45.おめでとうございます。
「おめでとうございます。ご懐妊ですよ。」
「へ?」
ドクターの言葉に私は目を丸くした。
隣で控えているカナンやアグリからは喜びがあふれ出て、無言の祝福になって私を包む。
すっかり華やかな喜びに満たされた部屋の中で、私一人、呆然と目の前の壮年の男性を見つめていた。
彼はダニエル。
ラファエル家の掛かりつけの医者である。
アデルが小さなころから家族全員、彼に診てもらっているらしい。
領地に戻ってからというもの、なぜかずっと体調が悪い私はアデルに頼んで彼を呼んでもらった。
「今、3ヶ月ですね。この所の具合の悪さはつわりの症状ですね。今は無理に食べなくてもかまいませんが、…水分は取れていますか?」
「はい、大丈夫です。」
ダニエルの説明を聞くにつれて私はすっかり顔色を悪くしていた。
3ヶ月ということは、私がリシャーナの陰謀で樹海を彷徨ってたとき、もうすでに赤ちゃんがお腹の中に居たことになる。
木に登ったり、川の水を飲んだり…思い出してもう真っ青である。
ドクターはその様子を見て、何を勘違いしたのか、おずおずと
「アデルバート様の…ですよね?」
と確認してくる。
あわてて頷く私に、今度は子どもを宥める様に大丈夫と繰り返した。
「大丈夫大丈夫。気持ちを穏やかに。不安になる必要はないですよ。」
彼の的外れな優しい声で、私は少し復活する。
私に喜びがやってきたのは、ダニエルが帰ってしばらくしてからだった。
「カナン。赤ちゃんができたそうよ。」
私は窓の外を見つめたまま、隣で気配を消しているカナンに話しかけた。
「はい。奥様。体を大事にせねばなりませんね。」
カナンの声にふと我にかえれば、厚手のひざ掛けがひざの上に置かれている。
ほんのりとした暖かさと共に、おいてけぼりだった実感がじんわりじんわり染み込んで来る。
「元気な子を産まなくては…。」
「皆、及ばずながらお手伝いさせていただきたく…。」
部屋を見回すと、喜びで顔を桃色に染めた侍女達が私を見つめている。
「初めてのことでわからないことだらけなの。皆、よろしくね。」
そう言うと皆、大きくうなずいてくれた。
アデルには夕食時に報告することにした。
出迎えの際に「医者はなんと?」と聞かれたので「後ほどゆっくりと」と回答したらなんだかいらぬ心配をかけてしまったようだ。
不安そうな面持ちで食卓につくアデルの手をとって、私はふんわりと微笑んだ。
「どこか悪いのか?」
「いいえ。違うのよ。」
アデルは眉間にしわを寄せたまま情けない顔になる。
「では、どうした?」
「あのね…子どもが出来たそうよ。」
「こ…ども…?」
「えぇ、貴方の子がここに。」
そういってまだ何のふくらみもないお腹をさすると、アデルはようやく言葉を飲み込めたようだった。
瞳に映っていた不安の影は見る間に驚きと喜びに場所を譲る。
「子どもができたのか!」
「そうよ。体調不良はつわりですって。」
アデルは立ち上がるとふんわりと私を抱きしめる。
「ありがとう。」
「まだまだ、これからよ?今3ヶ月ですって。予定は来春。」
抱かれたままでくすくす笑うとアデルは私を放して頭を掻いた。
「そうか、春か。体に気をつけないとな。」
「えぇ。」
彼はひとしきり喜ぶと、私の顔とお腹を見比べて確認するように微笑む。
「ティア、寒くないかい?少し薄着なように思うが…」
「えぇ、大丈夫よ。」
「いや、風邪でもひいたらどうする?だれか、すぐにガウンを。あと、ひざ掛けも必要か。」
アデルの言葉に使用人があわてて動き出す。
「大丈夫なのに…。」
私の言葉は無視されて、あれやこれやと世話を焼かれる。
私はカナンと目を合わせて、視線だけで苦笑した。
こんな幸せが私にも訪れるなんて、ほんの数ヶ月前は思いもしなかった。
ただ後宮のすみっこで朽ちていくだけのはずだった。
それなのに、愛するだんな様だけでなく、子どもまで授けてくれるというのだ。
神様というのがもし居るならば、きっと一番嫌いな言葉は「平坦」か「適度」に違いない。
結局、夜寝るまでアデルはずっと過保護だった。
私は半分呆れながらも、笑みがこぼれるのをとめられない。




