早く起きたものだから、午後はお昼寝するわ。」
そういうとメイはにっこり笑って頷いた。
心の中で謝る。
部屋を辞する直前のメイの背中に向けて、もう一言付け加える。
「起きたら呼び鈴をならすから、部屋に入らないようにしてもらえる?このところ、少しの物音で目が覚めるのよ。」
「承知いたしました。…おやすみなさいませ。」
「おやすみなさい。」
メイは最後にもう一度微笑みを浮かべて、音もなくドアを閉じた。
パタパタと足音が廊下を遠ざかっていく。
私は足音が聞こえなくなるとゆっくり10数えてから行動を起こす。
まず、寝室に行き、ベッドに細工してあたかも人が寝ているかのような膨らみを作る。
その中には先ほど友人への手紙と一緒に書き上げた書置きも忍ばせた。
その次に衣裳部屋に行き、誰も居ないのを確認すると、小さなかばんに手早く服を数枚詰める。
この屋敷に来てからはあまり着る機会が無い、動きやすい庶民のような服。
時々アデルと町に遊びに行く際は、こういう服を着たりもするから少しだけ用意してあるのだ。
「奥様」
途中で、とても静かな声が私を呼んだ。
「カナン。びっくりさせないで。」
びくっとして振り返った私は極力小さな声でそういうと、いつの間にか部屋に居る彼女を見た。
朝と同じ、ズボンに編み上げのブーツを履いている。
髪の毛も小さく丸めて帽子に入れているらしく、華奢な彼女は少年のようにも見える。
残念ながら、いつ入ってきたのとか、どこから入ってきたのとか彼女に聞いている場合ではない。
皆に見つかる前に少しでも遠くへ行きたいのだ。
きっと夕方までには私の不在は知られてしまう。
「もう少しで終わるから。」
そういって、急いで荷造りを終えるとカナンを振り返った。
彼女はコートと帽子を手早く着せてくれる。
彼女の目は何も語らない。
これから私が起こす騒動に是も非も言わない。
ただ私をまっすぐ見つめてくれる。
だから私は迷わない。
良い事をしてるとは言わないが、悪い事をしているつもりも無い。
「さて、行きましょうか。」
外は今も真っ青で真っ白だ。
また、シンディーは旅に出ました。
雪の中…妊婦なのに無茶しますね。




